・「Compassionをもってキリストを証しするように」-教皇、枢機卿たちに求める

(2019.10.5 VaticanNews)

 教皇フランシスコは5日、の公開枢機卿会議での新枢機卿の叙任にあっての説教で、神のCompassion(強い共感)』を認識することの重要性を強調された。

 説教で、教皇はまず、「Compassion(魂を揺さぶるような強い共感)』は福音書のキーワード。それは、神の心の中に常に刻まれています」とされた。

*イエスの compassionは揺らぐことがない

 そして、苦しんでいる人たちにイエスが示されたcompassionの例を挙げ、「福音書のそうした箇所を読めば読むほど、私たちはもっと深く考えます… 主のcompassionが、時折の、散発的な感情ではなく、常に変わることのない、揺らぐことのないものであり、主の心の姿勢そのものであることを、もっと実感するようになります」と語られた。

 

* compassionは神の心に刻まれている

 教皇は「イエスは、神の意志を、罪の苦しみにさいなまれた男女を清めることで具現化されました。彼はそうした人々に差し出された神の手、私たちの病んだ肉体に触れ、深い割れ目で引き裂かれた所に橋を架けることで,業を成し遂げられます」、さらに「イエスは、見捨てられ、希望を失った人々を探しに外に出ます」と述べ、このようなcompassionは神の中に常に存在し、「父親としての神の心に刻まれているのです」と強調。

*だが人がcompassionを欠くことは頻繁にある 続けて、教皇は「ご自分の民に対する神の愛はcompassionで満たされているが、悲しいことに、人がcompassionを欠くことは頻繁にあります」とされた。そして、イエスの弟子たちもよく compassionを欠くことがあり、イエスの話を聴きに集まった人々がお腹をすかせた時、弟子たちは彼らに「食べ物の心配は自分でするように」と言ったが、「このような態度は、私たちの間で普通にあることです… 常に正当化されます… 時として、それは法文化され、『制度的な無視』を生み… compassionを欠いた制度を作り出します」と警告された。

*枢機卿たちに問う-自分がcompassionの対象だと意識しているか? そして教皇は、集まった枢機卿たちと新たに枢機卿となる人たちに向かって、「神のcompassionの対象、常に神の慈しみに導かれ伴われる対象となっていることを意識していますか?」「私たちは、神が私たちに感じておられるcompassionをはっきりと認識していますか?」と尋ねられ、「もしも、神のcompassionの対象に自分がなっている、と感じないなら、神の愛を分かることはできません」と言明。「もし感じないなら、どのようにすれば、それを分かち合い、証人となり、他の人々に贈ることができるのでしょう?」と改めて問いかけられた。

*compassionを示せないなら、枢機卿の職務に忠実であることはできない

 さらに、教皇は、私たち自身の職務に忠実である能力はcompassionの認識に依拠しており、「あなた方の式服の真紅の色が示すように、枢機卿として自分の血を流す準備が出来ていることは、自分にcompassionが示されている認識、自分もcompassionを示す能力に、それが依拠しているなら、保証されます。そうでないなら、職務に忠実であることはできません」と枢機卿、新枢機卿たちに注意を促された。 そして、「聖職者たちの間の、忠誠を欠いた多くの行為は、compassionを示されない感覚の欠如から生まれます… そして、視線を避ける習性、無関心の習性によって生まれます」とも警告された。

*compassionate の心を持つ恵みを祈る

 最後に教皇は、compassionの心を持つ恵みを求める次の祈りで、説教を締めくくられたー「私たちを励ましてくださる方、私たちを選び、聖別し、あなたの救いの福音を全ての人にもたらすように派遣された方の証人となりますように」。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2019年10月6日