・「情報公開阻む文化-アジアの”恥の感覚”も」-サミット前に改革派のマルタ大司教(Crux)

(2019.2.15 Crux Rome Bureau Chief Inés San Martín)

 ローマ発-21日からの”聖職者性的虐待サミット”を目前に控え、カトリック教会の改革派のリーダーの1人で教皇フランシスコの信認が厚いマルタ教区長のチャールズ・シクルーナ大司教が14日、Cruxのインタビューに応じ、サミットへの展望などについて語った。

 大きな品物が、小さな包みの中に入っている-それがシクルーナ大司教について当てはまる。外見は小柄だが、聖職者による児童性的虐待問題への対応では、極めて高い名声を上げているのだ。性的虐待罪に関するバチカンの主席検察官を務めていたが、現在はマルタとローマ半々の生活を送っており、ローマではバチカン教理省の長官補の仕事をしている。聖職者の弱者性的虐待問題は2001年から教理省の担当だ。そこで、彼は、 Legion of Christの創設者のマルシアル・マルシエル神父の犯罪を摘発した案件を扱ったとされているが、昨年は、教皇に指名されて、性的虐待と隠ぺいで7人の司教が訴えられたチリの案件を担当している。

 インタビューでシクルーナ大司教は、聖職者による性的虐待とその高位聖職者による隠ぺい問題の対処について、今日に至るまで広範な失望を招いていることを取り上げ、「この問題の深刻さを理解しない司教たちがまだいます」と指摘。

 その一方で、「私たちは、文化的、地政学的、社会的、教会的に見て様々な制約と事情があることを認識せねばなりません。そのことは、私たちは、世界の異なった場所におり、同じ所にいるのではないのです」としたうえで、「今回の会議は、台本に書かれている問題を全て解決する”三日間の驚異”を起こすものではない。極めて重要な”鍛錬”なのです」と語った。

 このほか、このインタビューで、大司教は、「説明責任」「チリの教会の状況」「虐待との闘いにおける女性の役割」、そして「(注:性的虐待問題で枢機卿を解任された)セオドア・マカリック問題」にも言及した。

 インタビューの主な内容は次の通り

問=今回のサミットはなぜ招集されたのでしょう?この会議でどのような結果が出ると期待していますか?

大司教=教皇が判断されました。会議の招集を決め、世界の司教協議会会長たちにローマに集まるように求めた際、教皇は会議の意味をはっきりと説明されています。パナマで開かれた世界青年の日大会の帰りの機上会見で、三つの主題を言われました。それを短い言葉で表現すれば「自覚すること、何をすべきかを知ること、共に祈ること」です。教会の指導者たちを集め、具体的な問題を議論することは、それ自体がとても強力な意思表示だと思います。会議、シノドス…何と呼ぼうと、それは、教皇の下に、教会の指導者たちが一つの場所に集まることなのです。

 集まるのは、全世界の司教協議会の会長たち。それに、東方教会の指導者たち、主要な修道会と教皇庁の指導者たちのも参加について話しています。さらに、約200人の方々も教皇とともに、一つの会場で、このテーマについて意見を交わことについても。テーマとなるのは、若い人々を守ること、教会をあるべき姿にすること、安全な場所、虐待を防ぐこと、そして虐待が起きた時のこと、良い統治のための基準です。それが会議の主要目的であり、それが責務、説明責任、透明性について私たちが話している理由です。

問=なぜ、三つが主題なのでしょうか?

 大司教=これが統治、私たちの受託責任の果たし方、私たちの指導性に関するものだからです。そして、私たちの受託責任は一つの文脈の中にあり、その文脈とは霊的交わりと共同責任です。そしてそれが、 synodalityが意味するものです-共に歩むが、説明する責任があります。法に従わなくてもいいのではない。物事を隠すことをしない-それが透明でなくてはならない理由です。

 それから、あなたは世話役でもあります。あなたには羊の群れに責任があります。「それは「あなたのもの」ではありません。なぜなら、ペトロが羊の群れをゆだねられた時、キリストは「私の羊の世話をしなさい」と言われたからです。これはとても重要な発言です-「私の羊、子羊」。彼らは「わたしたちのもの」ではなく、独占する必要もない。しかし、あなたは報告しなければなりません。多く託されれば託されるほど、あなたは多く期待されるでしょう。そして、これがルカ福音書12章でイエスがペトロに説明責任の原則なのです。

会議の結果を受けた議論の継続がカギになる残る

問=この問題がどれほど広まっているのか理解しない司教たちがいまだにいることに、挫折感を感じませんか?

