バチカンの「中国外交パズル」の行方は(Tablet)

(2018.1.31 Tablet Christopher Lamb)

 86歳の元気旺盛な陳日君枢機卿は、バチカンが中国共主義政権支配下で長年迫害された司教たちに、中国政府が承認した司教たちと交替するよう要請したと聞き、個人的に教皇フランシスコにメッセージを伝えるために香港からローマへ飛んだ。

 去年の夏、私は偶然、バチカンのサンタンナ門の入り口に通じるBorgo Pio通りを急ぎ足で歩く陳枢機卿に出会った。私が近づくと、「インタビューには歳をとりすぎてますよ」 とこの80代の枢機卿は笑った。しかし、通りで詳細を交わすと、数日後に電話があった。この中国人の枢機卿は「1930年代、上海で、子供のころには父親に連れられて、日曜には5回もミサに行きましたよ」と懐かしそうに語った。カトリックを信仰することが全く自由な時代だった。

 1949年に共産主義政権が樹立して、すべてが変わった。その前年、陳枢機卿はサレジオ会に入り、香港に移っていた。その後、1989年から96年にかけて、教師として中国本土に戻った。そのころまでには、中国政府はカトリック教会を事細かに監視し、政府公認の「中国天主教愛国会」を作り、独自に司教や司祭を任命し、司祭になるための勉強をする者の中にスパイを置いた。

 「私は自分の目で、中国政府が、司教たち―政府公認の教会で、彼らの司教たち―をどのように扱ったかを目の当たりにしてきました。尊敬などみじんもなかった。司教たちは奴隷のように扱われました」と枢機卿は説明した。

 バチカンと中国政府が正式な関係を回復することに、陳枢機卿が強く抵抗するのは、自分がカトリック教会が国家から全く自由な時代に育ち、その後国家権力によって教会が支配されている現実を直接その目で見続けた経験があるからだ。枢機卿は香港司教のポストを退いているが、先の教皇フランシスコとの会見の詳細をマスコミに暴露することで抵抗を続けている。その中で、バチカンの中国政策について、教皇と彼の顧問たちの間に意見の相違があることも示唆した。そうした枢機卿の指摘に対して、バチカンの報道官は「教皇は、中国との対話の経過について、忠実に、詳細に」報告を受けている、と反論している。

 陳枢機卿は、中国政府のもとで「地下教会」のメンバーであることで迫害を受けたカトリック教徒たち、共産主義の権力者から異端扱いされた人々のために発言している。フェイスブックや私的ウエブサイトに「(キリスト教徒は中国の政府、共産党の権力に)屈服するか、迫害を受け入れるか」しかないのだ、と訴えている。報道によると、陳枢機卿の指摘通り、教皇庁は,中国広東省の汕頭市の88歳の(教皇に叙階された)司教を退任させ、愛国カトリック協会で叙階され破門されていた司教に交替させようとしている。退職年齢をはるかに超えたこの司教は、長年にわたり中国問題に取り組んできた元バチカン幹部の大司教から昨年暮れに北京で、役職から身を引くように求められた、という。また、教皇から叙階された別の司教は降格され、愛国協会の司教の補佐司教として働くよう求められた、という。

 陳枢機卿は「バチカンは中国のカトリック信徒たちを売り払おうとしている」と声を上げている。陳枢機卿によると、教皇は先の会見で「私は彼ら(教皇庁の顧問たち)にミンツェンティのようなケースは二度とあってはならないと命じた」と言明した。

 共産主義に強く立ち向かったハンガリーのヨージェフ・ミンツェンティ枢機卿は、8年間投獄されたのち1956年に釈放され、米国大使館に保護された。1971年、教皇庁は、嫌がる(政府に反抗的な)ミンツェンティを説得し、ついに故国ハンガリーを離れさせた。バチカンは、彼をハンガリーの共産党政府が気に入るような、”穏健な人物”と取り替え、見返りに、同政府から幾つかの便宜を得た―それが、当時の教皇パウロ六世と彼の補佐役、アゴスティーノ・カサローリ枢機卿・国務長官の下で行われた東方政策だった。そうすることで、共産主義体制のもとでカトリック聖職者や信徒たちが”死なないように”とられた方法だった。

  「教皇フランシスコと彼の外交官たちも、中国政府に対して、独自の対中国版の東方政策とっている」と指摘する人たちもいる。聖書の言葉なら、ミンツェンティ枢機卿と陳枢機卿は「義のために迫害される人々は、幸いである(マタイ福音書5章10節」を好むだろうし、バチカンは「蛇のように賢く、鳩のように素直」(同10章16節)になれ、と言うだろう。

