・シノドス第3週・言語別小会議の討議ー性的虐待、女性の役割などを最終文書に(Crux)

 

(2018.10.20 Crux Author)

ローマ発 – 3日から始まった「若者シノドス」が22日から最終週に入るが、言語別のグループによる小会議のこれまでの討議の報告が20日発表され、最終報告に盛り込むべき内容を実際的なものとすることに、いら立ちが強まってきているのが明らかになった。

 小会議で話し合われてきたテーマは、聖職者による性的虐待スキャンダル、教会における女性の公正な扱い、移民、環境、人身売買など広範にわたっているが、以下はCruxがまとめた言語別グループの討議の概要だ。

*ドイツ語グループ

 まず、問題となったのは「このシノドスが何を目指しているのか」だった。「このシノドスの後、何が変わるのか?若者たちとともにある教会への新たな道があるのか?司教たちが実行の約束をするのか?」と。

 そして、最終文書に二つの出席者の話-人身売買に関する英国のビンセント・ニコラス枢機卿の話と、世界の政治家たちへのアピールを提案した米シカゴのブレーズ・キューピック枢機卿の話-を盛り込むことが必要だ、とした。

 最終報告に盛り込むのを求めるこれ以外の表現は次のようなものだ。

・「教会の政策決定と指導の分野での女性の役割は著しく強化される必要がある、を私たちは確信する」。

・「性行為と強調の問題について教会が若者たちと真剣に話し合うことを、私たちは希望する」。

・「教区の若者たちが抱える具体的問題(隠された、あるいは表になった貧困、薬物中毒、少年少女の非行、青年期の移民、虐待や暴力による犠牲など)を察知し、緩和しようとする意志」を持たねばならない。

・教会は「若者たち、とくに恵まれない若者たちと定期的に顔を合わせようとする具体的な考え」を持つ必要がある。

  この他、 Youcat(青少年向けのカテキズムの本)を通してのカテキズム、環境に対する青年男女の責任、若者の教会参加、教会に関係する運動、芸術、教会であることの場としての繋がり、などについても提案があった。そして、カトリックにおける聖職者の性的虐待についても議論された。

 そして、参加者たちは「私たちは、このシノドスの最終文書が子供たち青年男女に対する性的虐待という劇的事件について明確な言葉なしに記述を始めることはない、と信じている」と述べるとともに、「私たち司教は、性的虐待の再発をより効果的に避け、被害者たちを十分にケアするため、明確、具体的に姿勢を改める決意をしないまま、自国に帰ることはできない、と考える」と言明した。

*英語グループ

 準備要綱の最終章は司牧活動のための実際的な指示と推奨について記されていたが、インド・ムンバイのオズワルド・グラチアスが座長を務めた英語グループAは、最終報告に向けた具体的な提案として、次のようなものを挙げた-「若者たちの最初の教師」としての父母、祖父母の実際的な力、カトリックの学校、大学における教師の育成と専属司祭に対する関心の強化、実際の決定権限を持てるような形での若者たちのミサ典礼と教会活動への参加の促進-など。そして、今回のシノドスで明らかになったことは、若者たちが単なる宣教の対象でなく、主体だ、ということだ、とした。

 また、教会の三重の経験-「神秘」「霊的交わり」「宣教の使命」‐をもとにした小教区の再考の必要性についても話し合われ、二つのグループでは、同性への関心と性別違和症候群の若者たちに接することも議論された。

 米国シカゴのブレーズ・キューピッチ枢機卿がリーダーのグループBで提案されたのは、「そうした問題と、『カトリック教会のカテキズム』の関連の章の線に沿ってそうした若者たちに対応する主な目標は別に論じる」ことだった。

 米国ヒューストン・ガルベストンのダニエル・ディナルド枢機卿が率いるグループは、次の内容を付け加えたー「ジェンダー、ライフスタイル、あるいは性的傾向などを理由にして、愛されていない、構ってもらえない、という感情を誰にもさせてはならない。だが、聖トマス・アクイナスが言っているように、愛は『他者の善を欲すること』を意味している。そして、これが、なぜ真の愛が、人生の転換、変化を求めることを排除しないのか、の理由です」と。

 最後に、複数のグループが支持したのは、「司教と司祭たちに、デジタル・メディアを若者たちと接する手段として使うように促すこと」。新たな、教会と関係を持たない人々に対して自由に使うことのできる最もいい装置でもある、とし、「YouTube や Facebookに掲載されるビデオは一日24時間、一週7日間、いつでも見ることができ、世界中の辺境や危険地域でも受信可能だ。とくに多くの良い結果をもたらす方法は、人気の高い、知的な文化にあるsemina verbi (seeds of the Word=神の御言葉の種)とみなされる中身を作ることだ」と、取りまとめ報告に書いている。