 大司教=答えはイエスでもあり、ノーでもあります。私には、世界を旅して、文化と対応の相違を知る機会がありました。もし、IMF(国際通貨基金)の高級幹部だとしたら、世界中の経済が同じでないことが分かるでしょう。たとえ高い基準を期待したとしても、どこでも同じものを見つける、ということはないでしょう。これは、教会の重要な問題についても言えると思います。私たちは、文化的、地政学的、社会的、教会的に見て様々な制約と事情があることを認識せねばなりません。そのことは、私たちは、世界の異なった場所におり、同じ所にいるのではないのです。

 今回の会議の大きな特徴の一つは、生きた経験として、地球上の、こうした異なる文化と異なる地点から参加する指導者たちが同じ場所に集まり、同じ話に耳を傾け、答え、失望と期待を述べることができること。そのようなことは、これまでなかったことです。

 米国の経験があります。誠実な、良い慣行における経験です。2002年に性的虐待の問題が大きく表に出て、その後、私たちは17年にわたってこの問題について話をしてきました。そして、世界の他の場所で、情報公開を阻む文化を変える必要が、まだ残っているのです。

 私は、マニラ大司教のタグレ枢機卿が2012年にグレゴリアン大学で開かれたシンポジウムで話したことを覚えています。彼は、アジアにおける性的虐待に対する文化的な反応について話しました。

 そこで彼が強調したことの一つは、アジアには個人のプライバシー、家族、特に一族の尊厳を守ろうとする「恥の文化」があること。そしてこれが情報の公開を制約している-人々は心に傷を負っているが、「恥の感覚」が自己防衛のメカニズムとして働くため、心の傷について語らない、「恥の感覚」がプライバシーと社会における尊厳を守る-ということでした。それが犠牲者が着せられる汚名なのです。

 こうしたことが、異なった対応を改めていくのに時間を必要とする、文化的側面です。ですから、今回の会議は”三日間の驚異”にはなりませんー台本にある問題を全て解決するのではなく、私たちが一緒に集まる中で行われる重要な鍛練なのです。

 「今後に続けていくこと」が会議の真髄になるでしょう。教皇は、この会議の二日後にローマで組織委員会を開いて会議の結果をもとに議論をするよう、求められました。これからも取り組みを続けていかねばならないことがある、と確信しています。短期、中期、そして長期にわたる継続した対応について、教皇庁と連携して話をしていく必要があります。

問=今回の会議が高位聖職者の集まりだとしても、こうした対応に女性がさらに多く関与していく道を見つけるべきではないでしょうか。

 大司教=正しいご指摘です。私たちは、カトリック教会における指導権について話をしており、司祭叙階されることなしに女性が教会で指導的立場につく、ということも話しています。私は、今回の会議に、主要な修道会総長が代表として参加し、司教たちに進言する女性の話し手が参加する、と理解しています。そして、会議が終わり、この問題についての検討がこれで終わり、ではなく、継続して行われるようになった時、地域の教会のレベルで、あるいは国、大陸のレベルで、司教たちは教会の指導的立場にある女性たちと協力するする必要が出てくるでしょう。

 あなたの指摘は重要です。なぜなら、私たちは安全を守り、世話をする保証である母性は推進されるだけでなく、権限を与えられるべきだからです。そして、このことは、指導権は霊的な交わりにおける主導権、民と共にある主導権であることを意味します。私は自分の教区、マルタの大司教であり、保護のための全ての取り調べで一般信徒を代表していますー一般信徒の多くは女性で、心理学、法律、社会福祉、社会科学、調査など異なる社会科学の専門家です。そして、彼女たちの知恵と対応が私たちの教会、そして保護政策に対する特別な賜物だということを知っています。

問=女性たちが”男性”クラブの一員でない、という事実は、彼女たちがそのクラブを守ろうとしない、ということ、それ以上に、女性たちは虐待で訴えられた人々の教員か学生ではなく、相談相手でも、被保護者でもなかった、ということをしばしば意味すると…

 大司教=私が知っている教会で指導的立場にある女性たちは、聖職者的な習慣を身に着けて歩きまわることを欲しません。巡礼の教会として共に活動することを好みます。ですから、私は、それが一種の間隔を保証し、同時に、被害者、そして加害者のケアの一定の水準を保証すると考えています。

 続く

(大司教インタビューの続きで、マカリック問題、より大きな説明責任、性的虐待の行為だけでなく、その隠蔽の問題にも触れる)

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

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2019年2月16日