・「謙遜の心をもって使命を果たします」-オロリッシュ新枢機卿が抱負+評論

 

 Archbishop Jean-Claude Hollerich S.J.Archbishop Jean-Claude Hollerich S.J. 

(2019.9.2 VaticanNews Manuela Affejee and Linda Bordoni )

 10月5日の枢機卿会議で叙任されることが決まった13人の枢機卿の1人で、元上智大学副学長のジャン・クロード・オロリッシュ・ルクセンブルグ大司教が1日午後、教皇フランシスコの新任発表の後、VaticanNewsの電話インタビューに応じた。

 オロリッシュ大司教は、1日正午の祈りの中で教皇が発表された新枢機卿の中に自分が含まれているのを知ってまったく驚いた、という。

 「私は今、一週間の休暇でポルトガルにいますが、日曜朝のミサを終えて教会から出ようとすると、お祝いの言葉が寄せられ始めました… でも、どうして祝ってくれているのか、私は分からなかったのです」と語った。

 そして、枢機卿に選ばれたというニュースを聴いて、最初に頭に浮かんだのは、この日のミサで読まれた福音書、「祝宴に招待されたものが、なぜ、上席を選ぶべきでないか」(ルカ福音書14章7節から)についてイエスが語られた例え話だった、という。

 「これは、教会に仕える使命を果たし続ける中で、私がいつも心に留めていることなのです… いつも、この福音のことばに耳を傾けることができるように、そして枢機卿として、教皇に、教会に、そして神の教会を形作っている全ての女性たち、男性たちに真に仕える者となります」と大司教は誓った。

 

 オロリッシュ大司教がVaticanNewsの電話インタビューで語られた言葉は、まさに彼の本心だと思う。筆者が大司教に近しく接したのは十数年前、バンコクで勤務していた時のこと。当時大司教は上智大学の学術交流担当副学長としてしばしばタイを訪問され、そのたびに、私たち卒業生、バンコク・ソフィア会の夕食会に出てくださった。そこで、どのような会話がされたのか、詳細は記憶していないが、ソフトで、謙虚で、何でも気楽に話せる司祭だ、という印象が強く残っている。

 中学、高校、大学と10年にわたってイエズス会の学校に世話になり、卒業後もOBとして様々な関わりを持ち続けた筆者は、親しく接させていただいたイエズス会士が何十人といるが、第一印象が「シャープ」「切れ者」で、どちらかというと近寄りがたい方(後になってそうでないことが分かったが)が少なくなかった。そうした中で、大司教は稀有な存在だった、と言ってもいい。

 何回かバンコクにおいでになった時。大司教(当時は副学長)のリーダーとしての将来に期待を強めていた筆者は、疲れ気味で、少々おなかも出てきたように見えたのが心配になり、「あまり無理しないで。それと、もう少し運動した方がいいですよ」とご忠告申し上げると、少し恥ずかしそうに、「ええ、そうですね」と答えられたのを記憶している。

 8年前に前教皇ベネディクト16世から故郷、ルクセンブルグの大司教に抜擢され、さらに昨年春からは全欧州の司教団のトップに立った。聖職者による未成年性的虐待、と隠ぺいの事実が次から次へ、国から国へと発覚し、教会の信用が失墜、ミサに出る信徒も減少が続く欧州で、教会のかじ取りをするのは至難の業だろう。

 そして、教皇フランシスコの教会改革路線に抵抗する高位聖職者も目立つ中で、今回、枢機卿という、多くの難題解決に苦闘する教皇を同じイエズス会士の側近として補佐する役割も担うことになった。「教皇に、教会に、そして神の教会を形作っている全ての女性たち、男性たちに真に仕える者」となることを誓ったオロリッシュ新枢機卿が、その「謙虚さ」の真価を発揮するのはこれからだ。

(南條俊二)

 

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2019年9月3日