・教皇「教会の母マリア」の記念日を聖霊降臨の翌日に制定+典礼秘跡省長官による解説

教皇フランシスコ、教会暦に「教会の母マリア」の記念日制定 – AFP

(2018.3.5 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、教会暦において、「教会の母マリア」の記念日を、聖霊降臨の翌日の月曜日に制定された。

 教皇庁典礼秘跡省(長官:ロベール・サラ枢機卿)が、「教会暦における、至福なるおとめマリア、教会の母の記念日についての教令」を発表。この中で「おとめマリアを、キリストの神秘とその本性に照らして考える時、キリストの母であると同時に、教会の母としてのその姿を忘れることはできない」としている。

 そして、聖アウグスティヌスが「マリアは教会において信者たちの再生に愛をもって協力したために、キリストの肢体の母である」と、また教皇・大聖レオが「頭(かしら)の誕生は肢体の誕生でもある」として、マリアを神の御子キリストの母であると同時に、キリストの神秘体の肢体の母でもある、と考えていたことに言及。

 こうした認識は、「マリアの神の御子の母としての母性と、キリストの十字架上の犠牲によって頂点に達する、贖い主のみ業へのマリアの親密な一致から来るもの」とし、「イエスの十字架のそばに、その母が立っていた(参照:ヨハネ福音書19章 25節)」「マリアは、御子の愛の遺言に従い、愛する弟子に代表される、すべての人を子として受け入れ、こうして、キリストが聖霊を発しつつ十字架のもとに生んだ教会を、愛情深く育む者となった」と説明している。

 「生まれつつある教会の導き手、母としての使命」を、マリアは聖霊降臨の高間で、使徒たちと聖霊を待ちながら祈っている時に始めた。キリスト教の信心は、このようなマリアに「弟子たちの母」「信徒の母」「信じる者の母」といった呼び名で崇敬を示し、霊的な著作者や、ベネディクト14世とレオ13世の教えにも「教会の母」という名が見られることを文書は紹介している。

 そして、このような基礎のもとに、教皇福者パウロ6世は、1964年、第2バチカン公会議の第3会期の終了に、至福なるおとめマリアを「教会の母」として宣言した。教皇庁が1975年の聖年を機会に「教会の母マリア」に捧げるミサを提案し、その後、ミサ典書に挿入されたこと、この呼び名を聖母の連祷に任意で加えることができるようになったこと、ある国や教区などはその教会暦に、希望で「教会の母マリア」の日を加えることが可能となったことなど、「教会の母マリア」がどのように祝われてきたかを示している。

 教皇フランシスコは、「教会の母マリア」に対する崇敬の推進が、司牧者や、修道者、信徒たちの間に、教会の母としての認識を助け、同時にマリアへの純粋な信心を育むために、「至福なるおとめマリア、教会の母」の記念日を制定すると共に、この日を教会暦の「聖霊降臨」の翌日の月曜日に加え、毎年祝うことを望まれた、と同文書は記しており、この記念日は、すべての教会暦、ミサと時課のための典礼書に加えられることになる。

 

教皇庁典礼秘跡省が発表した教令についての解説

[イタリア語原文からSr.岡立子が試訳]

 「教会の母」マリアの記念

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 教皇フランシスコの決定-2018年2月11日、ルルドのおとめマリアの最初の出現の160周年記念の教令をもって-の実践において、典礼秘跡省は、ローマ典礼暦の中に「教会の母、祝せられたおとめマリア」“Beata Vergine Maria Madre della Chiesa”の記念を加える準備をした。

 添付された教令の中で、ミサのため、聖務のため、ローマ殉教録il Martirologio Romanoのための、ラテン語の関連する典礼書が言及されている。各司教団は、使用するテキストの翻訳を承認し、承認の後、それらを典礼書として出版する準備をする。

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 この祭儀の理由は、教令自身の中で短く説明されている。それは、マリアに取っておかれた典礼的崇敬が、第二バチカン公会議の『教会憲章』の第八章が説明したように、「キリストの神秘と、教会の神秘における」マリアの存在(現存)の、よりよい理解の結果、成熟したことを思い起こしている。実際、十分に考慮して、1964年11月21日、この公会議憲章の公布において、福者パウロ六世は、マリアに「教会の母」の名称を荘厳に認めることを望んだ。

 キリストの民の信仰感覚は、二千年の歴史の中で、キリストの弟子たちを、キリストの最も聖なる母に親密に結びつける子としての絆を、さまざまな方法においてとらえてきた。そのような絆を、福音作者ヨハネは明瞭に証ししている。十字架上での死ぬ前の、イエスの遺言を言及しながら(cf. ヨハ19・26-27)。ご自分の母を弟子たちに託し、弟子たちを母に託した後、「もはやすべてが成し遂げられたことを知って」、死の直前のイエスは、彼の神秘的体(からだ)である、教会のいのちを考慮して、「霊をお渡しになった」。実際、「十字架の上に眠るキリストの脇腹から、このうえない秘跡である全教会が生まれたのである」(『典礼憲章』5項)。

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 十字架上のキリストの心(心臓)から湧き出た水と血-彼のあがないの奉献の総体のしるし-は、秘跡的に、教会にいのちを与え続けている。洗礼とミサ聖祭を通して。

 「あがない主」と、あがなわれた者たちの間に、つねに養うべき、この驚くべき交わり(コムニオ)において、もっとも聖なるマリアは、果たすべき母としての使命を持っている。

 それを、新しい記念日のミサの中で示される、ヨハネ19・25-34の箇所は思い起こしている。その箇所はすでに-創世記3章と使徒言行録1章の朗読箇所と共に-、典礼省が1973年、「和解の聖年」(1975)を考慮して認可した、「教会の母聖マリア」“de sancta Maria Ecclesiae Matre”の随時ミサla messa votivaの中で示されている(cf. Notitiae 1973, pp. 382-383)。

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 マリアの、教会的母性(教会の母であること)の典礼的記念は、ゆえに、1975年の『ローマ典礼書』の第二版l’editio altera del Missale Romanumの中の、 いくつかの随意ミサの中に置かれた。その後、ヨハネ・パウロ二世の教皇職の間に、『ロレトの連祷』(聖母の連祷)の中に「教会の母」の名称を加える可能性が各司教団に許可され(cf. Notitiae 1980, p. 159)、「マリア年」の折に、典礼秘跡省は、『祝されたおとめマリアのミサ典書集』Collectio missarum de Beata Maria Virgineの中に、「教会の母、教会の姿であるマリア」の名称のもとに、随意ミサのその他の式文を公布した。

 また、年月の流れの中で、幾つかの国-ポーランドやアルゼンチンのように―の固有の典礼暦の中で、聖霊降臨の祭日後の月曜日に、「教会の母」の祝日の挿入が認可された。その他の日に、パウロ六世の側からの、この名称の宣言が行われた、聖ペトロ大聖堂のような独自の場所において-さらに、さまざまな修道会の固有の典礼暦において-加えられた。

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 五旬祭(聖霊降臨)の聖霊の待望(cf. 使徒1・14)から、母として、時代の中を旅する教会を絶えず気遣うマリアの、霊的母性の神秘の重要性を考慮しながら、教皇フランシスコは、「教会の母マリア」の記念を、ローマ典礼の全教会に義務として制定した。

 聖霊降臨の教会の活力と、それに関する母としての気遣いの間の結びつきは、明らかである。ミサ典書と聖務の中で、使徒言行録1・12-14は-創世記3・9-15,20とともに-、世のあがない主、御子の十字架のもとで「生きるものすべての母」“Mater omnium viventium”として制定された、新しいエバのタイポロジーの光で解釈され、典礼祭儀を照らしている。

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 全教会に広げられたこの祭儀が、キリストのすべての弟子たちに、次のことを思い起こさせることを切望する。もし、わたしたちが神の愛に成長し、満たされたいなら、わたしたちの生活を、三つの現実の上に据える必要があることを:「十字架」、「ホスチア(聖体)」、「おとめマリア」-Crux, Hostia et Virgo-。これらは、神が、わたしたちの内的生活を築き、実りあるものとし、聖化するために、そして、わたしたちをイエス・キリストに導くために世に与えた、三つの神秘である。それらは、沈黙の中で観想すべき神秘である(R. Sarah, La forza del silenzio, n. 57)。

                長官:ロベール・サラ枢機卿

 

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2018年3月7日