・「使徒的勧告『Christus vivit』は若者と召命司牧の”マグナ・カルタ”になる」ー発表受けた記者会見で

(2019.4.3 カトリック・あい)

 昨年10月の「若者シノドス」の成果を受けた教皇フランシスコの新たな使徒的勧告「Christus vivit」の全文が2日、バチカン報道局から発表されたが、発表の記者会見の内容は、報道局発表によると以下の通り。

 記者会見に出席した説明者は、シノドス事務局長のロレンツォ・バルディッセーリ枢機卿、同局次長のファビオ・ファベーネ司教、バチカン広報部書のパオロ・ルッフィーニ長官、イタリア・ビセンザ教区のガーナ人共同体の若者グループ責任者のラピディル・オポン・ツマシ氏、ローマ教区のアレシオ・ピロッディ・ロライ教授。

「勧告は、シノドスの道の一里塚」

 まず説明に立ったバルディッセーリ枢機卿は、今回の使徒的勧告を「シノドスの道の一里塚」と位置づけ、「この勧告は近い将来、様々な教会共同体における若者と召命司牧の『マグナ・カルタ(大憲章)』-地方地方の異なったやり方で、若者の置かれた環境の中で、徹底した変革によって特徴づけられるものとなるでしょう」とその意義を強調した。

 さらに、勧告の第一の特徴は、「そのタイトル、Christus vivitにあります」とし、「通常の教会文書が冒頭で文書の解釈学的な概要を説明する、ということを皆が知っています。教皇が伝えたいと希望された基本的なメッセージー若者たちに対して、若者たちと共に、私たちすべてに対してーは、『イエス・キリストは、過去にのみ属しているのではなく、現在、そして未来にも属しておられる。なぜなら、永遠に生きておられる方だから」です。どの世代の信徒も、キリストの中に、同世代の、旅の仲間を見つけるのです」と説明した。

 第二の特徴は枢機卿によれば「マリアの姿」にある。その意味は、「主のお告げの日、3月25日に”マリアの家”で、教皇が子の使徒的勧告に署名をなさったことに、明確に示されています」と述べた。

 第三の特徴は、この勧告のスタイルと意図された受け手にある、とし、具体的には、「明確に、手紙の形をとっていること。まず第一に、若者たちに当てたものー彼らに直接語りかける時に教皇がよく使う、くだけた表現である“tu”(「あなた」「きみ」の意味)を使っている-だということ。親近感をこめた、率直で、飾らない、思いやりのある、温かい表現をされている」と説明。

 だが、当然のこととして、この”手紙”は「神の民全員-司牧者も信徒たちも-に当てたものです。なぜなら、私たち全員が、若者たち-若者たちすべて、だが、若者たちだけではないーに関心を持つように強く求められているからです」と述べ、こうした理由のために、教皇は、多くの箇所で「教会の識別のために、より幅広い考察」をする-若者たちの問題に私たち全員が関わっていること、大人たちは若者たちに与えると同時に受け取るように求められていることを知るーように提案されているのです」と語った。

 

「一人一人の若者に『神は自分を愛してくれている』ことを思い起こさせる勧告」

 ファベーネ司教は、勧告の意義に関連して、「1985年の国際青年の年に際して『世界の若者たちに対する手紙』を出された聖ヨハネ・パウロ二世の命日である4月2日に、この勧告の発表が行われたこと」を挙げた。さらに「Christus vivitは、強力なキリスト論的な特質と、全編にわたる愛の響きによって、際立った内容となっている。教皇は、一人一人の若者に『神は自分を愛してくださっている』ということを思い起こさせられます。勧告全体が、教皇の若者たちに置かれる信頼によって-そして、彼らに、キリストに希望を置くように、そうすれば誰もそれを奪い取れない、とることはない、と教皇が繰り返し呼びかけられていることによって-奮い立たされています」と述べた。

