・「タグレ福音宣教省長官」は現教皇が就任して以来の最重要人事(LaCroix)

(2019.12.12 LaCroix  Robert Mickens)

   教皇フランシスコと彼のカトリック教会改革への努力の熱心な支持者なら、ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿を、あなたの祈りのリストの筆頭に置くように。

 62歳のマニラ大司教は間もなく、教皇庁で最も重要かつ強力な役所の1つを担当する。そして、そこでのトップとしての任務は、彼にとって、これまでで間違いなく彼の最も困難なものであり、得られる限りの祈りを必要としているのだ。

 12月8日、教皇は1622年に “Propaganda Fide”として創設された福音宣教省の長官に、実際の歳より若く見えるタグレ枢機卿を任命した。彼は1月中旬に、73歳のイタリア人、フェルナンドフィロニ枢機卿ーバチカン外交官として長い経歴を持ち、2011年から長官を務めていたーの後任として長官のポストに就く。

 福音宣教省の長官は、よく「 Il Papa Rosso(赤い教皇)」と呼ばれる。それは、世界の全教会の教区の4分の1にあたる教区を管轄し、膨大な金融資産と不動産を管理・運営しているためだ。

 予想通り、タグレ枢機卿の長官選任は、バチカン・ウオッチャーの間に、多くの論議と憶測を呼んだ。ある者は、次期教皇となるのに必要な味付けと体力強化の機会を与えるために、彼をバチカンに呼んだのだ、とまで言い切った。この種の憶測は脇に置いておいて、この重要な人事の裏に、実際、何があるのか、バチカンと全世界の教会にとって、どのような意味を持つのか、一瞥してみよう。

 

*意表をついた新長官任命のタイミング

 この時期のタグレ新長官任命は誰もが予想していなかった。彼がローマでトップクラスの地位に就く道を走っている、という噂は出ていたが、その発表が日曜日にされるとは誰も予想していなかった。教皇による任命(または指名)が主日に発表されることは、ほとんどない。しかも、この日、8日は無原罪の聖マリアの祝日でもあった。

 毎年、この日は教皇が午後に、聖母像に花を捧げるためにローマの街中にお出かけになるのが恒例になっている。聖母像は、スペイン階段近くにある。その正面の大きな建物はジャン・ロレンツォ・ベルニーニ設計による福音宣教省のビル。タグレ新長官が指揮を執る本部だ。そして、教皇が、その場に到着する4時間前に、バチカン広報が、同省の長官、フィローニ枢機卿が転出し、教皇が後任にタグレ枢機卿を選んだことを発表したのだった。

 聖母像の前で、(長官の座を去ることになった)73歳のイタリア人は自信に満ちた表情で教皇を迎えたが、その笑顔の裏には、何がしかの苦痛、おそらくは憤りが隠されていたようだ。

 定年とされる75歳にはまだ2年を残して、聖墳墓騎士団(The Equestrian Order of the Holy Sepulchre of Jerusalem=教皇庁の保護の下に置かれた信徒の組織。会員らのキリスト教生活の実践を高め、主に聖地におけるカトリック教会の事業と組織を支え助けるのが目的。現在、世界のおよそ40カ国に約3万人の会員を擁する)の80歳になる団長、エドウィン・オブライエン枢機卿(元米ボルティモア大司教)の後を継がされることになったのだから。

 

*”裏切り行為”のイタリア人枢機卿を脇に追いやった?

 この時期の要人交替は、他の理由でも意外なことだった。教皇が現在注力されているバチカン改革が完了するまで、主要部署のトップを交替させることは無い、という見方で衆目一致していたからだ。大刷新がなされるだろうが、それは、バチカン改革を具体的に明示する使徒憲章の発出後。その時期は、来年6月29日との見方が一般的だが、聖ペトロの使徒座の祝日である2月22日となる見方もある。少なくとも、それまでは、75歳の定年を超える人物がトップである場合も含めて、大きな人事はない、と見られていた。

 では、なぜフィローニ長官を更迭することになったのだろうか。一つの理由は、日本の司教たちとのやりとりであった、と考えることができるかもしれない。フィローニ長官に関してよく知られているのは、自身が強力に支持している司祭・信徒の組織「ネオ・カテクメナート」の神学校を日本に開設する計画を、日本の司教たちが拒んだことをめぐって、日本で、彼らを前に熱弁をふるったことだ。

 この国でたった一人の司教が、フィローニ長官の希望を消極的ながら支持した。その人物が、多くの関係者が無念に思う中で、昨年、枢機卿に任じられた。彼の名は、大阪のトマス・前田万葉大司教だ。関係者の中には、教皇が間違った司教に”赤い帽子”を与えた、と本気で信じた者もいたーおそらく、まったく”うっかり”して、かも知れない、と。

 そうした見方の理由として考えられるのが、教皇が枢機卿会議で、新枢機卿任命を発表した際、彼のことを「トマス・アクィナス・マンヨウ」と呼んだことだ。「マンヨウ」が姓ではなく、名だということを、教皇がお忘れになっていたのか、それともご存じなかったのか。彼の姓が「前田」であることは、教皇庁年鑑をみれば簡単に分かることだし、駐バチカン日本大使に聞けば確認できたはずだ。

 前田枢機卿はスペン語もイタリア語も話さない。それで、教皇が彼と枢機卿会議の数か月前に一度だけ会った際、他の司教が二人の為に通訳をした。通訳者が、前田枢機卿の本当の人柄と神学や司牧についての考え方と合致しないような印象を教皇に与えたのではないか、と見る向きもある。確かなのは、浜尾枢機卿が2007年に亡くなって以来、空席となっていた日本の枢機卿に、フィローニ長官が前田大司教を任命するように教皇に強く進言していた、ということだ。

