・バチカンが2月の”聖職者性的虐待対策サミット”の狙いと会議内容公表

(2019.1.16 Vatican News)

 バチカン報道局のアレッサンドロ・ジソッティ暫定局長は16日、2月21日から24日にかけてバチカンで開かれる「The protection of minors in the Church(教会における未成年者保護)」の会議の詳細について、声明を発表した。

 会議の準備委員会が10日に開かれ、その後、教皇フランシスコに謁見し、準備状況について説明した。

 2月の会議には全世界の司教協議会会長が参加して「教会における未成年者保護」をテーマに話し合うが、バチカン報道局の声明によると、会議は、全体会議、作業部会、祈り、証言の聴取、告解、閉会のミサ聖祭などで構成される。教皇は会議の全過程に参加することを確認しており、全体会議の司会をフェデリコ・ロンバルディ神父(イエズス会士)に委ねている。

 声明の発表に合わせて、暫定局長は次のような報道機関向けの文書を発出した。

 「未成年者保護に関する2月の会議は具体的な目的をもっています。目標は、司教たち全員が『未成年に対する性的虐待の再発を防ぎ、この世界的な問題と戦うために何が必要か』を明確に理解することです。

 教皇フランシスコは『世界的な問題は世界的な対応をもってのみ、解決できる』ということをご存知です。教皇は、この会議が『羊飼いたち』の集まりであり、学術的な会議でないことを願っておられます-祈りと識別で特徴づけられる、問答と作業の集まり、なのです。

 教皇にとって根本的に重要なのは、ローマに集まった司教たちが自分の国と教区に戻った時、適用すべき法令を理解し、虐待を防ぎ、犠牲者をケアし、虐待を隠蔽したり、埋没させたりしないことをはっきりさせる、ということです。

 この会議を巡って、その成果に高い期待が寄せられていることに対しては、『教会は虐待に対する戦いの始まりの段階にあるのではない』と強調することが重要です。この会議は、これまで15年以上も持続的に、断固として進めて来た苦痛に満ちた旅の段階の一つなのです」

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年1月17日

・「若者シノドス」最終文書英語版が2か月遅れで公表-全文試訳開始

(2019.1.15 カトリック・あい)

 昨年10月の「若者シノドス(全世界代表司教会議)」の最終文書全文の英語版が、バチカンのシノドス事務局からこのほど、ようやく公表になった。

 世界のカトリック教会では、1月22日からのパナマでの「世界青年の日(WYD)」大会、2月に聖職者性的虐待対策の全世界司教協議会会長会議、6月にバチカンで世界の聖職者と若者が参加する国際フォーラムなどが教皇フランシスコの主導で予定されている。

 そうした中で、この最終文書は今後の展開に大きな影響を与えるものとされており、日本においても聖職者、若者に限らず、広く信徒としても大いに関心を持って受け止める必要があるものだ。

 最終文書は3部12章167項から成るかなりの”大作”であり、全文の翻訳にかなりの時間と労力が必要だが、「カトリック・あい」では、以上のような今年の教会の一連の予定の中で、可能な限り速やかな日本語訳を試訳の形で提供することが求められている、と判断し、翻訳担当者の皆さんの協力を得て、項目ごとに完成次第、逐次、日本語の試訳を掲載していくことにした。早期完訳のために、翻訳作業へのご参加をいただければ幸いです。

*「若者シノドス」の最終文書の骨子、全文(翻訳中)は「特集」のページに掲載(クリックすれば「特集」に)

 

2019年1月15日

・「若者シノドス」の成果の具体化へ、6月に若者たちも参加する国際フォーラム開催

(2019.1.11 バチカン放送)

 若者をテーマにした国際フォーラムが6月18日から22日にかけて、ローマで開催されることになった。

 教皇庁の信徒・家庭・いのちの部署が主催するもので、「若者、信仰そして召命の識別」をテーマに昨年10月バチカンで行われた「世界代表司教会議第15回通常総会」(通称:若者シノドス)の成果をもとに、具体的な方策を話し合うことを狙いとしている。

 教皇フランシスコが昨年9月に発表したシノドスに関する使徒憲章「エピスコパリス・コムニオ」は、シノドス前の準備期間、そして会議開催中の期間に加え、会議の成果を適用するシノドス後の期間の対応について言及、会議の結果を実施に移す期間は、そのテーマを担当する教皇庁の諸機関だけでなく、各国の司教協議会、地方の教会によって推進されなくてはならない、としている。

 今回の国際フォーラムも、この使徒憲章が示した「シノドス後の対応」の一環として開かれる。諸司教協議会や世界的な広がりを持つカトリック系運動・共同体の代表のほか、若者シノドスの傍聴者をはじめとする若者たち、専門家などが招かれる予定だ。

(編集「カトリック・あい」)

2019年1月11日

・教皇、外交団挨拶で、聖職者の性的虐待に断固たる対応約束

(2019.1.8 カトリック・あい)

 教皇は7日の財バチカン外交団への新年あいさつの中で、世界中のカトリック教会を揺さぶっている聖職者による性的虐待スキャンダルについても言及、「改革の道」を追求する決意を示した。

 バチカン広報が発表した教皇挨拶では、「弱者を虐待することは、この上ない悪、憎むべき犯罪として考えられるものの一つ。そうした虐待は、罪のない子供たちに必要な人生で最善のものを容赦なく吹き飛ばし、取り返しのつかない、一生消えることの無い傷を与えます」と指摘。

 そのうえで、「聖座とカトリック教会はこのような犯罪およびその隠蔽と戦い、そのようなことが繰り返さないように総力をあげます。そして、聖職者が関わった真相を解明し、力と心の虐待を伴った性的暴力の被害にあった小さき者たちへの正義を果たすようにします」と言明した。

 さらに、「虐待の事実に完全な光を当て、そうした犯罪がもたらした傷を癒す具体的な方策を協議する」ために、2月21日から24日にかけて、全世界の司教協議会の会長を招集して「児童保護のためのサミット」を開くことを、改めて確認した。

2019年1月10日

・教皇がナショナリズム、ポピュリズムの風潮を批判、「多国間外交」を称揚(CRUX)

(2019.1.7 Crux Editor John Allen) exolt

 ローマ発ートランプ大統領の下で米国が「アメリカファースト」を強引に推し進め、国益追求のナショナリズムと大衆の人気取りを至上の命題とするポピュリズムの風潮が世界的に高まっている。そうした中で、教皇フランシスコは7日のバチカン駐在の世界の外交団への新年のあいさつで、こうした風潮に挑戦するように、共通善を求める多国間外交を擁護する姿勢を強調した。

 教皇は、多国間外交の成功に欠かすことのできない条件として「善意と関係者への信頼、互いに公正で率直にやり取りする用意があること、そして、紛争から生じる避けることのできない妥協を受け入れる心の広さ」を挙げ、「このような条件の一つでも欠ければ、『一方的な解決を図ろう』ということになり、結局は『強者による弱者の支配』となってしまいます」と警告した。

 (以下は英語原文で続く)

The pontiff’s comments came in his annual address to the diplomatic corps accredited to the Holy See, a speech commonly regarded as marking out a pope’s political and social priorities for the coming year.

