・「性的虐待スキャンダルへの対応に連帯が必要」バチカンの女性次官補が訴え(VaticanNews)

(2018.11.30 VaticanNews Alessandro Gisotti – Vatican City)

 来年2月の児童保護の全世界司教協議会会長会議について、バチカンの信徒・家庭・いのちの部署の女性次官、ガブリエラ・ガンビーノ氏がインタビューに応じた。

  教皇フランシスコは8月20日付けの聖職者性的虐待スキャンダルに関する「神の民への手紙」で、「神の民の全ての人が積極的に参加しない限り、カトリック教会としての私たちの活動が変わることは考えることができません」と強調された。これが、2月の会議の準備委員会に関わるガブリエラ・ガンビーノ、リンダ・ジソーニの2人の同部署次官補の信念でもある。

 ガンビーノ次官補は、準備作業への考え方と同部署が弱者保護にどう貢献していくかについて、次のように語った。

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問い:重要で開催の待たれている2月の会議に関する仕事に、どのように対応しようとされていますか?

答え:カトリック教会への深い奉仕、そして、真実、正義、善に対する愛から生まれる精神をもって、対応するつもりです。私たちの仕事は、個人のレベルと組織のレベルの両方で、世界のどの国においても、この問題と対策にまだ重きが置かれていない地域においても、虐待に対する価値観と原則が再建されるようにすること。この問題がデリケートで容易でないことに少々の恐れを抱いてこの仕事をお受けした、のが正直なところです。

 女性、一般信徒、そして母として、私たち皆が求められている共同責任と、私たちの子供が受けたかもしれない被害者の受けた恐怖を認めざるを得ません。私たちは皆、教会の内と外で、このようなことが起きるのを許してきた考え方、習慣、文化を大胆に変革するための条件をそろえるために、力を合わせる必要があります。

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問い:虐待スキャンダルに関する神の民への手紙の中で、教皇は一般信徒に対して、司教たちと教会を助けてくれるように求められました。2月の会議で強められるであろう、この旅への、一般信徒の具体的な貢献とは何でしょうか?

答え:虐待を好むような心理が、「理論上の、あるいは抽象的なもの」ではなく、「最も小さく、最も弱い者たちを害し、搾取する能力を持つ連中によって、具体的で、確認できる行為と態度によって明示されたもの」であることを、司教たちが理解するのを助けることです。

 私たちは、「一般信徒が被害者の立場に立って、重要な役割を果たすことのできる監督の仕組みと場」を作る時が来たことを、司教たちが理解するのを助けることができます。緊急に十分な介入が求められる危険な状況を認識するために、一般信徒を関与させる積極的な介入の規範を学ぶ可能性がある、とも考えています。

 国レベルでは、女性、児童、傷つけられやすい成人に対する虐待が、様々な形で、どのようになされるのかを、解明する必要があります。また、有能で、訓練された一般信徒-親や教育者として、日々、人間的な弱さと接している経験に基づいた貢献ができる人たち-が求められています。

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問い:そのようなことを、どのようにして、具体的な行動に移してしていけるでしょうか?

答え:共同責任と透明性の実現への熱意を行動に移すために、まず、聖職者も一般信徒も、皆が関与する必要があります。そうすることによってのみ、教会は、何よりも、重大な暴力行為を二度と起こさせないために、持てる資源の全てを効果的に活用することができるのです。

 一般信徒として、私たちは、子供たちが成長していく、学校、小教区、家庭など様々な教育の場の間の連携体制を作り上げねばなりません。そのような連携体制は現在は、存在せず、あるいは中身がなく、親として私たちは無力さを感じることがしばしばあります。小教区で、学校で、信徒の運動と集まりで、確実な予防を目的とした協力が行われるような連携体制を、私たちは再建する必要があります。

 教皇が「神の民への手紙」で私たちに思い起こさせたように、私たちは、カイン(注:アダムとイブの子。弟アベルを殺し、「弟はどこにいるのか」と主に聞かれて、「私は弟の番人でしょうか」とうそぶいた)ではない。恐れることなく、責任感をもって子供たちを守るために、私たち自身が互いに「保護者」にならねばなりません。

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問い:虐待スキャンダルで、教会の信頼性を試されています。「裏切られた」と感じている多くの人々の信頼を取り戻すために、どこから手を付ける必要があると考えますか?

答え:先ほど申し上げたように、教会は、こうした犯罪を防止するとともに、虐待者を抑え、罰する具体的な手段を持つ必要があります。虐待の防止には、法的な措置を明確に定義する一方で、機構、文化、慣習を改める具体的な条件を整えようとする判断が必要です。その条件の一つは修道者と神学生の育成についての改革を実行すること。私個人の考えでは、例えば、貞潔で独身であるように彼らを養成する過程で、彼ら自身の性欲と感情のバランスに、これまでよりも大きな注意を払う必要があります。現実の問題は、実際のところ、私たちがどのようにして、自分の性欲を知覚し、理解するか、なのです。

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問い:教会の善行を具体的に示すことも重要でしょうか。

答え:そうですね。重要だと思います。教会での善行を思い浮かべたり、目の当たりにすることで、一般信徒の信頼を取り戻すことができるでしょう。善は存在しますし、たとえ人間の原罪が最悪であることを見せつけられても、神の愛である聖霊は、忍耐強く、キリストを同伴者である人間の側に立たせてくださいます。

 ですが、疑惑の風潮が蔓延し、キリストへの本物の愛を証明することが教会に求められているのも確かなことです。イエスは全てのものの中心であり、光。聖職者が、日々の生活と司祭の召命を通して明示すべき、具体的な存在です。カトリックの価値観に基づいた子供の育成を、小教区、祈りのセンター、カトリック校に任すことができるように、「善」を目の当たりにすることが、信徒たちには必要です。教会は、真理とキリストの愛をもった勇気ある牧者を必要としています。子供たちのために必要な、人、父親、教育者としてのお手本なのです。

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問い:バチカンの信徒・家庭・いのちの部署での責任ある立場の前に、母親として、「2月の会議」にどのようなことを希望しますか?

答え:虐待の問題を理解するために、知的で果断な熱意、教会内部の議論、事実と善に対する透明性が示されることを希望しています。事実を恐れる必要はありません。2月の会議で、虐待を防ぎ、止めさせるために、広く知られている法律的な見解を即座に活用できるようにすることが、望ましい。愛である教会が、正義と真実が出会うことのできる場となるように行動する時が来ているのです。教会は「愛する母」として、すべての子供たちの世話をするように、神から委託されています。犠牲となる恐れのある人を守るために、事前に情報を受けたり、関係者の間に入る条件や制度を整えることは、それが加害者に対することになるとしても、正義の行為であり、愛の行為でもあります。そうすることが、教会にとって、虐待の問題で失った信頼を回復させる道なのです。

 (以上・翻訳「カトリック・あい」南條俊二、田中典子)


 

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2018年12月1日