・シノドス第二週:デジタル社会、恐怖、孤独、そして朝鮮半島+評論

(2018.10.11 VaticanNews Russell Pollitt, SJ

 第二週に入ったシノドスも週半ばを過ぎ、11日の記者会見で、バチカン広報部門のパオロ・ルッフィーニ長官は、デジタル社会、恐怖、孤独、そして朝鮮半島情勢を中心に会議の内容について説明した。

 長官は、まず、司教たちと若者たちの喜びに満ちた数々の意見交換など、落ち着いた、明るい雰囲気の中で会議が進んでいる、と述べたうえで、そうした会議の中で、「他者への思いやりは説教で説かれるだけであってはならない、行動で示すべきだ」ということが強調された、と説明。ある若者が司教たちに「何千もの若者たちがシノドスから具体的な結果が出てくるのを心待ちにしています。あなた方が、自分たちの希望に叶うような結果を出してくれる、と信じているのです」と訴えたことを明らかにした。

 また、長官は、聖職者主義について、司教たちに、否定的な動きとしてだけ見るのでなく、国とのつながりから宗教を自由にするものとして見るべきだ、と強く主張する声があったこと、より成熟した信仰に向けて教会に挑戦する意見があったこと、なども指摘した。

 *デジタル社会

 デジタル社会について、長官は「大きな進展があり、情報交換が促進されたが、限界もある」とし、「(注・人心などが)操作される危険」と「暴力の文化」がイメージと言葉で極めて現実的なものになっている、とマイナスの側面を指摘する意見が出た、とした。そして、会議では、デジタル社会が人間性を持ったものに戻るように、教会は助けねばならない、と主張された、と説明した。

 記者会見に出たイタリアのブルーノ・フォルテ大司教は、シノドスの全体会議では「孤独な若者たちが多いことが認識された」とし、「彼らは現実の人間関係をもたず、オンラインでしか友を求めない。全体会議は、コンピューターの前でそれに飲み込まれる恐れを抱きながら、暗闇の中に一人でいる若者たちに、どのようにして教会が手を差し伸べるか、について意見を交わしました」と語った。

*恐怖と孤独

 フォルテ大司教は、討議の中で感じた2人の若者像を描いて見せた。1人は、多くの希望と将来への期待を持っている、とくに政治的、経済的な状況から安全なところにいる若者たち。もう1人は、西欧にいて、恐怖と孤独にある若者で、「このような現象は、デジタル社会から生まれています。だが、それはまた、彼らの過去と年上の世代と関係を持たないためでもあるのです」と指摘し、世代間の関係断絶は「記憶の喪失」を引き起こし、その結果、若者たちはルーツをもたなくなってしまう、と問題を指摘した。

 インドから聴講者として参加したパーシバル・ホルト氏は「シノドスの場にさえも、若者たちを理解しようとする司教たちの何人かの中に、世代間ギャップのゆえの葛藤があります」と述べ、それでも司教たちは努力をしており、対話を続けることの重要性を指摘した。

 韓国から来たラザロ兪興植(ユ・フンシク)司教は、恐れを抱いている若者に出会った経験を語った。「彼らは、南北朝鮮の再統一があった場合に、犠牲を払うこと、自分のライフスタイルに与える影響を恐れています。だが、そういう若者は多くはなく、大半は再統一が有益なことと考えている、と思う」と述べた。

*朝鮮半島情勢ー教皇の北朝鮮訪問は素晴らしいが、多くの条件を満たす必要も

 朝鮮半島情勢について、兪・司教は「昨年までは、多くの人が南北朝鮮の間で戦争が起こる、と信じていました。今は変わりました」としたうえで、変化はオリンピックを契機にしたもので、両国の関係を作るのに役立った、と指摘。「北朝鮮は国を開放し始める準備ができていると思う。韓国の文大統領は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に『あなたの国が国際社会に戻る最善の道は、教皇フランシスコに自国に招待することだ』と言いました。教皇が北朝鮮を訪問されれば、朝鮮半島の平和実現への大きな一歩となるでしょう」と見解を述べた。ただし、教皇の訪朝の実現のためには、まだやらねばならないことが多くあり、変化が必要だ、とし、具体的に、北朝鮮が信教の自由を保障すること、を挙げた。

 また、司教は、シノドスそのものに関連して、「皆の、とくに若者たちの声を聴き、意見を集めることで、教会は物事が前進するのを助けることができ、そうすることで、協力の雰囲気を作り出すことになります」と語った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

・なお、教皇の訪朝招請については、近く予定される文・韓国大統領の教皇との会見でも大統領から伝えられる見通し、と言われているが、この件について、バチカン側からのコメントは12日現在、出ていない。

⇒(評論)全く存在感のない日本、参加した司教はどこに?

韓国の司教が会見に出てしっかりと発言し、存在感を見せているが、日本から参加している(はずの)司教は、シノドスの議論に全体会議、使用言語グループ別の小会議に出て、日本の立場から、若者たちの現状、問題点、教会としての対応努力など、議論に参加しているのだろうか。少なくとも、バチカンの広報や、他の報道にはこれまで、全く報じられていない。

 日本の立場から、若者のスマホ中毒問題、少子高齢化が社会に与える影響と教会としての問題意識など、他国の教会にも参考になる話題がたくさんあるはずだ。最近の「家庭」をテーマにした二度のシノドスでもそうだったが、せっかくのシノドスの場で、日本の存在感が皆無、会議への貢献もない、というのは残念なことだ。

 そうした中で、数年前まで上智大学の副学長として活躍されていたルクセンブルクのオロリッシュ大司教が、積極的に議論に加わり、記者会見にも出て、堂々と発言されていることは、大司教を知る者として喜ばしく感じる。(「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年10月12日