 そして、教皇フランシスコは、11月の日本への司牧訪問の間に、これらすべてについて、もっと学ばれたかも知れない。いずれにせよ、バチカン改革の完了を待たずにフィローニ長官更迭を決断させるような、何かが、教皇に起きたのだ。

 

*裏が表に、表が裏に

 フィローニ枢機卿は熟練の外交官であるだけでなく、熟練したバチカンのインサイダーだが、タグレ枢機卿はそのどちらでもない。

 フィローニはゆっくりと、そして徐々に、バチカン外交官としての階段を登ってきた。彼は勇敢にもイラク駐在の大使を務めた-当時、米英が主導する侵攻軍がその国を荒廃させはしたが。その後、彼は、前教皇ベネディクト16世のもとで、教皇庁国務省の内政担当副長官を務め、さらに福音宣教省長官のポストに就いていた。彼は、バチカンの組織を人並みに知り、それを守り、バチカンのお偉方が享受する特典を手にしている。常に教皇フランシスコへの忠誠を示してきたが、教会についての見方は、保守的だ。

 これに対して、タグレ枢機卿は神学者であり司牧者だ。学問の分野とバチカンの位階制度の中で急成長している。アメリカ・カトリック大学(1889年にワシントン D.C.に設立された米国のカトリック教育の最高機関)で、著名な神学者であり英語版「第二バチカン公会議の歴史」編集者のジョセフ・コモンチャク教授の指導の下で、博士号を取得した。故ジュゼッペ・アルベリゴが指導した「ボローニャ学派」がイタリア語で編纂した5巻シリーズの1章を彼が任されたのも、コモンチャク教授を通してだった。

 ボローニャ派は、「第二バチカン公会議を、それ以前の教会の教えと伝統を決別するもの、ととらえている」として、しばしば誤った批判をされてきた。だが、この派の業績への貢献者であることは、タグレ枢機卿に対する関係者の評価を損なうものではない。ヨゼフ・ラッツインガ―枢機卿(前教皇ベネディクト16世、当時は教理省長官)は、彼をバチカンが後援する国際神学委員会の会員に指名、当時の教皇ヨハネ・パウロ二世は彼をフィリピンの故郷の教区の司教にした。そして、教皇ベネディクト16世は、彼をマニラ大司教にし、その最後の枢機卿会議で、枢機卿に任命した。

  だが、ルイス・アントニオ・ゴキム・タグル(ゴキムは彼の母親の中国の姓)が、今は引退した教皇とだけ良い関係にあったわけではない。すくなくとも一般の信徒からは、常に時々の教皇と良好な関係を維持している、と見られている。そして、今回の福音宣教省の長官任命は、そうした見方を支持しているように思われる。 タグレ新長官は、この役所を率いる二人目のアジア人だ。一人目はインドのアイヴァン・ディアス枢機卿だった。彼はまた、フィリピン人として、聖職者省の長官を務めたホセ・サンチェス枢機卿に次ぐ、バチカンの役所の長となる。サンチェス枢機卿は2012年3月、タグレが枢機卿になる前に亡くなったが、聖職者省の前に福音宣教省で次官を務めていた。

*二人の”よそ者”がバチカンの財務金融を握る重要ポストに就いた

 チトー枢機卿ータグレはそう呼ばれるのを好むーは、この一か月足らずの間にバチカンの統治機構に組み入れられた二人目の”よそ者”だ。1人目は、11月14日に財務事務局長官に任命された60歳のイエズス会士、フアン・アントニオ・ゲレロ・アルベス神父だ。初代長官はオーストラリアのジョージ・ペル枢機枢機卿だったが、未成年に対する性的虐待で逮捕、有罪判決を受けて退任し、長官ポストは空席になっていた。

 ゲレロとタグレのそれぞれの長官任命にはつながりがある。 一つは、聖座のすべての金融関係機関を監督する役割を持つこと。もう一つは、これらの機関の他よりも有利なもののひとつの長だ、ということだ。そして、二人とも、財務・金融管理の手法として透明性と説明責任の強化を図ろうとするなら、強烈な抵抗に遭うことになるだろう。

 教皇がタグレ枢機卿を福音宣教省長官に任命した他の理由として、一部の評論家は、バチカンと中国の関係をさらに深め、北京を訪れたい、という教皇の強い願望を挙げる。

 それは、タグレの母方の祖父が中国からの移民だっただけでなく、彼が​中国と関係を深めようとするバチカンの戦略を全面的に支持している、と見られているためだ。フィローニ長官は、そうした戦略を公けに批判することはなかったが、支持する言葉はとても少ないことが知られていた。

 もっとも、タグレが教皇の最も価値ある役者であることが証明されるのは、金融分野での働きだろう。福音宣教省は、現代にいたるまで、広大な(注:”領地”をもつ)”帝国”であり、他のバチカンの機関からほぼ完全に独立して金融資産と不動産を管理・運用してきた。

 二人の”よそ者”-タグレ枢機卿とゲレロ神父ーはバチカンの金融分野で変化をもたらす可能性がある。だが、それは、最重要の”よそ者”である教皇フランシスコが彼らの後ろ盾になる必要があることを意味する。そのためには、恐らく、彼らに加えるためにバチカンに新たな外部の力を持ち込むことが求められるだろう。

 昨年10月のアマゾン地域シノドスで本格的に始まった「教皇フランシスコの治世の第二段階」は、さらなる、さらに大きなサプライズをもたらしそうだ。

 最近よく使われている言い回しで表現すれば…「こんなのはまだ序の口さ !」

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2019年12月16日