・”サミット”最終日の終わりに―教皇、枢機卿、司教たち全員で、司祭の性的虐待を見逃してきた罪を告白

 バチカンで行われている”性的虐待サミット”3日目の23日夕、全世界の司教協議会会長や主要修道会総長たちが共同回心式に参加し、自身の良心の究明と罪の告白を行った。 

 「私たちは告白します、カトリック教会の司教たち、司祭たち、助祭たち、修道者たちが子供たちや若者たちに暴力を振るってきたことを、罪を覆い隠してきたことを、多くの犠牲者たちの苦しみを真実と認めなかったことを、私たち司教が自らの責任に恥じない行動をしなかったことを」

 教皇フランシスコと約200人の枢機卿、司教、そして他の教会の指導者たちによる集団告解は、「教会における未成年者保護」の会議の最終日を締めくくる赦しの秘跡の典礼で、恐らく最も印象的な場面となった。 「主イエス・キリストよ。罪人である私たちに憐みをくださいますように。Kyrie eleison」

 典礼は聖歌に始まり、詩編の朗読、ルカ福音書の放蕩息子のたとえ話の箇所の朗読と続き、福音書の朗読を受けて、ガーナのタマレ教区のフィリップ・ナーマ大司教が説教に立ち、「あまりにも頻繁に、私たちは沈黙を続け、見てみぬふりをし、争いを避けてきました-教会の暗黒面と向き合うことに独りよがりであり過ぎました。私たちへの信頼を無駄にしてきたのです」と自戒を込めて語った。

 そして、放蕩息子は、「自分の社会的地位、恵まれた資産、名声」を含めたすべてを失った、と述べ、ナーマ大司教自身と司教たちに問いかけた―「もし私たちが同じ運命に遭ったら、驚くべきではありません。そのことで不平を言うべきではありません。かわりに、私たちは、尋ねるべきです-他に何をすべきか?と」。これに自答する形で、「教会の指導者たちは、すすんで放蕩息子の足跡をたどり、自分たちの過ちを認め、告白し、そのことを公に語り、その結果起きることを受け入れる用意をすることができるし、せねばなりません」と訴えた。

 また、大司教は、このサミットが第一歩に過ぎないということを確認し、「福音に述べられた家に戻った息子のように、何もかもがまだ、達成されていません。少なくとも、彼は兄と和解せねばならないのです… 私たちも同じことをすべきです」と語り、神の王国の確立に寄与するために、「信徒たちの集まりと教会共同体で自分たちの兄弟姉妹と和解し、彼らの信頼を取り戻し、自分たちと協力しようとする前向きな姿勢を作り直す事が求められていること」を強調した。

 説教の後、参加者たちは再度、性的虐待の犠牲者から、虐待で受けた、一生続く傷ー屈辱、困惑、現実からの逃避、自分自身からさえ逃避したいという強い願望ーについて話を聴いた。彼は「いちばん傷つくのは、誰も自分を分かってくれないことです。その傷は一生続くのです」と傷の深さを訴えたが、話の最後に、「今、私はもっとよく、このことを向き合おうと努めています。生きることを認められる神からいただいた権利に注意を向けようとしています。私はここにいることができるし、いるべきなのです。それが、私を勇気づけます」と傷を克服する前向きな姿勢を示した。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年2月24日