・「他の人に歩き方を強要せず、寄り添い、待つことが必要」新求道共同体50周年で教皇

教皇、新求道共同体関係者らとの集い  05/05/2018 20:30: バチカン放送

 (2018.5.5 バチカン放送)教皇フランシスコは、新求道共同体のローマでの活動50年を記念する集いに参加された。

 「新求道共同体」は、1964年、スペインでキコ・アルグエヨ氏とカルメン・エルナンデス氏によって始められた教会運動。現在、同共同体は世界134か国に広がっている。今年は、新求道共同体の活動が、1968年、ローマにもたらされてから50年目を迎える。これを記念し、5月5日、ローマ郊外トル・ヴェルガータで開催された新求道共同体の国際大会には、世界各国からおよそ10万人が集った。

 教皇は、新求道共同体の50年の節目を、愛において忠実である神への「感謝」という言葉で表された。また、これを機会に、同共同体の宣教者らにも感謝を述べた教皇は、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28,19)という復活のイエスの言葉を思い起こされた。

 イエスの「行きなさい」という言葉にあるように、宣教とは旅立つことを要求すると教皇は指摘。

 人生にはリスクを避けてその場に留まろうとする強い誘惑があるが、「行きなさい」というイエスの言葉には、神の愛の喜びをまだ知らない兄弟を探してこの世を巡礼するために、常に外に向かうようにとのイエスの明白な招きがあると述べられた。

 外に出ていくためには身軽でなくてはならない。福音を告げるためには、捨てることが必要と教皇は述べ、世俗を捨てることのできる教会だけが、主を告げ知らせることができると説かれた。

 教皇は、イエスの「行きなさい」は複数への呼びかけであることに注目。一人で行くのではなく、共に歩むことは非常に宣教的であると話された。共に歩むのは常に学ぶべき技術であると教皇は述べ、他人の歩き方や歩幅は自分とまったく同じではないことを忘れず、信仰や宣教においても、他の人に歩き方を強要するのではなく、寄り添い、待つことが必要と語られた。

 イエスの「弟子にしなさい」という言葉に宣教の使命を示された教皇は、弟子にするとは、征服することでも、占領することでもなく、自分が受け取った恵みを他の人々と分かち合うことと話された。さらに、イエスが「すべての民を」と言っていることについて、教皇は、イエスの心はすべての人々に開かれており、誰一人除外されないということ、と強調された。新求道共同体のカリスマを、今日の教会に与えられた神の大きな贈り物と述べた教皇は、神に信頼し歩み続けるよう、関係者らを励まされた。

(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集)

注・新求道共同体は、1964年にスペイン人信徒キコ・アルグェヨ氏らによって創設された「キリスト教入信と信仰の継続養成の一つの方式」。(「新求道共同体道」規約より)。日本では1970年代に広島教区でその活動が開始され、その後高松教区をはじめいくつかの教区に活動は広がった。2008年にその規約が教皇庁信徒評議会によって認証され、カテキズムも教理省によって認証を受けているが、日本ではかつて主に高松教区に創立された国際神学院の問題を核として、小教区における信徒の分裂の問題などがたびたび指摘され、それに伴って当時の教区司教を被告とする裁判にまで発展するなどトラブルが深刻化。ソウルの金枢機卿(故人)が、教皇特使として高松教区へ派遣されるほどの深刻な事態となった。その後も日本の司教団がたびたび教皇庁と話し合いを行い、その結果、2008年には高松教区の国際神学院は閉鎖となり、同共同体の司祭養成はローマへ移転して現在に至っている。前向きの活動が評価されている国もあるが、日本以外の国においても同様の問題が発生している教区がある、との情報もある。(「カトリック・あい」)

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2018年5月8日