The emphasis on multilateral diplomacy could suggest that Francis and his diplomatic team intend to dial up their support for the United Nations and other forums for international cooperation in 2019, building on a decades-long record of Vatican support for the UN and its related institutions.

Francis opened his speech on Monday recalling that 2019 is the 100thanniversary of the foundation of the League of Nations, a precursor to the UN established after the carnage of the First World War.

The pope extolled the League of Nations as the first stirrings of a different approach to international affairs, while describing its failure as a cautionary tale about what happens when the strong simply impose their will on others.

“One notes with regret that the same attitudes are presently threatening the stability of the major international organizations,” Francis said, though without specifically citing any examples.

“It is clear, though, that relationships within the international community, and the multilateral system as a whole, are experiencing a period of difficulty, with the resurgence of nationalistic tendencies at odds with the vocation of the international organizations to be a setting for dialogue and encounter for all countries,” the pope said.

“It is likewise partially the outcome of the growing influence within the international organizations of powers and interest groups that impose their own visions and ideas, sparking new forms of ideological colonization, often in disregard for the identity, dignity and sensitivities of peoples,” he said.

Francis then outlined several core principles of what he sees as a genuinely multilateral form of diplomatic relations:

  • The primacy of justice and law
  • The defense of those most vulnerable
  • Acting as a bridge between peoples and a builder of peace
  • Rethinking our common destiny

“At present it is troubling to see the reemergence of tendencies to impose and pursue individual national interests without having recourse to the instruments provided by international law for resolving controversies and ensuring that justice is respected, also through international courts,” Francis told the diplomats gathered in Rome.

As he characteristically does, Francis also highlighted certain specific hotspots around the world that are zones of special concern for him and the Catholic Church, beginning this year with Ukraine.

“Through her activities and her closeness to the people involved, the Church strives to encourage, directly and indirectly, peaceful paths to the solution of the conflict, paths that are respectful of justice and law, including international law, which is the basis of security and coexistence in the entire region,” he said.

Francis also offered several references to the ongoing conflict in Syria, including an “appeal to the international community to promote a political solution to a conflict that will ultimately see only a series of defeats.”

Surveying the Middle East, Francis offered a word of encouragement for the beleaguered Christian minority, at a moment when some observers worry that Christianity in the region may be sliding towards extinction.

“I encourage all those who have sought refuge in other places to do everything possible to return to their homes and in any event to maintain and strengthen their ties to their communities of origin,” he said.

The pope also reiterated his commitment to stronger environmental protection.

“The earth belongs to everyone, and the consequences of its exploitation affect all the peoples of the world, even if certain regions feel those consequences more dramatically,” he said.

As a final tribute to multilateralism, Francis recalled the birth of a new era of cooperation in Europe after the Second World War.

“In the present climate, marked by new centrifugal tendencies and the temptation to erect new curtains, may Europe not lose its awareness of the benefits – the first of which is peace – ushered in by the journey of friendship and rapprochement between peoples begun in the postwar period,” he said

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年1月8日

・中国と最終合意の”要件”は「信教の自由の保障」-教皇、外交団への新年挨拶で示唆

(2019.1.8 カトリック・あい)

 教皇フランシスコは7日、バチカン宮殿に世界185の国・機関の駐在代表を招いての恒例の新年の挨拶で、「最近のナショナリズムの高まりの中で弱められつつある国家間の協力や多国間外交」を重視するよう訴えられた。

 毎年年頭にバチカン駐在の世界の開校団に出される長文の挨拶は、教皇のその年の外交全般のポジションペーパ-、基本的考えともいえるのもの。

 バチカン広報の教皇挨拶の全文によれば、今回は、「民族間問題における暴力や戦争ではなく正義と権利の優先」「弱く貧しい人々の保護、人々の架け橋・平和の構築者となる必要」「人生の共通の運命の再考」を諸外国、機関がともに外交の柱にするよう求め、特に2019年の重要課題として「難民・移民の受け入れ」「若者たちの未来の確保」「聖職者などの未成年に対する性的虐待への対処」「女性への暴力排除」「核兵器の廃絶」「環境の保全」の推進を挙げられた。

 またアジア地域についても具体的に、中国、ベトナム、朝鮮半島について言及された。

 まずベトナムについては、「バチカンとベトナムの関係強化の文脈の中で、『近い将来』バチカンの駐在代表をベトナムに置くことを目指すこと。それは何よりも、聖ペトロの後継者のベトナムの教会への強い思いを示す印とすることになるでしょう」と、駐在代表設置を軸とした関係強化に強い期待を示された。

 続いて、昨年9月に国内における司教任命に関する暫定合意に署名した中国との関係については、「皆さんご存知のように、この合意は長期にわたる、十分に配慮した、継続的な対話の成果。聖座と中国政府当局が一定の協調をともなった決断を成しえたのです」と説明。

 暫定合意を受け、ご自身が中国と世界の教会に向けて発出したメッセージで述べている通り、「聖座の承認を得ずに叙階された司教たちを正規の司教として認めたこと、そして、この司教たちに、教会の(注:中国政府公認の”地上教会”と非公認の”地下教会”などの)和解のために、福音宣教を新たにするために、惜しまずに働くよう強く求めたこと」を強調した。

 さらに、「望むべくは、署名された暫定合意の適用に関するさらなる交渉が、未解決の問題を解き、信教の自由が事実上、保障されるために必要な措置とる助けとなること」を指摘し、その実現を強く希望するとともに、これらが”正式合意”の条件であることを示唆した。

 朝鮮半島問題では、最近の米国と韓国、北朝鮮を巡る動きから見て取れる「前向きなしるし」に触れ、対話を評価するとともに、「さらに複雑な問題に建設的な姿勢で臨むことで、永続的な共通の解決に至り、すべての朝鮮民族と地域全体のために、発展と協力の未来を保証できるよう願っています」と話された。

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 (解説)バチカンと中国の司教任命に関する暫定合意は署名からすでに3か月以上が経過しているが、その具体的内容は未だに公表されず、中国国内では、諸宗教の活動の規制・監視に当たる中国共産党中央統一戦線工作部と地方政府の担当部署がこの暫定合意以来、教皇に忠誠を誓い、これらの規制・監視に従わず、”地上教会”-中国天主愛国協会-に所属することを拒む”地下教会”の司祭、信徒たちへの規制を強め、一部では十字架など教会の建物の破壊の動きも目立っている。