 また司教は、この勧告には多くの注目点があるが、第一に挙げたいのは「教皇がお示しになった、若者たちと『すべての神の民、司牧者と信徒たち』の結びつきです。そこには、”若者の教会”も”若者と共にある、あるいは若者のための教会”もない。あるのは、一つの”体”、教会、若者たちはそこで活動する、創造的なメンバーです。彼らはまさに彼らが属する人々と共に、教会共同体全体のために、全ての善意の人々に、福音とキリストのおける人生の素晴らしさを宣言する使命に貢献するのです」と強調した。

 さらに、教皇フランシスコが、昨年10月の「若者シノドス」に参加した司教たちとともに、教会における synodality(「カトリック・あい」仮注:キリストにおける多様性を包含した司教、司祭、信徒による協働)の重要性を強調したことを取り上げ、若者に対する司牧そのものがsynodality的であり、効果的に”共に歩む”形を提供せねばならない、と訴えた。そして、この勧告から、教皇の若い人々に対する”同盟”の呼びかけに近いものが読み取れる、それは、よりより未来を作るための協力ーとくに重要な点として、シノドス総会によって明確にされた、教会と社会の活動が関わる分野-デジタル環境、移民、未成年者に対する性的虐待-の問題への対応についての協力だ、と指摘。

 この中で、移民・難民問題に関連して、ファベーネ司教は、「この問題に対してバランスの取れた対応をとろうとする傾向があります。実際のところ、若者たちは『自分たちのところに新たにやってきた移民の若者たちに付け込まれないように。彼らを蜘蛛の巣の糸のように見なすように、ほかの人間と同じような敬意を抱かないように』と言われています」と警告し、「この勧告で、若者たちがすることのできる様々な貢献の中で、私はもう一度強調したいのは、キリストとの出会いの個人的経験の素晴らしさについて、他の若い人々に伝えること。神に愛され、自分自身の人生をもって福音を証しする意思をもって、彼らは、すべての人、いちばん遠くにいて、いちばん縁がないとみられる人々、最も離れたところにいる人々まで、救い主イエスが知られるように努めるよう、呼びかけられているのです」と強調した。

「”マニュアル本”ではなく、迷った時の”案内書”」

 ビセンザ教区のガーナ人共同体の若者グループ責任者のラピディル・オポン・ツマシ氏は、この使徒的勧告が「教会の教義と教えの単なるマニュアル本」でなく、「私たちがすこし迷ったと感じた時に活用できる案内書、提案集」となっていることに、満足している、と述べた。

「勧告は、私たちの疑問に対してあらかじめ用意された回答にはなっていません… 若者の司牧ケアに、教区の活動に、さまざまな教会の集まりに、一般的な司牧チームに参加するかどうか、立ち上がって、忙しくするかどうかは、教会の若者としての私たち次第です。私たちは、すでに発表されている『若者シノドス』の最終文書と今回の勧告を手に取り、そこに盛り込まれたテーマと案件を身近なものにし、私たちが必要としていることに当てはめていかねばなりません」と強調。

 さらに「勧告は、私に、相互の必要性があること、”大人”の教会と”若者”の教会の親密さが必要であること、を教えてくれます。私たち若者には力強さ、熱心さ、強い個性がありますが、大人たちの経験とと知識ー私たちが賜物を生かす方法を示し、助けてくれるもの-を必要としています」と語った。

「注目され寿司審の一つは『家庭を作る』こと」

 アレシオ・ピロッディ・ロライ教授は、自身の教師、カテキスタ、育成担当者としての専門的視点から、勧告を取り上げ、すべての中心に、金持ちの若者の態度とペトロの態度の間のものと同じ戦いがあること、そして教会にとっての、教育に携わる誰にとっても、私たちが孤児となることを欲する文化との間の争いとなり、根拠を持たず、結局は孤独に陥ること、に目を向けた。