 1951年に中国政府と袂を分かって以来、外交関係の回復はバチカンの外交政策の課題だった。中国が国際的な発言権を強めている今、バチカンと中国との亀裂を修復し、中国のの約1000万人ともいわれるカトリック信徒たちを、一つのカトリック教会の司教たちのもとに集めることは、バチカンの関係者にとって急務である。米国のトランプ大統領が「アメリカ・ファースト」政策を推し進める中、中国の習近平国家主席はますます世界をけん引する政治家的役割を高めようとしている。

 だが、教皇フランシスコにとって、バチカンの政治的手腕うんぬんより、もっと大きな関心がある。「教会に信徒がいっぱい、神学校も満杯のアフリカに、カトリック教会の未来がある」とする声がある一方で、教皇はアジアのカトリックの復活に強い希望をもっているのだ。中国がこの関心の中心にある。

 バチカンでの中国問題の委員会の専門家であるベルギーの司祭、ジェローム・ヘンドリックス師は「教皇にとって、最重要事項は中国国内でのカトリック教会の統一です」と言う。「彼の関心は、外交関係の回復などではありません。司教任命の正常化と、司教における中国のカトリック教会の統一です。司教は、みな教皇によって任命され、政府によって承認されるべきなのです」と確信をもって語る。そして、88歳の司教の退任を問題にすることはないが、バチカンが破門した司教が後任になることは、その司教がバチカンと和解しなけらばあり得ない、とも指摘している。さらに、「中国の内外を問わず、カトリック信徒は、真の大惨事を引き起こしかねない中国政府との対立ではなく、対話の道を開く勇気が教皇フランシスコにあることに感嘆しています」とし、「去年12月に北京で行われたという会合は、教皇フランシスコの対話路線が進んでいるという前向きのシグナルと見るべきでしょう」と解説した。

 教皇フランシスコは就任以来、常に目を東に向けている。韓国、ミャンマーへの重要な訪問、そして北京との懐柔的予備交渉。彼は、国務長官に彼の外交長官のピエトロ・パロリン枢機卿を任命した。彼のバチカンでの外交での役割では、2009年に北京で交渉成立間際まで行っている。彼の政策は、関係修復だ。2016年1月、香港のアジアタイムスのインタビューの中で、教皇フランシスコは、世界中に、中国の台頭を恐れないよう呼びかけ、中国の文化は”無尽蔵の知恵”とほめたたえた。バチカン美術館と中国政府は主要な芸術作品を交換することに同意した。リチャード・ニクソン大統領の中国訪問への道を開いた1970年代初頭のピンポン外交の文化版といえる。二つの展覧会は3月に開催されることになっている。

 中国におけるキリスト教徒の数は増加を続けており、2030年までにキリスト教徒の人口は国別で世界最大になると言われている。しかし、カトリック教会は増加のペースで福音派プロテスタント教会には及ばない。中国政府のカトリック教会に対する”分割統治的”アプローチのせいで、勢いををそがれていると見られており、それが中国政府との関係を改善したいというバチカンを奮い立たせている。、取り決めに成功し。国交が回復できれば、中国の教会がほどなく世界の教会の柱となり、教会活動は安全に、広大な地に福音を広めることが可能になる。それが、教皇とバチカン関係者の思いだ。

 実現の一番の障害は司教の任命だ。東西冷戦下の”東方政策時代”には、バチカンは司教選定に関し、共産主義政権にその権限を譲っていた。今の中国政府も同様のことを進めようとしているようだ。バチカンは今、教皇公認ではあるが迫害されている「地下教会」と、公式に(教皇が任命)あるいは非公式に任命された司教たちが混在する国家管理の「中国天主教愛国会」の二つでなく、ひとつの中国の教会を目指しているのだ。中国政府との対話に批判的な者たちはバチカンから移動させられている。バチカンは最近、陳枢機卿を支持するサレジオ会士のホン・トン・ファイ大司教を教皇庁高官のポストから駐ギリシャ大使に移した。

 バチカンの思いはさておき、最大の疑問は、習近平国家主席の権力が毛沢東以来の中国のどの指導者よりも大きくなっているこの時期に、「中国政府・共産党がカトリック教会との国交回復から何を望んでいるか」ということだ。中国は国内の分裂を抱える、大きく複雑な国家だ。実際の交渉は困難を極め、遅々として進まない。だから、教皇フランシスコは「中国の扉を開いた教皇」として名を残しても、その扉を通るのは彼の後の教皇になるかもしれない。

 さしあたり、バチカンと中国をめぐる最近の出来事は「中国のカトリック信徒への裏切り」と言い切るのは、はばかられる。ヘンドリックス師の言うように、バチカンの最近の動きは、「教会の統一が回復し、ひとつの社会で信仰が祝福されるようになるために、『異常な状況のもとでは、異常な手段と決断が必要』という事実を気づかせてくれる」のだ。

 (翻訳「カトリック・あい」岡山康子・南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

 

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2018年2月9日