 これらの司祭、信徒たちからは苦痛の声も上がっており、中国国内情勢に詳しく、”地下教会”ともコンタクトのある香港の陳枢機卿がバチカンに飛んで、こうした状況を無視して”中国政府との取引”を進めないよう直訴する、という動きも出ている。外交団挨拶での教皇のこの発言は、そのような状況に配慮し、中国側をけん制したもの、とも言えるかもしれない。

(編集「カトリック・あい」)

バチカン広報発表の全文(英語版)は以下の通り。(一段落が長文過ぎる箇所は、読みやすくするために改行しています)

ADDRESS OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS TO THE MEMBERS OF THE DIPLOMATIC CORPS ACCREDITED TO THE HOLY SEE
FOR THE TRADITIONAL EXCHANGE OF NEW YEAR GREETINGS

Regia Hall Monday, 7 January 2019

Your Excellencies, Ladies and Gentlemen,

The beginning of a new year allows us to interrupt for a few moments the frenetic pace of our daily activities in order to review the events of past months and to reflect on the challenges facing us in the near future. I thank you for your numerous presence at this annual gathering, which provides a welcome opportunity for us to exchange cordial greetings and good wishes with one another. Through you, I would like to convey to the peoples whom you represent my closeness and my prayerful hope that the year just begun will bring peace and well-being to each member of the human family.

I am most grateful to the Ambassador of Cyprus, His Excellency Mr George Poulides, for the gracious words of greeting he addressed to me in your name for the first time as Dean of the Diplomatic Corps accredited to the Holy See. To each of you I would like to express my especial appreciation for your daily efforts to consolidate relations between your respective Countries and Organizations and the Holy See, all the more so through the signing or ratification of new accords.

I think in particular of the ratification of the Framework Agreement between the Holy See and the Republic of Benin relating to the Legal Status of the Catholic Church in Benin, and the signing and the ratification of the Agreement between the Holy See and the Republic of San Marino regarding the Teaching of Catholic Religion in Public Schools.

In the multilateral sphere, the Holy See has also ratified the UNESCO Asia-Pacific Regional Convention on the Recognition of Qualifications in Higher Education. Last March it adhered to the Enlarged Partial Agreement on Cultural Routes of the Council of Europe, an initiative aimed at showing how culture can be at the service of peace and a means of unification between different European societies, thus fostering concord among peoples. This is a token of particular esteem for an Organization that this year celebrates the seventieth anniversary of its foundation.

The Holy See has cooperated with the Council of Europe for many decades and recognizes its specific role in the promotion of human rights, democracy and legality in an area that would embrace Europe as a whole. Finally, on 30 November last, the Vatican City State was admitted to the Single Euro Payments Area (SEPA).

Fidelity to the spiritual mission based on the command that the Lord Jesus gave to the Apostle Peter, “Feed my lambs” (Jn 21:15), impels the Pope – and consequently the Holy See – to show concern for the whole human family and its needs, including those of the material and social order. Nonetheless, the Holy See has no intention of interfering in the life of States; it seeks instead to be an attentive listener, sensitive to issues involving humanity, out of a sincere and humble desire to be at the service of every man and woman.

That concern is evident in our gathering today and inspires my encounters with the many pilgrims who visit the Vatican from throughout the world, as well as with the peoples and communities that I had the pleasure of visiting this past year during my Apostolic Journeys to Chile, Peru, Switzerland, Ireland, Lithuania, Latvia and Estonia.

That same concern leads the Church everywhere to work for the growth of peaceful and reconciled societies. Here I think in particular of beloved Nicaragua, whose situation I follow closely in prayerful hope that the various political and social groups may find in dialogue the royal road to an exchange beneficial to the entire nation.

This has also been the context for the consolidation of relations between the Holy See and Vietnam, with a view to the appointment, in the near future, of a resident Papal Representative, whose presence would serve above all as a sign of the solicitude of the Successor of Peter for that local Church.

So too with the signing of the Provisional Agreement between the Holy See and the People’s Republic of China on the Appointment of Bishops in China, which took place on 22 September last. As you know, that Agreement is the result of a lengthy and thoughtful institutional dialogue that led to the determination of certain stable elements of cooperation between the Apostolic See and the civil authorities.

As I noted in my Message to the Catholics of China and to the universal Church,[1] I had already readmitted to full ecclesial communion the remaining official bishops ordained without pontifical mandate, and urged them to work generously for the reconciliation of Chinese Catholics and for a renewed effort of evangelization. I thank the Lord that, for the first time after so many years, all the bishops in China are in full communion with the Successor of Peter and with the universal Church.

A visible sign of this was the participation of two bishops from Continental China in the recent Synod on young people. It is to be hoped that further contacts regarding the application of the signed Provisional Agreement will help resolve questions that remain open and make needed room for an effective enjoyment of religious freedom.

Dear Ambassadors,

The year just begun contains a number of significant anniversaries, in addition to that of the Council of Europe, which I mentioned above. Among these, I would like to bring up one in particular: the hundredth anniversary of the League of Nations, established by the Treaty of Versailles, signed on 28 June 1919. Why do I mention an organization that today no longer exists? Because it represents the beginning of modern multilateral diplomacy, whereby states attempt to distance their reciprocal relations from the mentality of domination that leads to war.

The experiment of the League of Nations quickly met with those well-known difficulties that exactly twenty years after its birth led to a new and more devastating conflict, the Second World War. Nevertheless, that experiment paved the way for the establishment in 1945 of the United Nations Organization. Certainly, that way remains full of difficulties and obstacles, nor is it always effective, since conflicts persist even today, yet it cannot be denied that it provides an opportunity for nations to meet and seek common solutions.

An indispensable condition for the success of multilateral diplomacy is the good will and good faith of the parties, their readiness to deal with one another fairly and honestly, and their openness to accepting the inevitable compromises arising from disputes. Whenever even one of these elements is missing, the result is a search for unilateral solutions and, in the end, the domination of the powerful over the weak. The League of Nations failed for these very reasons, and one notes with regret that the same attitudes are presently threatening the stability of the major international organizations.

To my mind, it is important that today too there should be no lessening of the desire for serene and constructive discussions between states. It is clear, though, that relationships within the international community, and the multilateral system as a whole, are experiencing a period of difficulty, with the resurgence of nationalistic tendencies at odds with the vocation of the international Organizations to be a setting for dialogue and encounter for all countries.

This is partly due to a certain inability of the multilateral system to offer effective solutions to a number of long unresolved situations, like certain protracted conflicts, or to confront present challenges in a way satisfactory to all. It is also in part the result of the development of national policies determined more by the search for a quick partisan consensus than by the patient pursuit of the common good by providing long-term answers.