 そして「このような問題に、私たちはどのように対応できるのでしょうか?」と問いかけ、「勧告の中で、教皇が示されている多くの指針の中で注目したい一つのこと、それは”家庭を作ること”です。小教区と学校は、家にいるような安らぎを感じる場をどのように提供するか、を知らねばなりません-分け隔てなく愛され、寄り添われ、案内され、修正される場、しかも、一人一人が、この”家”のおかげで最も良い実をつけられるような熱意をもって育てられる場を。教皇は書いておられます。教会は、最新のファッションに倣う時ではなく、その根源に変える時に、若くなります。すべてを新しくされる方に対して」と語った。

「コミュニケーションに関する四つのポイントは」

 最後に、バチカンの広報部書のルッフィーニ長官は、勧告から、報道関係者の感覚でコミュニケーションに関係するいくつかの箇所を取り上げた。

 まず第一点は「この勧告が、教会のシノドスの旅についての真実の証しであり伝えるものであることを申し上げたい。旅はここで終わらず、これからも続きます-止まることはなく、確かに前進しますーなぜなら、最年長者は自分たちの証しを最も若い人に伝えることができるかです」とした。

 第二点は「私たち伝達者が全体の一部を誤らないようにする、現実について誤った表現をすることのないようにする必要性です。この場合、それは若さであり、教会です。また、この点でも、勧告はとても明確な言葉を使っているように思われます。それは、若者についての全体像-沈黙し、臆病な教会も、強迫観念に陥るような二つや三つのテーマを巡っての争いも見たくない若者、その一方で、夢、理想、ドラマ、苦しみが合わさった自分たちの全てを見てもらいたい、理解してもらいたい、と求める若者の姿ーです。

 そして第三点は、「デジタルの世界は社会的、政治的なかかわりと積極的な市民権の一つであり、最も弱い人々に効果的な保護を提供し、権利の侵害を公表する、どこからも拘束されない独立した情報の伝達を活発にできる」という指摘。

 多くの国で、インターネットとソーシャル・ネットワークは既に、「司牧的な活動の場だけでなく、若者に届き、若者を取り込む場として、確固たる地位を占めている」が、反面、「孤立させられ、操作され、搾取され、暴力を振るわれる、ダーク・ウエブ(注:特殊なウエブサイト、ネットワークによらないと閲覧はおろか検索もできない超危険領域)のような極端なケースに至ることもあります。そうした”閉鎖回路”はフェイク・ニュース、誤った情報をばらまき、偏見と嫌悪を助長します。フェイク・ニュースによる汚染は真実の感覚を失い、特定の利益に合うような事実に屈することになります」と説明。

 さらに、「教皇は、この問題に、異なった生き方-インターネットのみによらず、あらゆる”言語”-美術、音楽、慈善活動、社会的な関わり、そして沈黙と熟考による生き方ーで対処することを勧めておられます。周囲を見回し、現実と仮想現実を再接続することを」と述べ、「他人をののしる言葉の中にさえ、私が話したい第四の点があります… 勧告は、部分的でなく全体としての、透明で真実のコミュニケーションを勧めていますー悪を弾劾する勇気を過去に持ち、今も持っている人々、教会が悪を認識し、断固として対処するのを助ける人々に、感謝の気持ちを持つよう求めています。受け入れがたい犯罪の繰り返しを妨げる厳格な措置を採ることを、教皇は強調しておられます。若い人々のために、刷新し、取り戻し、一貫性と証しを求めることを願っておられます」と述べた。

 そして、指摘したい最後の点として、勧告で教皇が力説されている「教会刷新のカギとしての世代間コミュニケーション」を挙げ、教皇が若者たちに、教会の”傍観者”にとどまらず、教会の活動に積極的に関与し、”手を汚し”、信じ、夢を抱くこと、現実から遊離することなく、自分たちの意思疎通の能力を通して、教会を変えていくこと、皆から評価されるリーダーになること、を求めておられる、とし、「他人任せにせず、変化の主役になりなさい!」という教皇で締めくくった。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2019年4月3日