・”サミット”3日目の会見-「性的虐待犠牲者の証言が、司教たち全員の心を動かした」

(2019.2.23 Vatican News)

 「教会における未成年者保護」に関する”サミット”は3日目の23日、「透明性」に焦点を当てた討議を行い、同日夕に、アフリカの修道女、イエズス会総長、ドイツ司教協議会会長も出席して記者会見が行われた。

 会見の冒頭、3日間の会議の司会を務めたフェデリコ・ロンバルディ神父(イエズス会士)から発言があり、21日からこれまでの「会議で最も強い印象として残った」のは22日夕方行われた虐待被害者の証言だったとし、「彼の証言に、誰もが深く心を打たれました」と述べて、「個人の話を聴く」ことが重要な結果を生むことを確認した。

 さらに、今回の会議への女性の貢献について触れ、バチカンの信徒・家庭・いのちの部署のリンダ・ギソーニ家庭局次長が「キリストにおける交わり:共に働くために」を、ナイジェリアのシスター・ベロニカ・オペニボが司教たちに「開かれた心:世界に向けて」をそれぞれテーマにして語り、出席者に大きな示唆を与えたことを強調した。そしてこの会議の3日間で、参加した司教たちの態度と感じ方がすでに変わって来た、と指摘、少人数に分かれた作業部会での掘り下げた議論と結論をもとにしたフォローアップが特別に重要となることを強く訴えた。

*今回の”サミット”で虐待への対処は”帰還不能点”を越えた

 バチカンのパオロ・ルッフィーニ広報省長官は作業部会での議論を要約。「未成年保護」のこの会議で「前向きな意味での”帰還不能点”を越えた」とする意見が出たこと、いくつかの作業部会は被害者への寄り添いと被害者たちとその家族との関係の再建の重要性が議論されたこと、他の作業部会では、協働制とシノドス方式が取り上げられ、どのように取り入れていくかについて議論があったこと、などを説明した。さらに、一般信徒と家庭の役割、神学校での訓練と司祭への育成、司祭候補の適任者のより綿密な選抜の必要性も議論され、家庭における危機が、子供たちの「情緒的未成熟」の原因の一つになることも指摘された、と報告。教会と世界における未成年者の保護を確かなものとするために、「全ての神の民が責任を果たすよう求められている」ことが、共通の結論となった、と述べた。

*「言葉」を「事実」に即して「翻訳」することの重要性を認識

 ドイツ司教協議会会長のラインハルト・マルクス枢機卿は3日目、23日の会議の主題となった「神を信じる者たちの共同体における透明性」について言及。前日にバチカンの外で、性的虐待被害者団体のEnding Clerical Abuseに所属する16人の被害者と90分にわたって面談し、「何年も前にはできなかったような形で、意見を交換し… 実際に、『対話と開かれた心』の分野で進展がありました」と述べ、「言葉を事実に即して翻訳する」ことの重要性を強調。「訴えるだけでは不十分。観察し、正しいかどうか確かめる必要があります。ガイドラインに示されたこと確実に行うように」としたうえで、今回の会議を「一歩前進」だが「良い前進」と評価した。

*「治療」のためにも「原因の究明」が必要

 また、イエズス会のアルトゥーロ・ソーサ・アバスカル総長は「正義と癒し」「説明責任」「沈黙の文化の回避」「誤ちに赦しを乞うこと」「矛盾なく、首尾一貫して前進すること」について語った。また司祭の育成についても言及し、「健全な関係をもつことのできる情緒的な成熟」がなされるような訓練の必要性を指摘。さらに、「性的虐待についての真相を認識することは、それ自身が大きな前進となる」が、「治療法を探し、対策をとるために、その原因を確かめること」も重要だ、と述べた。

*虐待に終止符を打つため、”たらいまわし”にせず、司教を含め全員が働くこと

 ナイジェリア出身で「聖なる幼きイエス会」の総長、Sr.ベロニカ・オペニボは、22日夕の性的虐待被害者の証言について「話を聴いて、会場に何かが起きました… まるで、彼女が経験したことを私たちが目撃したようでした」と語り、被害者の感動的な証言が、司教たちの「聴き、共感し、同情する」能力を高めた、と指摘。彼女自身の印象として、私たち全員がどのようにして「希望の民」とならねばならないか、を心に留めた、と述べるとともに、「私たちは若者たちだけでなく、傷つきやすい全ての人々の安全を確保する計画に関与せねばならなりません… 虐待に終止符を打つために、司教たちと”たらいまわし”にしするのではなく、私たち全員が共に働かねばならないのです」と強調した。

*大きな女性の貢献、開示の文化、交わりと分かち合いの重要性

 会見の最後に、マルタのチャールス・シクルーナ大司教も今回の”サミット”に対する女性の貢献を讃え、「私たちが必要とした叡智をもたらしてくれたのは、女性たちの尋常でない証言でした」と述べ、教皇フランシスコの「女性としての教会」の定義を思い起こした。また、「開示の文化」を改めて主張し、透明性の確保を「交わりと分かち合い」として語り、司教が、被害者たちともっと意思疎通を図る必要がある、と述べ、ります… 彼らが「知らされていない」ことを指摘するとともに、彼らにも「演じるべき役割」を確認した。そして話の締めくくりに、大司教は、司教たちに寄り添ってくれた世界中の全ての人々、 祈りと共に会議に参加した人々の感謝するとともに、「私たちがきちんと始末をつけないなら、神の助けが必要になる」と述べた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

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2019年2月24日