It is likewise partially the outcome of the growing influence within the international Organizations of powers and interest groups that impose their own visions and ideas, sparking new forms of ideological colonization, often in disregard for the identity, dignity and sensitivities of peoples. In part too, it is a consequence of the reaction in some parts of the world to a globalization that has in some respects developed in too rapid and disorderly a manner, resulting in a tension between globalization and local realities.

The global dimension has to be considered without ever losing sight of the local. As a reaction to a “spherical” notion of globalization, one that levels differences and smooths out particularities, it is easy for forms of nationalism to reemerge. Yet globalization can prove promising to the extent that it can be “polyhedric”, favouring a positive interplay between the identity of individual peoples and countries and globalization itself, in accordance with the principle that the whole is greater than the part.[2]

Some of these attitudes go back to the period between the two World Wars, when populist and nationalist demands proved more forceful than the activity of the League of Nations. The reappearance of these impulses today is progressively weakening the multilateral system, resulting in a general lack of trust, a crisis of credibility in international political life, and a gradual marginalization of the most vulnerable members of the family of nations.

In his memorable Address to the United Nations – the first time a Pope addressed that Assembly – Saint Paul VI, whom I had the joy of canonizing this past year, spoke of the purpose of multilateral diplomacy, its characteristics and its responsibilities in the contemporary context, but also of its points of contact with the spiritual mission of the Pope and thus of the Holy See.

The primacy of justice and law

The first point of contact that I would mention is the primacy of justice and law. As Pope Paul told the Assembly: “You sanction the great principle that relationships between nations must be regulated by reason, justice, law, by negotiation, not by force, nor by violence, force, war, nor indeed by fear and deceit”.[3]

At present, it is troubling to see the reemergence of tendencies to impose and pursue individual national interests without having recourse to the instruments provided by international law for resolving controversies and ensuring that justice is respected, also through international Courts.

Such an attitude is at times the result of a reaction on the part of government leaders to growing unease among the citizens of not a few countries, who perceive the procedures and rules governing the international community as slow, abstract and ultimately far removed from their own real needs.

It is fitting that political leaders listen to the voices of their constituencies and seek concrete solutions to promote their greater good. Yet this demands respect for law and justice both within their national communities and within the international community, since reactive, emotional and hasty solutions may well be able to garner short-term consensus, but they will certainly not help the solution of deeper problems; indeed, they will aggravate them.

In light of this concern, I chose to devote my Message for this year’s World Day of Peace, celebrated on 1 January, to the theme: Good Politics at the Service of Peace. There is a close relationship between good politics and the peaceful coexistence of peoples and nations.

Peace is never a partial good, but one that embraces the entire human race. Hence an essential aspect of good politics is the pursuit of the common good of all, insofar as it is “the good of all people and of the whole person”[4] and a condition of society that enables all individuals and the community as a whole to achieve their proper material and spiritual well-being.

Politics must be farsighted, not limited to seeking short-term solutions. A good politician should not occupy spaces but initiate processes; he or she is called to make unity prevail over conflict, based on “solidarity in its deepest and most challenging sense”. Politics thus becomes “a way of making history in a life setting where conflicts, divisions and oppositions can achieve a diversified and life-giving unity”.[5]

Such an approach takes account of the transcendent dimension of the human person, created in the image and likeness of God. Respect for the dignity of each human being is thus the indispensable premise for all truly peaceful coexistence, and law becomes the essential instrument for achieving social justice and nurturing fraternal bonds between peoples.

In this context, a fundamental role is played by the human rights set forth in the Universal Declaration of Human Rights, whose seventieth anniversary we recently celebrated. The universal objective and rational nature of those rights ought rightly to be reaffirmed, lest there prevail partial and subjective visions of humanity that risk leading to new forms of inequality, injustice, discrimination and, in extreme cases, also new forms of violence and oppression.

The defense of those most vulnerable

The second point of contact that I would mention is the defense of those who are vulnerable. In the words of Pope Paul: “We want to speak… for the poor, the disinherited, the unfortunate, and those who long for justice, a dignified life, liberty, prosperity and progress”.[6]

The Church has always been committed to helping those in need, while the Holy See itself has in recent years promoted various projects aimed at assisting the most vulnerable, projects that have also been supported by different actors on the international level.

Among these, I would mention the humanitarian initiative in Ukraine on behalf of those suffering, particularly in the eastern areas of the country, from the conflict that has now lasted for almost five years and has recently seen troubling developments in the Black Sea.

Thanks to the active response of the Catholic Churches of Europe and of members of the faithful elsewhere to my appeal of May 2016, an effort has been made, in collaboration with other religious confessions and international Organizations, to respond concretely to the immediate needs of those living in the territories affected. They are in fact the first victims of the war.

The Church and her various institutions will pursue this mission, also in the hope of drawing greater attention to other humanitarian questions, including that of the treatment of the numerous prisoners.

Through her activities and her closeness to the people involved, the Church strives to encourage, directly and indirectly, peaceful paths to the solution of the conflict, paths that are respectful of justice and law, including international law, which is the basis of security and coexistence in the entire region. To this end, the instruments that guarantee the free exercise of religious rights remain important.

For its part, the international community and its agencies are called to give a voice to those who have none. Among the latter in our own time, I would mention the victims of other ongoing wars, especially that in Syria with its high death toll.

Once more, I appeal to the international community to promote a political solution to a conflict that will ultimately see only a series of defeats. It is vital to put an end to violations of humanitarian law, which cause untold suffering to the civil population, especially women and children, and strike at essential structures such as hospitals, schools and refugee camps, as well as religious edifices.

Nor can we forget the many displaced persons resulting from the conflict; this has created great hardship for neighbouring countries. Once more, I express my gratitude to Jordan and Lebanon for receiving in a spirit of fraternity, and not without considerable sacrifice, great numbers of people.

At the same time, I express my hope that the refugees will be able to return to their homelands in safe and dignified living conditions. My thoughts also go to the various European countries that have generously offered hospitality to those in difficulty and danger.

Among those affected by the instability that for years has marked the Middle East are especially the Christian communities that have dwelt in those lands from apostolic times, and down the centuries have contributed to their growth and development.

It is extremely important that Christians have a place in the future of the region, and so I encourage all those who have sought refuge in other places to do everything possible to return to their homes and in any event to maintain and strengthen their ties to their communities of origin. At the same time, I express my hope that political authorities will not fail to ensure their security and all else needed for them to continue to dwell in the countries of which they are full citizens, and to contribute to their growth.

Sadly, in these years Syria and more generally the whole Middle East have become a battleground for many conflicting interests. In addition to those of a chiefly political and military nature, we should not overlook attempts to foment hostility between Muslims and Christians.

Even though “over the centuries many quarrels and dissensions have arisen between Christians and Muslims”,[7] in different areas of the Middle East they have long lived together in peace. In the near future, I will have occasion to visit two predominantly Muslim countries, Morocco and the United Arab Emirates. These represent two important opportunities to advance interreligious dialogue and mutual understanding between the followers of both religions, in this year that marks the eight-hundredth anniversary of the historic meeting between Saint Francis of Assisi and Sultan al-Malik al-Kāmil.

