・聖金曜日:主の受難の儀式-「イエスにおいて、敗者は勝者となる」

(2019.4.19 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、イエスの受難と死を記念する「聖金曜日」の19日夕、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、「主の受難の儀式」を行われた。

 儀式は、祭壇前の床に伏された教皇の長い沈黙の祈りから始まり、ことばの典礼では、「主の僕の苦難と死」についての預言が語られる「イザヤ書」(52章13節-53章12節)、「罪の贖いのためにご自分を捧げ、救いの源となった偉大な大祭司イエス」について述べる「ヘブライ 人への手紙」(4章14-16節、 5章7-9節)に続き、「イエスの受難と死」が「ヨハネ福音書」(18章1節-19章42節)から朗読された。

 教皇付き説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父は、説教で「軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負った」と「イザヤ書」(53章3節)にある「この人」とは、ナザレのイエスである、とし、イエスを「世界のすべての疎外された人々、軽蔑され、傷つけられた全人類の代表」として観想。「『人間の歴史を通じて最も偉大な方が、私たちと同じ仲間だ』と、私たちは民族、宗教を超えて叫ぶことができます」と語った。

 だが、「イエスは単に世界の疎外された人々の仲間、ということに留まりません」と神父は指摘し、「イエスは、十字架につけられ、死に、復活されました。イエスにおいて、完全な覆しが起こり、敗者は勝者になり、裁かれた者は裁く者となったのです」「イエスは、世界の疎外された人々に、尊厳だけではなく、希望を取り戻させました。復活祭は、神によって計画され、キリストを通して実現された”逆転”の祭り、貧しい人や、見捨てられた人々の祭りなのです」と強調した。

 カンタラメッサ神父の説教に続いて、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられ、続く十字架の崇敬では、十字架を手に助祭が入場。祭壇に向かいながら、三度歩を止め、そのたびに十字架を顕示し、「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」と人々を招いた。本廊脇で、教皇が十字架を迎え、十字架上のイエスに接吻された。十字架は祭壇前に置かれ、助祭、枢機卿、司教、司祭、修道者、信徒代表による崇敬が続いた。

 最後に、教皇は祭壇上から十字架を会衆に示され、聖体拝領式の後、会衆は沈黙のうちに解散した。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年4月20日