*イタリア語グループ

 複数のイタリア語のグループの議論の焦点は、若者たちが直面する諸課題に十分に対応し、性の問題、堕胎、特に女性と貧しい人々の軽視など、彼らにとって大きな問題に答えることの必要性だった。

 ローマ補佐司教のアンジェロ・デ・ドナティス枢機卿と教皇庁生命アカデミー総裁のビンセンゾ・パグリア大司教が率いる第一のグループは、イエスが信仰の中心に置かれたことの見本として、聖書に出てくるイエスのパンの奇跡を挙げた-「イエスが中心に置かれたことに、もっと注意を向ける必要があります。パンの奇跡のように、イエスは差し出されたわずかなもので奇跡を起こすことがおできになるのです」。

 このグループの参加者は、シノドス準備要綱の第三章で小教区の活動に若者たちを巻き込む多くの可能性とリスクについて、優先順位を付けずに長々とつづられている、とし、熟考すべき点として、福音の優位性、貧しい人々への聖職者の役割、典礼と聖体の重視、を指摘した。貧しい人々に対する聖職者の役割については「自主的な奉仕や社会福祉の補完などの制度を作り直す、という問題ではない。キリスト教のメッセージは、神は一人ひとりの人間を救うためにそばにおられるということの欠かせない証しをすることです」とした。

 バチカン福音宣教省長官のフェルナンド・フィローニ枢機卿の第2グループの参加者たちは、シノドスの作業文書は「欧米的なアプローチに傾き過ぎていながら、デジタルの世界の有益性と課題、信仰と科学の関係、広範に起きている『社会的、霊的、倫理的な方向感覚の喪失』などに対する言及が足りない」と指摘。具体的な課題として挙げたのは、薬物中毒と身体的、精神的な苦痛に苛まれた人々と同様に、「殺害に至るような男性的強さの犠牲にしばしばなっている」女性たちの軽視の現状だった。

 また、同性愛の傾向を持つ人々に「特別の配慮をし、寄り添うこと」の必要性、失業と雇用機会の不足によって若者たちに提起される諸問題、などにも言及した。性的行為、堕胎、社会的、倫理的な排除などの問題にも、『若者たちに軽視できない影響』を与えているオカルトとともに、触れた。

 バチカン文化評議会のトップ、ギアンフランコ・ラバシ、タラパーニがトップを務める第三グル―プは、若い移住者たち、とくに故郷を追われた若者たちの支援と、各地の教会を通じた支援の必要に言及した。また、最近、婚約ないし結婚した若いカップルのより良い育成と寄り添いの必要性、差別の排除の必要性、についても触れ、伊タラパーニのピエトロ・マリア・フラニエリ司教からは、四つの主要分野-自分自身の声に耳を傾ける中での幸せの探求、神の御言葉、人間を中心に置くこと、一人ひとりがせねばならない旅の認識、そして環境への配慮ーの指摘があった。

 他に強調されたのは、聖母マリアへの奉献の重要性、寄り添い、識別することのプログラムの開発の必要性、学問的な機関外のより良い聖書学的、神学的な形成の必要性、科学技術の活用、奉仕の重要性などだ。

 

*フランス語グループ

 デビット・マカリエ大司教が座長のフランス語のグループAは、若者の育成は司牧ケアと切り離して考えられるべきではない、と主張。そして、このシノドスのように親たちと若者たちが共に過ごすことが「どのようにして結婚の秘跡を生き、子供たちを教育していくか」についての証明に有益だということを強調した。

Aとは別のグループは、若者に対する司牧的な配慮を重視し、「16歳から30歳の若い人の生活は平坦ではない」ことを思い起こすことが重要、とし、「彼らは、成功、失敗、そして『試験に合格した』『社会人になった』『結婚し、家族ができた』など、決定的で幸福な人生の節目によって印をつけられる」との見方を示した。そして、そのような時に求められる霊的な対応には公式がないことを、教会は頭に入れておく必要がある、と指摘している。

 ま他別の二つのグループは、このシノドスの主題は若者にあるが、司牧の変革と刷新が教会全体の目的であるように、幅広い教会活動と若者の問題を完全に切り離して考えるものではない、ということが重要だ、と主張した。そして、「若者に対する前に、教会の全構成員が主イエスの歩かれた道をともに歩き、恵みに満ちた人生を進めることを示すことが、必要と言えないのだろうか」「『シノドス』という言葉は、『ともに歩む』ことを意味するのではないだろうか?」と問いかけている。

 他のグループも同じように、「教会共同体、小教区、あるいは司教区という組織を機能」させる中で、実際の政策決定の力と責任を持つことが重要だ、と指摘する一方で、一部に出ている若者たちの問題を専門に扱う部署をバチカンに新設する考え方については、「かえって、若者たちの乖離を進めてしまうリスクがある」として反対し、代わりに、「バチカンの省庁など全ての部署が、若者たちの声を聴き、自分たちの仕事に若者たちを取り込むことを、一般化すること」を提唱した。