Among the vulnerable of our time that the international community is called to defend are not only refugees but also migrants. Once again, I appeal to governments to provide assistance to all those forced to emigrate on account of the scourge of poverty and various forms of violence and persecution, as well as natural catastrophes and climatic disturbances, and to facilitate measures aimed at permitting their social integration in the receiving countries.

Efforts also need to be made to prevent individuals from being constrained to abandon their families and countries, and to allow them to return safely and with full respect for their dignity and human rights. All human beings long for a better and more prosperous life, and the challenge of migration cannot be met with a mindset of violence and indifference, nor by offering merely partial solutions.

Consequently, I cannot fail to express my appreciation for the efforts of all those governments and institutions that, moved by a generous sense of solidarity and Christian charity, cooperate in a spirit of fraternity for the benefit of migrants.

Among these, I would like to mention Colombia that, together with other countries of the continent, has welcomed in recent months a vast influx of people coming from Venezuela.

At the same time, I realize that the waves of migration in recent years have caused diffidence and concern among people in many countries, particularly in Europe and North America, and this has led various governments to severely restrict the number of new entries, even of those in transit.

Nonetheless, I do not believe that partial solutions can exist for so universal an issue. Recent events have shown the need for a common, concerted response by all countries, without exception and with respect for every legitimate aspiration, whether of states or of migrants and refugees themselves.

In this regard, the Holy See has actively participated in the negotiations and supported the adoption of the two Global Compacts onRefugees and on Safe, Orderly and Regular Migration. In particular, the migration Compact represents an important step forward for the international community, which now, in the context of the United Nations is for the first time dealing on a multilateral level with this theme in a document of such importance.

Despite the fact that they are not legally binding, and that some governments were absent from the recent United Nations Conference in Marrakesh, these two Compacts will serve as important points of reference for political commitment and concrete action on the part of international organizations, legislators and politicians, as well as all those working for a more responsible, coordinated and safe management of situations involving refugees and migrants of various kinds.

In the case of both Compacts, the Holy See appreciates their intention and their character, which facilitates their implementation; at the same time, it has expressed reservations regarding the documents appealed to by the Compact on migration that contain terminology and guidelines inconsistent with its own principles on life and on the rights of persons.

Among others who are vulnerable, Paul VI went on to say: “We speak for… the younger generation of today, who are moving ahead trustfully, with every right to expect a better mankind”.[8] Young people, who often feel bewildered and uncertain about the future, were the subject of the fifteenth Ordinary General Assembly of the Synod of Bishops.

They will also be at the forefront of the Apostolic Journey that I will make to Panama in a few days for the thirty-fourth World Youth Day. Young people are our future, and the task of politics is to pave the way for the future. For this reason, it is urgently necessary to invest in initiatives that can enable coming generations to shape their future, with the possibility of finding employment, forming a family and raising children.

Together with young people, particular attention needs to be paid to children, especially in this year that marks the thirtieth anniversary of the adoption of the Convention on the Rights of the Child.

This is a good occasion for serious reflection on the steps taken to protect the welfare of our little ones and their social and intellectual development, as well as their physical, psychological and spiritual growth. Here I cannot refrain from speaking of one of the plagues of our time, which sadly has also involved some members of the clergy. The abuse of minors is one of the vilest and most heinous crimes conceivable.

Such abuse inexorably sweeps away the best of what human life holds out for innocent children, and causes irreparable and lifelong damage. The Holy See and the Church as a whole are working to combat and prevent these crimes and their concealment, in order to ascertain the truth of the facts involving ecclesiastics and to render justice to minors who have suffered sexual violence aggravated by the abuse of power and conscience.

My meeting with the episcopates of the entire world next February is meant to be a further step in the Church’s efforts to shed full light on the facts and to alleviate the wounds caused by such crimes.

It is painful to note that in our societies, so often marked by fragile family situations, we see an increase of violence also with regard to women, whose dignity was emphasized by the Apostolic Letter Mulieris Dignitatem, published thirty years ago by Pope Saint John Paul II.

Faced with the bane of physical and psychological abuse of women, there is an urgent need to recover correct and balanced forms of relationship, based on respect and mutual recognition, wherein each person can express in an authentic way his or her own identity. At the same time, the promotion of certain forms of non-differentiation between the genders risks distorting the very essence of manhood and womanhood.

Concern for those who are most vulnerable impels us also to reflect on another serious problem of our time, namely the condition of workers. Unless adequately protected, work ceases to be a means of human self-realization and becomes a modern form of slavery.

A hundred years ago saw the establishment of the International Labour Organization, which has sought to promote suitable working conditions and to increase the dignity of workers themselves. Faced with the challenges of our own time, first of all increased technological growth, which eliminates jobs, and the weakening of economic and social guarantees for workers, I express my hope that the International Labour Organization will continue to be, beyond partisan interests, an example of dialogue and concerted effort to achieve its lofty objectives.

In this mission, it too is called, together with other agencies of the international community, to confront the evil of child labour and new forms of slavery, as well as a progressive decrease in the value of wages, especially in developed countries, and continued discrimination against women in the workplace.

To be a bridge between peoples and builders of peace

In his address before the United Nations, Saint Paul VI clearly indicated the primary goal of that international Organization. In his words: “You are working to unite nations, to associate states… to bring them together.

You are a bridge between peoples… It is enough to recall that the blood of millions, countless unheard-of sufferings, useless massacres and frightening ruins have sanctioned the agreement that unites you with an oath that ought to change the future history of the world: never again war! Never again war! It is peace, peace, that has to guide the destiny of the nations of all mankind! [And] as you well know, peace is not built merely by means of politics and a balance of power and interests. It is built with the mind, with ideas, with works of peace”.[9]

In the course of the past year, there have been some significant signs of peace, starting with the historic agreement between Ethiopia and Eritrea, which puts an end to twenty years of conflict and restores diplomatic relations between the two countries. Also, the agreement signed by the leaders of South Sudan, enabling the resumption of civil coexistence and the renewed functioning of national institutions, represents a sign of hope for the African continent, where grave tensions and widespread poverty persist.

I follow with special concern the developing situation in the Democratic Republic of Congo, and I express my hope that the country can regain the reconciliation it has long awaited and undertake a decisive journey towards development, thus ending the ongoing state of insecurity affecting millions of people, including so many children. To that end, respect for the result of the electoral process is a determining factor for a sustainable peace. I likewise express my closeness to all those suffering from fundamentalist violence, especially in Mali, Niger and Nigeria, and from continued internal tensions in Cameroon, which not rarely sow death even among civilians.

Overall, we should note that Africa, beyond such dramatic situations, also shows great positive potential, grounded in its ancient culture and its traditional spirit of hospitality.

