・「聖霊は、教会の外でも、異邦人の上にも働かれる」教皇、四旬節黙想会を終了

教皇フランシスコと、黙想指導を務めたデメンドンサ神父

(2018.2.23 バチカン放送)教皇とバチカンの高位聖職者たちが参加して、ローマ郊外アリッチャで行われていた四旬節黙想会は23日、最終日を迎え、同日午前、黙想指導を務めたジョゼ・トレンティーノ・デメンドンサ神父による最後の講話が行われた。

 「渇く者は幸い」と題されたこの講話で、イエスの「山上の説教」(マタイ5章1-11節)を取り上げ、ここでイエスが語られた言葉は「単なる掟以上のもの」であり、「生き方を形作り、人間の存在意義を問い、終末論的地平を見据えさせるもの」とした。

 また山上の説教は、「イエスの正確で魅力的な自画像でもあります」と述べ、「貧しく、柔和で、憐れみ深く、義に飢え渇き、平和の人であり、すべての人を受け入れるイエスの姿」をそこに見つめた。

 そして、山上の説教がイエスの自画像であるなら、「私たちもまたイエスと似た者となるために、イエスの御顔に重ねて自分を変容させ、イエスの生き方を自分の生き方としていかなければならない、と思います」と説いた。

 また、「『渇くことの幸い』を知ることが、今、私たちに必要とされています」と強調し、「信者にとって最悪なのは『神に満ち足りている』状態であり、これに対して、幸いなのは『神に飢え渇いている』人々です」と語った。

 さらに、「信仰において『渇き』を解決することは求められません。むしろ神に対する熱望を広げ、神の探求をより深めていくことが必要なのです」としたうえで、「私の渇きを『私の幸い』認識し、自分の信仰の渇きと和解していかねばなりません」と訴えた。

 続いて、神父は、「幸いな人、マリア」を観想。受胎告知の場面で、神と率直に対話し、驚きや疑問を隠すことなく表し、最後には神に無条件に「はい」と答えるマリアから、「神の救いにありのままの自分を信頼して委ねること」を学ぶように勧め、「耳を傾け、命に向かって開き、神の前に率直なマリア」を教会の模範として示し、「マリア欠いた教会は、忙しく立ち止まることを知らない、機能だけの、人間性を失ったものになる恐れがあります」と話した。

 黙想会終了の挨拶で、教皇フランシスコは、四旬節第一主日後の金曜日であるこの日に、「平和のための特別な祈りと断食」を改めて呼びかけ、特にコンゴ民主共和国、南スーダン、イラクのために祈るよう招かれた。

 続いて、参加者を代表して、デメンドンサ神父に対して、「黙想会中、あなたの一連の講話を通して、『群れ』としての教会の姿を生き生きと感じることができました」とお礼の言葉を述べられ、「特に、教会は『聖霊を閉じ込める檻』ではなく、『聖霊は、教会の外でも働き、異邦人の上にもその賜物が注がれたこと』を黙想会は思い出させてくれました」「現代にも百人隊長のコルネリウスのように、内的な探求を生き、神の呼びかけを聞き分けることのできる人々がいるのです」と語られた。さらに、「固く閉じた教会ではなく、恐れず、聖霊に開いた教会に対するビジョン」を示したこの黙想会に感謝された。

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2018年2月24日