・教皇フランシスコが17日で82歳に。前田枢機卿ら日本の巡礼団と会見

 (2018.12.17 バチカン放送)

 教皇フランシスコが17日、82歳の誕生日を迎えられた。

 世界の国々からお祝いが届く中で、日本の前田枢機卿と巡礼団約30名は教皇宮殿の一室で教皇と親しく会見する機会に恵まれた。教皇は巡礼者一人ひとりと親しく挨拶を交わされ、巡礼者たちは「ハッピー・バースデイ」の歌とともに、バースデイ・ケーキをプレゼントした。教皇は日本からの巡礼団の訪問をとても喜ばれ、「今度はぜひ日本でお会いしましょう」と語り、祝福をなさった。

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 教皇フランシスコ、ホルヘ・ベルゴリオは1936年12月17日、南米アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスでイタリア移民の子としてお生まれになった。2015年12月31日のバチカンでの子供たちとの出会いの場で、一人の少年からの質問に「大きくなったら肉屋さんになりたかった」と答えられたが、幼少時より歌曲に対して強い興味を持ち、毎週一回ラジオで放送される音楽番組に母親や兄弟たちと一緒に聴き入るのを楽しみにしていた。

 父親はホルヘ少年に常に労働の価値とその大切さを教え、青年期にには様々な職業を体験し、科学技師としての資格を取得したが、彼にとって最も大切なことは、祖母のマルゲリータから教えられた「神への信仰」。神に全身全霊を捧げ尽くしたいとの強い望みに動かされ、1958年に神学校に入校、後にイエズス会会士となる道を選んだ。その間、重い肺の病にかかったが、一人の勇敢な看護師の修道女のおかげで危機を脱し、今でも彼女への感謝を忘れず、昨年3月3日の看護師たちとの出会いの席で、彼女について、「医師たちと堂々と意見を交換する勇気を持った看護師でした」と改めて感謝と称賛を贈った。

 1969年に司祭に叙階されたが、その年、祖母マルゲリータが孫たち全員に書いた手紙を、後の教皇フランシスコ、ホルヘ・ベルゴリオ神父は聖務日梼書の中に大切に保存して常に持ち歩いていた。その手紙にはこう書かれてあった。「私の孫たちが皆、長く平和な日々を送れることを心から望んでいます。でもきっと苦しい日々もあることでしょう。病気や愛する人を失う悲しみ、それはあなたたちを悲嘆の底に落とし入れることもあるでしょう。そういう時いつも思い出してください、ご聖体のイエス様がおられる聖櫃の前で慰めを得ることが出来るということを。そこには最も尊い偉大な殉教者がいつもおられます。そして、十字架の下にたたずまれる聖母マリアにも目を向けなさい。最も深い苦しい傷口に、必ず慰めの香油の一滴を受けることが出来るでしょう」。

 1973年イエズス会アルゼンチン管区の管区長に任命され、1992年2月28日ブエノス・アイレス大司教に叙階。その後2001年2月21日教皇ヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命。教皇ベネディクト16世の辞任を受けた2013年のコンクラーベで、3月13日、教皇フランシスコの名のもとにローマ教皇に選出される。記者団へのインタビューで、フランシスコの名を選んだ理由を「清貧の人、平和の人、神の創られたすべての被造物愛する人、聖フランシスコの跡をたどるため」と話されていた。

 (編集「カトリック・あい」)

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2018年12月18日