An example of practical solidarity between nations is seen in the opening of their frontiers by different countries, in order generously to receive refugees and displaced persons. Appreciation should be shown for the fact that in many states we see the growth of peaceful coexistence between the followers of different religions and the promotion of joint initiatives of solidarity. In addition, the implementation of inclusive policies and the progress of democratic processes are proving effective in many regions for combating absolute poverty and promoting social justice.

As a result, the support of the international community becomes all the more urgent for favouring the development of infrastructures, the growth of prospects for future generations, and the emancipation of the most vulnerable sectors of society.

Positive signs are arriving from the Korean Peninsula. The Holy See regards favourably the dialogues in course and expresses the hope that they can also deal with the more complex issues in a constructive attitude and thus lead to shared and lasting solutions capable of ensuring a future of development and cooperation for the whole Korean people and for the entire region.

I express a similar hope for beloved Venezuela, so that peaceful institutional means can be found to provide solutions to the political, social and economic crisis, means that can make it possible to help all those suffering from the tensions of recent years, and to offer all the Venezuelan people a horizon of hope and peace.

The Holy See expresses the hope too that dialogue between Israelis and Palestinians will resume, so that an agreement at last can be reached and a response given to the legitimate aspirations of both peoples by ensuring the coexistence of two states and the attainment of a long awaited and desired peace. A united commitment on the part of the international community is extremely important and necessary for attaining this goal, as also for promoting peace in the entire region, particularly in Yemen and Iraq, while at the same time ensuring that necessary humanitarian assistance is provided to all those in need.

Rethinking our common destiny

Finally, I would mention a fourth feature of multilateral diplomacy: it invites us to rethink our common destiny. Paul VI put it in these terms: “We have to get used to a new way of thinking… about man’s community life and about the pathways of history and the destinies of the world… The hour has come… to think back over our common origin, our history, our common destiny.

The appeal to the moral conscience of man has never been as necessary as it is today, in an age marked by such great human progress. For the danger comes neither from progress nor from science… The real danger comes from man, who has at his disposal ever more powerful instruments that are as well fitted to bring about ruin as they are to achieve lofty conquests”.[10]

In the context of that time, the Pope was referring essentially to the proliferation of nuclear weapons. “Arms, especially the terrible arms that modern science has provided you, engender bad dreams, feed evil sentiments, create nightmares, hostilities and dark resolutions, even before they cause any victims and ruins. They call for enormous expenses. They interrupt projects of solidarity and of useful labour. They warp the outlook of nations”.[11]

It is painful to note that not only does the arms trade seem unstoppable, but that there is in fact a widespread and growing resort to arms, on the part both of individuals and states.

Of particular concern is the fact that nuclear disarmament, generally called for and partially pursued in recent decades is now yielding to the search for new and increasingly sophisticated and destructive weapons. Here I want to reiterate firmly that “we cannot fail to be genuinely concerned by the catastrophic humanitarian and environmental effects of any employment of nuclear devices. If we also take into account the risk of an accidental detonation as a result of error of any kind, the threat of their use – I am minded to say the immorality of their use – as well as their very possession, is to be firmly condemned. For they exist in the service of a mentality of fear that affects not only the parties in conflict but the entire human race.

International relations cannot be held captive to military force, mutual intimidation, and the parading of stockpiles of arms. Weapons of mass destruction, particularly nuclear weapons, create nothing but a false sense of security. They cannot constitute the basis for peaceful coexistence between members of the human family, which must rather be inspired by an ethics of solidarity”.[12]

Rethinking our common destiny in the present context also involves rethinking our relationship with our planet. This year too, immense distress and suffering caused by heavy rains, flooding, fires, earthquakes and drought have struck the inhabitants of different regions of the Americas and Southeast Asia.

Hence, among the issues urgently calling for an agreement within the international community are care for the environment and climate change. In this regard, also in the light of the consensus reached at the recent international Conference on Climate Change (COP24) held in Katowice, I express my hope for a more decisive commitment on the part of states to strengthening cooperation for urgently combating the worrisome phenomenon of global warming. The earth belongs to everyone, and the consequences of its exploitation affect all the peoples of the world, even if certain regions feel those consequences more dramatically.

Among the latter is the Amazon region, which will be at the centre of the forthcoming Special Assembly of the Synod of Bishops to be held in the Vatican next October. While chiefly discussing paths of evangelization for the people of God, it will certainly deal with environmental issues in the context of their social repercussions.

Your Excellencies, Ladies and Gentlemen,

On 9 November 1989 the Berlin Wall fell. Within a few months, an end would come to the last legacy of the Second World War: the painful division of Europe decided at Yalta and the Cold War. The countries east of the Iron Curtain recovered freedom after decades of oppression, and many of them set out on the path that would lead to membership in the European Union.

In the present climate, marked by new centrifugal tendencies and the temptation to erect new curtains, may Europe not lose its awareness of the benefits – the first of which is peace – ushered in by the journey of friendship and rapprochement between peoples begun in the postwar period.

Finally, I would like to mention yet another anniversary. On 11 February ninety years ago, the Vatican City State came into being as a result of the signing of the Lateran Pacts between the Holy See and Italy. This concluded the lengthy period of the “Roman Question” that followed the taking of Rome and the end of the Papal States.

With the Lateran Treaty, the Holy See was able to have at its use “that small portion of material territory indispensable for the exercise of the spiritual power entrusted to men for the sake of mankind”,[13] as Pius XI stated. With the Concordat, the Church was once more able to contribute fully to the spiritual and material growth of Rome and Italy as a whole, a country rich in history, art and culture, which Christianity had contributed to building.

On this anniversary, I assure the Italian people of a special prayer, so that, in fidelity to their proper traditions, they may keep alive the spirit of fraternal solidarity that has long distinguished them.

To you, dear Ambassadors and distinguished guests here present, and to your countries, I offer cordial good wishes that the New Year will see a strengthening of the bonds of friendship uniting us and renewed efforts to promote that peace to which our world aspires.

Thank you!

 

2019年1月8日

・バチカンの報道局長、副局長が突然辞任-ジャーナリストの”限界”か?

