・全体会議2日目:性的虐待、LGBT、移民・難民などで真剣な議論、「教会の過ち」謝罪”も(Crux)

(2018.10.5 Crux National Correspondent Christopher White)

 ローマ発ー教皇フランシスコの3日の開会宣言で始まった「若者シノドス」は、2日目の全体会議で「若者たちの現実からかけ離れた“抽象的なイデオロギー”に傾く誘惑に陥らないように」という教皇の”警告”を聴く形で、性的虐待からLGBT(性的少数者)、移民、科学技術など具体的課題が議論の中心となった。

 この日は、約300人の出席者の中から代表して発言した約50人はいずれも与えられた時間を無駄に使うことなく、もっとも今日的なトピックを取り上げた。

*性的虐待の「犯罪と罪」に立ち向かう

 最初に発言した米国コネチカット州ブリッジポートのフランク・カジアーノ司教は、言葉を選ぶことをせず、性的虐待問題を正面から取り上げた。「性的虐待は、若者たちが教会の指導者たちと制度としての教会に対して持つべき確信と信頼ー彼らの司祭、司教たちが真の霊的な父として、彼らの生活の中で大人として、信仰の正しい助言者として役割を果たすことへの信頼ーを損なった犯罪であり罪です」と明言。

 「この罪は私たちの中で二度と繰り返さない。そうすることによってのみ、世界の若者たちは、私たちのシノドスの呼びかけが自分たちを安心させ、ほっとさせ、希望と帰属感を取り戻そうとする叫びであることを信じてくれるでしょう」と訴えた。カジアーノは、若者たちを特別に重視することで、米国の司教たちの中で”期待の星”とみなされるようになってきている。来年1月にパナマで開かれるワールド・ユース・デーの米国代表団の団長に予定されている。

 同じ米国フィラデルフィアのチャ-ルズ・チャプット大司教も性的虐待問題に触れ、「聖職者による性的虐待の危機はまさに、私が生きている時代に、教え、導くことを仕事とする者の間にさえも広まった自堕落と乱脈の結果だ。小さな人々-私たちの若者たち-がその代価を払わされているのです」と強調した。

 性的虐待について最も厳しい”自己批判”をしたのは、オーストラリア・シドニーのアンソニー・フィッシャー大司教だった。彼は会議場にいる若者たちに直接、そして全カトリック教会に向き合い、教会の道徳的な過ちを謝罪した。「司祭たち、修道者たち、そして一般信徒の何人かが、あなた方、あなた方と同じ他の若者たちに対して犯し、ひどく傷つけた、恥ずべき行為を、私は謝罪します」「そして、余りにも多くの司教や他の者たちが、性的虐待を知った時に適切な対応をせず、あなた方の安全を守るために全力を尽くさなかったことを、私は謝罪します」と赦しを願った。

 さらに、彼は「カトリックの学校、小教区は、信仰を伝えることに失敗し、教会指導者は距離を置き、喜びもなく、”美しさを欠き、あるいは歓迎されない”ミサ典礼をしてきたこと」についても謝罪を続けた。

 そして、「あなた方が迷い、どの方向に進むか教えてもらうことを必要とする時、若いイエスがあなた方にとっての不滅の道だ、ということを思い起こしてください」「あなた方が思いまどい、しっかりした教えを必要とする時、若いイエスがあなた方にとっての永遠の心理であることを思い起こしてください… 教皇がおられ、私の兄弟である司教たちの前で、私は若者たちに対して約束します、いつも彼らのためにおられるキリストに近づくようにすることを約束します」と言明した。

 会議に出席していたかなりの数の人はCruxに感想を聞かれ、フィッシャーの発言が最も熱意溢れていた、と認めた。

*LGBTにも焦点が当てられた  

 チャプット大司教は、今シノドスの準備文書に対する批判などから、その発言が注目を浴びて来たが、シノドスの最終文書に「LGBT」という言葉が書き込まれる可能性が高いという観測を踏まえて、そのような言葉を受容する教会を、厳しく批判した。「人間の性について教会が有効としているのは、人をつまずかせるブロックではありません。有効としているのは、喜びと全き人生につながる唯一の真の道なのです」と言明。

