・シノドス3日目:全体会議で性的虐待問題、デジタル社会における若者の問題も(バチカン放送)

(2018.10.5 バチカン放送)

 バチカンで開催中の「若者、信仰そして召命の識別」をテーマにしたシノドスは5日、3日目を迎え、午前中に第4回目の全体会議、午後には初めての分科会が開かれた。

 午前に行われた全体会議では、前日に続いて、シノドス討議要綱の第1部「認める:現実に耳を傾ける教会」をテーマに20名の司教が発表し、さらにシノドスに特別に招かれた人々や傍聴者たちが発言。傍聴者たちからは、「教会がより信頼を得るために、教会関係者による虐待問題に対する、確固とした、透明性のある対応が必要」との訴えがされたほか、信仰を励ますために「教会生活における女性の役割を価値づけて欲しい」との声があった。

 「今日、若者について語る人は多いが、若者に語りかける人は少ない」という、福者パウロ6世の言葉にあるように、このシノドスでも「耳を傾ける」ということがキーワードの一つになっている。この日の全体会議では、司教たちから、若者たちに「耳を傾ける」ための様々な方法の一つとして、”デジタル社会”における若者たちの現状、インターネット上のいじめや、情報過多の中でかえって夢を失っている若い人たちの状況を知る必要がまず、指摘された。

 一方で、「若い人々の前向きの姿勢をを見つめよう」として、「若者たちの友情や、連帯、ボランティア精神、言動の純粋さ、彼らが市民社会に言動一致を、教会により喜びと福音性を求めている」ことを挙げる意見もあった。

 さらに、今日、大人になっても、「いつまでも若者のままであり続けよう」とする傾向が、青少年たちに拠り所となる存在を見失わせており、若者たちは「自分たちのために時間を割き、尊重し、召命や人生の選択・識別を見守ってくれる大人を必要としている」との指摘があった。

 若者たちが教会生活に積極的に参加できるよう、ミサや、日常の祈り、秘跡をより生き生きとさせ、彼らの心に届き、喜びとインスピレーションを与える説教に努める必要がある、バーチャルな友達をたくさんいるが真の友人はわずか、という「たくさんの友人に囲まれた孤独」の中にある若者たちに、教会は充実した答えを与える可能性を持っている、とする意見もあった。

 「青少年の育成」という観点からは、教会の社会教説が若者たちの人生の羅針盤となっているのと同様、カトリック系の学校も良質の教育を与える場となっているが、「若者たちを完全に教会生活に関わらせるには至っていない」と自戒する声も出た。

 「教会と家庭の協力」の必要も強調され、特に、「母性と助け合い、補い合いながら、子に信仰を伝え、アイデンティティーの成熟を促す柱」となる父性の役割を見直す必要、との指摘も出た。シノドスに特別に招かれたテゼ共同体のブラザー・アロイスは、同共同体創立者ブラザー・ロジェの「教会が耳を傾ける時、それはあるべき姿、愛の共同体となる」という言葉を紹介。聖職者だけでなく、信徒も耳を傾ける、教会としての「聴く」使徒職の大切さを語った。

 (以下はVaticanNews より)

「自分たちも、問題解決に参加したい」「女性の役割向上が必要」と若者たち訴え

 続いて、全体会議に”聴講生”として参加した男女の若者8人から意見を聞く機会が設けられた。ここでは、「若者たちは単に統計的に分類されるのではなく、現在の問題解決に参加したい、と希望している」ことが指摘され、若者たちにある種の”優先的な選択権”ー排除のシステム、平等と正義を支持しないシステムによって傷つけられた若者たちは、意見を聞かれ、具体的な方法で助けられる必要がある、という意味でのーを求める声もあった。なぜなら、彼らは”現在の貧民””捨てる文化”の犠牲者となる恐れがあるからだ、という。

 今、「若い」ということは、根を持たず、“nati liquidi”(液状の状態に生まれあわせた)「捨てられる者の階級に属する」ことを保証されているようだ、との指摘もあった。現代の若者たちは不確実で脆弱、しばしば策略によって動かされ、未来を奪われるが、その一方でなお、「自分たちが一員として扱われ、歴史の主役、権力ではなく奉仕のための創作者となることを許される世界」を夢見ている、との訴え、カトリック教会が信頼を高めるために、人々が性的虐待に反対する断固とした姿勢をとり、公明正大であることを強く求める声もあった。

 そして聴講生たちは最後に、教会生活で女性の果たす役割をもっと高く評価することが不可欠であり、それによって、女性たちはイエスを信じることの自由の中で成長するように励まされていると感じることができるようになる、と強調した。

(編集・翻訳「カトリック・あい」)

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2018年10月6日