(2019.1.5 カトリック・あい)

 教皇フランシスコが2018年12月31日付で、バチカン報道局のグレッグ・ブルク局長とパロマ・ガルシア・オベヘロ副局長の辞職を承認した。バチカンの公式発表は2人の辞任の理由を明らかにしていないが、年末ぎりぎりになっての”任期”なかばでの(バチカンの外で経験を積んだ)ジャーナリストの出身として注目されていたバチカン広報のキーパーソン二人の突然の辞任。その本当の理由は何か。Crux記者の解説からうかがえることは…

 教皇は、辞任した2人の暫定後任として、バチカンの広報省で現在ソーシャルメディア部門の責任者を務めるアレッサンドロ・ジソッティ氏を任命した。イタリア人でバチカン内部の広報畑で過ごしてきた人物だ。そして、初仕事と言えるのは、1月下旬から2月上旬にかけて、パナマでのワールド・ユース・デイ出席、アラブ首長国連邦での宗教間対話の広報。彼をトップとする新報道チームにとって、準備に与えられた時間はわずかだ。

 しかも、これらの直後の2月下旬には世界中から各国の司教協議会会長たちがバチカンに集合しての性的虐待危機への対応協議が控えている。広報担当者として世界の各種報道機関の窓口として、十分な役割を果たせるのか。2人の辞表を受理したのは適切な判断だったのだろうか。

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(Crux 解説)

(2018.1.2 Crux Editor  John L. Allen Jr.) ローマ発-大みそかに、バチカンの広報幹部二人-米国人のグレッグ・ブルクとスペイン人のパロマ・ガルシア・オベヘローが辞任」というニュースが飛び込んで来た時、多くのメディアの見出しに「突然」「予想外」という言葉が躍った。

 彼らが間もなく辞任する、という兆候はなかったからだが、正直に申し上げると、私自身にとっては、これが「予想外」では全くなかった。彼らが2016年にポストに就いて以来、この日が来るのではなかと、ずっと懸念していたからだ。

 その理由は簡単なことだ。2人は、心底からジャーナリストであり、ジャーナリストは企業・団体の代弁者ではないからだ。

 当然ながら、2人はともに信仰厚いカトリック信者だし、教会から奉仕を頼まれたら、「はい」と答える。だが、これがまさに重要な点だ-教会は彼らに頼まないという分別を持つべきだったのだ。彼らは(バチカンの)外から見る立場にいる方が、存在価値が高いからだ。

 ブルクは、ローマとバチカンに深い知識のあるベテランの米国人ジャーナリストだ。カトリック系の新聞記者を振り出しに、Time と Fox Newsで働いていた。ガルシア・オベヘロはスペイン司教団の公式ラジオ局でスペイン第二のラジオ局COPEのローマ特派員として、ローマで最も仕事熱心なジャーナリストとして知られていた。

 2人がバチカンの発するメッセージを作る本当の機会-トップに直接、話すことができ、政策決定のプロセスで意味のある役割を担うなどーを与えられていたら、事態は異なったものになっていただろう。だが、そのような機会は全く与えられなかった。彼らが報告するのはバチカン国務省の役人で、教皇フランシスコに直接、ではなかった。つまり、バチカン官僚に依存するジャーナリスト、というわけだ。

 実際のところ、これでは、成功の処方箋にはなり得ない。(バチカンで力を持つ人間が、事が起きる前にそこで働くジャーナリストに相談したなら、多くの頭痛が起きるのを避けれただろう。)

 「ご自身の決定や声明がどのように受け止められるか」「無用な誤解を避け、彼の意図通りに人々に伝えるにはどうしたらいいか」などを、教皇に事前に助言できればよかったのだが、彼らが与えられた役割は、ツイートやインスタグラムなどインターネット通信業務の管理や報道室の維持管理などに矮小化されていた。このような業務は、優れた才能を持ち、創造的で行動的なジャーナリストにふさわしくない。

 だが、彼らのバチカン広報局での活動が失敗だった、というわけではない。彼らは広報局を、リラックスした、人間的な気風のある、ジャーナリストたちが大切に、親切に扱われている、と感じる場所にした。(それほど大きく変わったと見えないかも知れないが、これまで20年以上、ずっと、そうしたことが無かったのだ。)

 彼らはさらに、情報伝達に新たな方法を試みた-ニュース源となる関係者と記者の非公式の”会合場所”を設け、長々とした声明文を出すことを避け、時間をもっと有効に使うようにした。教皇の内外訪問を取材しやすくした-常に当然視はできない、彼らのジャーナリストとしての経験が生かされた一面だ。

 彼らはまた、バチカンが国際的なニュース発信源であることを理解していた。重要な発表文書類の信頼できる翻訳を主要な言語で入手できるようにした。

 「締め切り時間」の重要性を理解し、速報とその後の動きはリアルタイムで、Telegram(Telegram Messenger LLPが開発するインスタントメッセージシステム)のようなアプリを活用して発信し、電話やインターネットでの問い合わせにすぐに応じた-ガルシア・オベヘロの場合、午前3時であっても応対し、「一体いつ眠るのだろうか」を我々を心配させるほどだった。

 2人とも記者たちがする質問の内容を理解し、隠し事をするようなことは無かった。お気に入りの記者に特別扱いをすることもなく、働いた。彼らがバチカンの報道室で仕事について以来、皆が彼らに世話になった。

 だが、彼らはいつもフラストレーションを感じていたに違いない-彼らがおかれた現実とあるべき姿との落差の大きさに。そのような落差がバチカンのコミュニケーションの扱い方に組み込まれていたとしたら、最近の何週間かのどんでん返しにもかかわらず、それが変わることはありそうもない-バルクとガルシア・オベヘロがいつも壁にぶつかることは、運命づけられていたのだ。

 それについて考えるとすれば、それは機会費用(複数ある選択肢のうち、同一期間中に最大利益を生む選択肢とそれ以外の選択肢との利益の差のこと)だということだ。極めて有能な記者である2人-優れた縁故を持ち、速報の文脈について深く理解し、事実を正しく理解した2人-は2年の在任期間中に、聖職者による性的虐待が引き起こした危機、教皇フランシスコの治世に解き放たれたバチカン内部の緊張、あるいは成果を生まないバチカンの財政金融改革などについて語る立場にあった。

 それができたら、記者たちはバチカンの官僚機構の行き詰まりと誤りを明らかにし、教皇職についてもっと良く理解されるようにし、そして、カトリック教会をいくつかの重要な分野でその活動を浄化を強く促すことができたろう。

 バチカン担当の記者たち自身に問うてもらいたい。「”巨大な宣伝コピー機”を動かす以上に彼らの時を活用してきただろうか」と。

 いずれにしても、ここに予見がある-バチカンの発信でブルクからもガルシア・オベヘロからも最後の言葉を聞いていない。率直に言って、恐らくいつもいた街の脇道に彼らが戻って、最上の日々が約束されているかどうか、私には確信が持てない。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

2019年1月5日

・教皇フランシスコは2019年も多忙な日程(VaticanNews)

(2018.1.2 VaticanNews Devin Watkins)

 教皇フランシスコの日程は、聖職者による未成年性的虐待への対応を話し合う2月のサミット、10月のアマゾン地域シノドス、外国訪問が、アラブ首長国連邦(UAE)、パナマ、モロッコ、ブルガリア、マケドニアなど、そして、バチカン改革の継続…と、2019年も多忙な一年となりそうだ。

