・教皇ヨハネ・パウロ1世選出から40年に

(2018.8.28 「カトリック・あい」)

 ベニス大司教だったビーノ・ルチアーニ枢機卿が、教皇に選出され、ヨハネ・パウロ1世が誕生した日から40 年。Vatican Newsがビデオ(英語字幕付き)を放映した。

 前任のパウロ6世の死去を受けて開かれたコンクラーベで、ヨハネ・パウロ1世が教皇に選出されたのは1978年8月26日。いつも笑顔を絶やさないことで「微笑みの教皇」と呼ばれ、「第二バチカン公会議」を始めたヨハネス23世、その成果を継いだパウロ6世の後を受けて、現代世界に生きる教会に向けた改革推進の期待を一身に受け、精力的な取り組みを始められたが、わずか在位33日で突然亡くなられた。

 後を継いだヨハネ・パウロ2世は2003年に、彼を「神のしもべ」と呼び、列福の準備を事実上開始、現在の教皇フランシスコは2017年に、その英雄的な徳を称え、尊者の称号を捧げた。

 亡くなられたのがあまりにも突然であり、原因も不明のままにされたことから、当初、教皇の改革に積極的な姿勢を快く思わない、バチカン内部の保守派勢力の関わりなども一部に取りざたされたが、その後沙汰やみとなった。だが、周囲が彼の健康についてあまり気遣うこともなく、ケアもしていなかったのは、確かなようであり、いろいろな意味で後味の悪さが残った。

 いずれにしても、ヨハネ・パウロ1世が健康で、活動を続けられていれば、没後30年余り後に彼の遺志を事実上継いだ教皇フランシスコが苦闘されている、現在のような、教会改革の遅滞、聖職者による性的虐待と高位聖職者による隠ぺいの世界的拡大などは起こっていなかった可能性がある。

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA