・教皇は「児童保護サミット」で「いちかばちかの一手」に出た(Crux・解説)


Why Francis’s child protection summit may be highest-stakes gamble of his papacy

Pope Francis during his regular Wednesday general audience on Sept. 12, 2018. (Credit: AP.)

 ローマ発 -12日のバチカンの大ニュースは言うまでもなく、教皇フランシスコが世界各国の司教協議会会長-全員で100人を超える-をバチカンに集め、「弱者保護」を 議題とする会議を開くことを発表したことだった。

 即座に出た反応は、これが、例外的ともいえる大荒れの一か月の後の、教皇フランシスコについての物語とカトリック教会の聖職者による性的虐待スキャンダルを塗り替えるバチカンの努力の一環だ、との推測だ。

 大荒れのこの一か月は、米ペンシルバニア州の大陪審報告に始まり、「教皇はセオドール・マカリック前枢機卿の不適切な性的行為を5年前に知りながら無視していた」とのバチカンの前駐米大使による告発に至るものだった。

 教皇が来年2月に開く会議が、”普段通りのありふれたもの”でないことは、誰にでも分かる。バチカンが世界中の司教協議会の会長全員に招集をかけることは、どのような理由にせよ、稀なことだし、性的虐待の問題で高位の指導者たちが横断的に集められるのは初めてだ。

 教皇と助言者たちが会議の開催を開くことで念頭にあるのは、チリの問題だ。同国で2016年から2017年に性的虐待危機が熱を帯びた時、教皇は被害者たちに敵意を抱いていると広く受け取られた。今年1月には、ある司教を「加害者たちを隠ぺいした」として批判し続ける被害者たちを、教皇は「司教を中傷している」と非難さえしていた。

 だが、その後、事態は急旋回した。教皇は5月になって、チリの司教全員をローマに召喚し、彼らは会見の終わりに全員が辞任を表明した。教皇は彼らを叱責し、司祭たちの性的虐待を単に無視しただけでなく、犯罪行為の証拠隠滅などにより意図的に隠ぺいしたとして、彼らのうちの何人かに躊躇なく有罪の判断を下した。

 その結果は、教皇が解決のカギとなる問題の一部となることから外れたことを、そして多かれ少なかれ潜在的にメディアが騒ぎを起こす火種を、消し去ったことを意味するものだった。そして、その後、教皇が全司教のうち5人だけの辞表を、公けの説明なしに受理した時に、その勢いは消えようとしたが、それにもかかわらず、多くの人々は1か月前、なお教皇を信じようとしていた。

 司教協議会の会長たちの招集が「教皇の事態打開の決意を印象付け、落ち込んだ今の雰囲気を改めるチリ問題に対したのと同じ刺激効果をもたらす」と、教皇と助言者たちは考えているのかもしれない。だが、彼らが十分に認識していそうにないのは、対処しようとしている問題がチリよりもずっと大きいことだ。実際のところ、これは恐らく、極めて掛け金の高い賭けになるだろう。失敗すれば、地球的な規模の機能不全に陥るかもしれないからだ。

 過去5年半の間、私が教会関係者たち、ジャーナリスト仲間と会話する中で、あるいは講義の場で何度となく話題になったのは「教皇フランシスコと大衆との蜜月関係が何によって終わらされるのか」という問いだった。教皇フランシスコは人の心をつかみ、奮い立たせる人物だから、その問いは、答えるのに窮するものだった。だが、私は次のように答えた-「教皇が、性的虐待問題で汚れていると大衆に受け止められるようになったら、それが、蜜月の関係を終わらせるものになるかもしれない」と。

 今、私たちはまさにその段階に来ているように思われる-人々は、教皇が改革について言っていることは何を意味するのか、教皇は個人として性的虐待問題の隠ぺいで責めらるべきなのか、と問うているのだ。

 この問題の唯一の出口があるとすれば、それは二重になっているように思われる。

 第一に、バチカンは、マカリックの問題をはじめとして(聖職者による性的虐待の)何を、いつ知ったかを公けにすることだ。実際、そうしなければならなくなっている。13日に、教皇は米国の司教協議会の指導者たちと会い、マカリック問題の調査について議論するが、信頼を損なわずに、どのようにしてバチカンの最終的な狙いについての問いが議論から外されるか、を知ることは難しい。

 (仮に、米司教協議会会長でガルベストン・ヒューストン大司教ののダニエル・ディナルド枢機卿が、今週、性的虐待の容疑で逮捕された配下の司祭たちの1人に対する訴えへの対応を彼自身が誤った、とする訴えに動揺しているとしたら、どうだろうか。だが、誰がこの会議を主導しようとも、マカリックの問題が消えることはない。)

 第二に、バチカンは、大部分の観測筋が教会のまだ成し遂げていない仕事の目立った部分として見ているものー性的虐待の犯罪と同様に隠ぺいについての説明責任をしっかりと果たすことーについて公けに語らねばならない、ということだ。

 今、明らかなのは、カトリックの聖職者が児童に対する性的虐待で訴えられた場合、躊躇なく調査し、訴えが信用できると判断されれば、速やかに厳しい処罰をくださねばならない、ということだ。だが、現実は、司教や他の高位聖職者が犯罪の隠蔽で訴えられた場合に、誰が取り調べをし、どのような手続きがとられ、どのような処罰を下すのか、まったくはっきりしないままにされている。

 説明責任が言われながら(重要な部分は)秘匿されたままだ-それが、カトリック教会がいまだに自らの行為を正していない、と抗議する際に、関係者が指摘する最も重要な点である。

 もしも、2月の世界の各国司教協議会会長が集まっての会議で、以上の二つ課題について現状を突破するような結果が出ないならば、彼らが持って帰るのは、冷笑されるような、表面を繕った儀式の産物、教皇フランシスコが取り戻そうと懸命に努力したであろう素晴らしい姿さえも幻滅させるもの、となるだろう。

 来年2月の終わりまでに、先に二つの課題について、バチカンが重要な前進みせることができる、と信じるのは、理にかなったことだろうか?

 そうかも知れないし、そうでないかも知れないが、バチカンが12日に発表した短い声明にさえ「透明性」あるいは「説明責任」という言葉がない、ということに気づくのが、最も明るい兆候ということは恐らくないだろう。(二つの課題について、前進できるかどうかは)教皇が、司教たちの議論を「弱者保護」に集約させられるかどうかにかかっている。

  2月の”サミット”召集の提言が枢機卿顧問会議-メンバーにバチカンの弱者保護委員会の長を務めるショーン・オマリー枢機卿がいる-から出されたという事実は、サミットの最重要課題として考えられているのが、まだ性的虐待対策を進めていない国の司教協議会に取り組みを強く促すことだ、ということを示唆しているようだ。それが、オマリーの委員会が当初から最優先課題としていることだからだ。

 そのような対策が前進を見せるとして、それがサミットの成果のすべてだとしたら、現在の状況の中で本当の前進と判断されるものとして多くの関係者-事の成り行きをしっかりと見つめ、メディアの報道形成を助けることになる性的虐待被害者や監視グループを始めとする人々-が抱いている期待を満たすことにはならないだろう。

 また、予定されるサミットの開催期間がたった3日ととても短いこと、参加者が言いなりになるような人々でなく、各国の司教協議会で選ばれた指導者-前もってお膳立てしたものを無理やり飲み込まされるようなことを素直に受け入れることがありそうもない人々-であることが、おおくのものを成し遂げることを困難にするかもしれない。

 その一方で、このサミットが本当に期待される結果を出すと考えたらどうだろう。全く急に、バチカンの財政・金融などいくつかの分野で結果を出すことに失敗しつつあるように見えた教皇が、過去二代の教皇が成しえなかった改革を成し遂げ、恐らく、宗教改革以来、最大の危機に大胆に立ち向かうリーダーと見られることになるだろう。

 言葉を換えれば、教皇フランシスコは、もしうまくいかなければ、損失を被る大きな取引、うまくいけば利益を得る大きな取引-辞書の定義によれば、「いちかばちかの一手」-に踏み出したのだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

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2018年9月14日