 そして最後に、「各種の課題への対応を、聖職者たちに優位を与えることによってではなく、若者たちが抱いている希望を認識し、実現に努めることができるように育てることによって、教会の信仰と新たな文化的規範の間の対話を可能にする」ために、教会の社会教説の伝達者として働く力を若者たちがつけるようにすることを、提案し、「こうすることで、キリストの教会のイメージが『この世の友』に徐々に変貌していくのです」と結論した。

*スペイン語グループ

 バチカン教理省長官のラダリア・フェレール枢機卿が座長のスペイン語のグループBは、教会は「全ての人々と一体となり、寄り添うことを励ます心からの暖かい歓迎の態度」を取らねばならない、「その対象には、通常とは異なった性的な志向を持つ人も含み、彼らが信仰と神とのつながりの中で成長していくことができるようにすることが必要」と主張した。ただし、「歓迎の態度」は、性に対する教会の教えの変更を意味せず、次のような示唆をしているー「貞潔の徳は、人と神の愛の条件を整える喜ばしい確約であることを示す、バチカンが編み出した、性の問題に対する、人類学的な議論を伴った、組織的で明確な対応である」。

 女性の役割については、「女性が教会におして占めている場を『高く評価』し、「男性と同等の尊厳」を持っていることを確認。「互いに補い合い、教会共同体全体の活動を実り多いもの」にする、女性と男性の貢献は、ともに教会の司牧プログラムの中で考えられる必要がある、と主張した。同じ理由から、「教会の政策決定に積極的に加わることで、司牧的な識別に女性の参加の場を広げる」ことも提案した。

 新しい科学技術については、若者たちにとって「仮想現実と現実」に違いはない、教会はこのような「仮想現実化」すべてに「断固とした方針」で臨むべきだ、としている。

 これに加えて、教会は、”幼児ポルノ”や”サイバー虐め”など「オンライン犯罪」の犠牲者となる若者を助ける必要があり、具体的には、犠牲者への支援、犯罪を認識する手段や訓練の開発、「責任あるデジタル市民」の推進などを図るべきだ、と提案している。

 また、「団体制」の実践は教会の活動における恒久的なものになっており、受洗者と善意の人々すべての参加を促進し、「年齢、人生の段階、召命などに応じて、それぞれの教区、司教会議、普遍教会において、若者の積極的な参加を効果的で実際的なものにしている」と指摘している。

 ホンジュラスのオスカル・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿のいる第一グループも同様に、若者たちが単なる”受け手”ではなく、教会の使命を果たす主人公となる必要がある、とし、「主のよき知らせを伝え、宣教する役割を果たすように呼ばれている」と述べている。また、「変革」についても、「誰が?何のために?どこから?」と問いかけ、変革の呼びかけは、「今までやったことはすべて良くなかった」というような、これまでなされたことへの批判であってはならず、”プラス”の側面を見、これまでよりももっと良く、もっと奉仕できるようにすることを目標とすべきだ、とし、そのために「人の話を聴き、外に出て、識別をし、寄り添う」ことを求めている。

 またグループAは、自分たちの教会の信者席ががら空きなことを認め、それは人々の、とくに若者たちとの調和が欠けているため、と判断した。そして、この問題への対応として、ミサ典礼にもっとふさわしい聖歌を取り入れ、必要なら祈祷文も改定して、もっと参加したくなるような工夫の必要を強調した。「若者たちがミサを放棄したら、それは彼らが信仰を失う第一段階になる」と自らを戒めている。

*ポルトガル語グループ

 ブラジルのホアオ・ブラス・アビス枢機卿がリーダーのグループは「グローバリゼーションが、前向きの効果を持ってはいるが、時代に変化をもたらしている。それはまた、”傷ついた”社会を作り出し、教会は、「誰も置いてきぼりにしない」包括的な教会と社会を推進するために、“預言”を取り戻すよう求められている、と主張。

 各地の教会への巡礼と訪問のように「若者たちを惹きつけ、信仰を表明するような様々な形の”大勢が参加する信心業”」の重要性とともに、若者たちが教会の教義と道徳を知ることができる、司牧的な思いやりを持った場の必要性を指摘。「大勢が参加する信心業は、信仰を生きる正当な方法」とされた教皇フランシスコとの言葉を引用し、大きな「宣教の力」を持つことも付言した。

 また、現在あるバチカンの信徒・家庭・いのちの部署に加えて、若者の問題に関する世界的な規模の”評議会”ないしは”観測所”の設置の考えも示した。

 グループは、いくつかのテーマについて詳細な説明なしで25の課題を提起し、その中には若者司牧のネットワークの設置、心身障害者と若者たち、刑務所にいる若者たち、同性愛の若者たちの司牧ケア、若者たちの宣教経験、聖母マリアと若者、などが含まれている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年10月21日