教皇、リマでの130万人ミサを最後に南米2カ国訪問終える

教皇フランシスコ、ペルーの首都リマの空軍基地でミサ – AFP

(2018.1.22 バチカン放送)

 教皇はミサ中の説教で、この日朗読されたヨナ書(3章1-5節、10節)とマルコ福音書(1章14-20節)を取り上げられた。

 ヨナ書では、預言者ヨナが「さあ、大いなる都ニネベに行って、私がお前に語る言葉を告げよ」(3章2節)という主の命令どおり、ニネベに行き、人々の多くの悪のためにこの都は滅びる、と告げ、マルコ福音書では、イエスがガリラヤへ行き、神の 福音を宣べ伝えた、と書かれている。

 教皇はこの2つの朗読箇所に「昨日も今日も様々な場所で働きかける神の姿」を読み取られ、「主は歩まれ、ニネベ、ガリラヤ、そしてここペルーのリマや、トルヒーリョ、プエルト・マルドナドにも来られます」「『インマヌエル』とは、常に私たちと共にいることを望まれる神です」と語られた。

 そして、預言者ヨナは初めて主に召された時、主から逃れようとしたことを思い起こしながら、「私たちもまた、毎日社会で繰り返される不正義や苦しみを前に、ヨナのように逃げ、『どこかに紛れ込みたい』という誘惑にかられるかもしれません」とし、「このような、一つの逃げ、一つの無関心の積み重ねが、私たちの社会を、他人の声を聞きいても心を動かせない社会にしてしまうのです」と話された。

 そうしたヨナとは対照的に、イエスは、洗礼者ヨハネの逮捕のような不正と苦しみに満ちた出来事を前にしても、ガリラヤに行き、その町に入り、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ福音書1章14-15節)と、人々に「神の国」という大きな希望を示された。弟子たちと町に入り、関心をもたれず、罪に打ちひしがれた人々に関心を寄せ、希望をかき消された人々に新しい希望を与えながら、弟子たちにこれまで無視していた世界に目を開かせる。

 そのようなイエスの姿を教皇は観想され、「イエスは私たちの道を歩き続け、兄弟愛が社会の荒廃を克服し、連帯が不正義に勝ち、平和という武器によって暴力が消されるように、私たちの心に再び希望を灯すために、扉をたたき続けます」「イエスは歩き続け、私たちを空虚な関係、平凡な考え方から解放し、私たちが置かれた毎日の場所でパン種となるように招かれるのです」と強調された。

 このように話された教皇は、「イエスと共に町を横切り、イエスの弟子=宣教者として、主が共にいてくださる喜びを、私たちの生活の隅々に伝えることができますように」にと祈られた。

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2018年1月23日