 「あたかも、性的嗜好によってどれかを決めるかのように、あたかも、そうした指示が、個別の共同体に、現実の教会共同体の中で違いはあるが等しく整合的なもの-キリストの体-について、なされるかのように、”LGBTQ(LGBTシンパ)のカトリック”、”性同一障害のカトリック”、あるいは”異性愛者カトリック”などというものはありません。これまでの教会に、それは決してなかったし、今もありません」「そうした結果として言えるのは、 “LGBTQ”とか他の似た言葉は教会の文書に使われるべきではない、ということです。そのような言葉を使うことは、そのような人々が本物の、自主権を持った集団であることを暗に認めることになるからです。教会はそのように人々を単純に類別することはありません」と断言した。

*真理を発見する手段としての科学技術

 性的虐待の問題に加えて、カジアーノ司教が教会に求められていることとして指摘したのは、若者が現実をよりよく理解する助けとしての、科学技術の積極的な活用だった。「若者たちの成育に影響を与える科学技術について、福音宣教と宗教教育のためにもっと探求されるべき、素晴らしい手段であると申し上げたい」と主張。さらに「私の若者たちとの交流の経験によれば、彼らがいつも抱く問題は単純に知的なものではありません。彼らにとって一番の、最も重要な情緒的な問題は-尊敬に値するもの、希望についての合理性、他者とつながり、愛される能力についての問い-です」とも語った。

 4日の意見表明で他に注目されたのは、「Word on Fire Ministries」(人々を信仰に立ち戻させるためにメディアを活用しようとする”メディア使徒職”の組織)の創設者、福音宣教の現代的な形として科学技術の活用を主唱する米国での先覚者として広く知られたロバート・バロン司教によるものだった。彼は、若者たちにもっと合うように教会の護教学、信仰教育を刷新するよう提唱。現在の信仰教育のプログラムが”反知性的”なっていることを嘆き、新たな護教学-”上位下達”でなく”下位上達”の形をとる-の必要を指摘。「私たちの司牧活動に、傲慢に改宗させるやり方が合わないのは、はっきりしていると思いたい。同じようにはっきりしていると思いたいのは、知的で、敬意をこめた、(その地の)文化を大切にした、信仰についての説明(私たちの中にある希望に理由を与えるような)が確かに、切実に求められている、ということです」と訴えた。

*移民の問題にも触れた

 この日、司教たちの発言の中で取り上げられたもう一つ注目されたテーマは、教皇フランシスコも強い関心を持っている移民の問題だった。移民はこのシノドスの一つの典型的なテーマとなりうる-若者たちは、移民と同じように、先の見えない流れの中に置かれ、答えを求めている。フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿は、世界を巡り、若者たちと会って、話を聞き、写真やノートにサインをしてきた。彼は、そうした中で、以前に会ったことのあるある若者に再会した話をした。その若者は彼に「僕はあなたがサインしてくれたノートを枕のところに今も置いています」と打ち明けたー彼の父親は、移民で、彼と一緒には暮らしていなかったのだ。「あなたは、僕の父親です」と言われた時、涙ぐみました、と枢機卿は振り返った。

 タグレ枢機卿は、若者たちに近づこうとするシノドスの役割について語る際、「聴くことは神学的な原則、単に教育学的な原則ではありません」と強調した-教皇フランシスコは、まさにその点を取り上げ、前もって用意されていない発言の中でそのことを繰り返されるでしょう、と。

 会議の発言者たちが与えられた時間は1人4分。時間切れでマイクを切られることを心配しながら発言した。また、準備書面で示された三つの主要分野のテーマに沿った発言をするよう求められていた。

 会議場には、シノドスに慣れたバチカン関係者、初参加の代表が混じる一方で、間違いなく新鮮に見えるのは、右上の角の席を占める30人ほどの若者たちだ。出席した多くの司教たちはCruxに対して、何人かの司教の発言に対する若者たちの熱烈な反応は、助けとなるサインだった、と感想を語ったー何が若者たちの心に共鳴し、何を若者たちがこれからの議論の中でもっと聴きたいと思っているのか-彼らの反応を聴くことは神学的、教育学的、両方の目的に役立つ、ということを多分、示している、と。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年10月6日