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*外交団との年頭会見でー国際社会へのメッセージ

 教皇の主な公式行事は、駐バチカン外交団との恒例の年頭会見。国際社会に対する強力なメッセージを発する機会として使われることが多い。昨年は国連人権宣言70周年に合わせて、3000年期の現在も多くの人権、とくに生存の権利が侵されていることへの、世界の人々の認識を新たにする契機とする希望を込めた。

*パナマに全世界の若者たちが集まるWYD

 2019年の教皇外国訪問は、1月の23日から28日まで、パナマで開く第34回ワールド・ユース・デイ(WYD)への出席で始まる。昨年11月に出されたビデオ・メッセージで教皇は、若者たちに、長椅子から立ち上がり、夢、理想、そして勇気を通して、この世界を良くする働きをするように、と呼びかけている。

*アラブ首長国連邦訪問ー異宗教対話と連帯の推進

 2月は教皇にとって、特別に多忙な月となりそうだ。3日から5日まで、フランシスコは歴代の教皇として、初めて、アラブ首長国連邦(UAE)を訪問する。訪問の最大のテーマは、異宗教間対話と異なる信仰を持つ人々との連帯だ。UAEの指導者たちは、2019年を、宗教原理主義に束縛されない文化の推進という目標を掲げる「寛容の年」とすると言明している。

*枢機卿会議と教皇庁組織改革

 2月18日から20日にかけて、第28回枢機卿会議がバチカンで開かれる。焦点は教皇庁の組織改革だ。新提案は昨年末に教皇に出されているが、その狙いは、バチカンの管理・運営体が福音宣教する教会の求めにもっと的確に対応できるようにすることだ。

*性的虐待問題で2月に全世界司教協議会会長会議

 2019年の教皇の予定の中で恐らく最も注目されているのが、2月21日から24日までバチカンで開かれる会議だ。未成年や弱い成人に対する虐待をいかに防ぐかを議論するため、教皇は全世界の各国司教協議会会長との話し合いを持つ。会議は、教会の構成員の中の人々によってなされた性的虐待にとどまらず、力と心の虐待に対する戦いにおいて、極めて重要なものとなることが定められている。昨年末の教皇庁職員に対する恒例の講話で、教皇は、真実と正義を進むことに、いかなる言い訳も容認されない、と語られている。 

*モロッコ訪問ーイスラム教との相互理解と対話

 3月30、31両日、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の訪問から33年ぶりに、モロッコを訪問される。彼の業績を受け継ぎ、キリスト教とイスラム教の相互理解と宗教間対話を進める考えだ。

*ブルガリア、マケドニア訪問-ギリシャ正教との信仰一致の推進

 4月に外国訪問を一休みした後、5月5日から7日にかけて、教皇はブルガリアとマケドニアを訪問する。ブルガリで、首都・ソフィアとラコウスキを訪れた後、マケドニアの首都で、マザーテレサの生地であるスコピエに回る。バルカン半島で正教徒が多数を占めるこの二つの国で、カトリック教徒は少数派であることから、信仰一致の推進が教皇の訪問の主な狙いだ。

*日本訪問を希望-四百有余年前の少年遣欧使節も想起

 まだ公式決定ではないが、教皇フランシスコは日本からのバチカン訪問団に対して、2019年に日本を訪問する希望を表明されている。訪問団との会見で、教皇は、1585年に少年遣欧使節がイエズス会宣教師たちと共に教皇グレゴリオ13世の表敬のためにローマに到着したことを思い起こされた。

*そして、アマゾン地域シノドスへ参加-環境保護などがテーマに

 年の後半、アマゾン地域の問題のため司教たちが集まる地域シノドスに参加する。「アマゾン-教会のため、かけがえのない環境のために新たな道」がテーマとなるが、環境に限らず、多くのテーマが、7つの司教協議会と九つの国の会議の関心を引くことだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年1月4日

・「性的虐待の責任追及よりも”虐待の文化”改める”回心”が必要」教皇、米国司教団に書簡

(2019.1.3 Crux National Correspondent Crsitopher White)

 教皇フランシスコは3日、シカゴにある神学校で一週間の黙想を始めた米国の司教たちに書簡を送られた。

 聖職者による未成年性的虐待問題で大揺れを続ける米国のカトリック教会の責任者たちにあてた8ページにわたる書簡で、教皇は、”責任追及”に関心を持つ行政管理者である以上に、謙遜と一致に基礎を置いた「団体指導責任を持った霊的教父」によって特徴づけられる指導者としての司教たちによる「新たな教会の活動期」を迎えるように求めた。

 米国の教会の苦境に対する処方箋の提示に先立って、教皇はまず、教会の信用失墜という疾患を診断し、病因は、性的虐待の「悪行と犯罪」だけでなく、それ以上に、「そのことを否定したり、隠したりするのに汲々としたこと」にある、と指摘。そうしたことの結果、「信徒たちの間に、将来への不安、不信、傷つきやすい心が強まった」と嘆かれた。

 さらに「聖職者、男女の修道者、そして一般信徒によって、身体と心を踏みにじられ、性的に虐待された全ての犠牲者の人生は、激しい動揺の時を過ごしてきました。そのような動揺と苦しみは、犠牲者の家族、そして神の民すべてのものでもあったのです」と指摘され、「状況の深刻さからみて、対応が十分でなかったことを、私たちは知っています」と教皇は述べられた。

 今回の米国司教団の黙想は、教皇の求めによるもの。教皇は昨年9月に米国の司教協議会の代表団と、米国教会の性的虐待危機に火を付けた前枢機卿のセオドール・マカリック大司教に対するバチカンの捜査を米が要請したことについて協議。教皇は、要請を承諾せず、代わりに、危機対応の一環として司教たちによる集団黙想を求めていた。書簡の中で、教皇は、ご自分はこの黙想に物理的に参加することはできないが、”言葉”で、共に黙想ができるようにしたい、とされた。

 教皇は、米国教会を翻弄している「虐待の文化」を認めたうえで、「このような悪行と犯罪が引き起こした痛みは、司教たちの霊的交わりにも、深刻な影響を与え、生きている体のどこにもある『健全であり、必要な不適合と緊張』ではなく、『分裂と離散』を引き起こした」と厳しく指摘された。

 そして、今後の進むべき道を示す中で、教皇は、司教たちの失墜した信頼の回復は「まるで私たちが人事・管理の担当者であるかのように、厳しい規則を出したり、単に新たな委員会を作ったり、作業手順を改善したりすることでは、達成できません」、そのような対応は、司教の役割を小さくし、教会を「福音宣教ビジネス」における運営管理者か組織運営者にしてしまうだろう、と警告。

 管理運営に心を配るよりも、米国の司教たちに必要なのは、祈り、権力、資金、そして広く世界とのつながりについての対応を改める、新たな考え方を追求することだ、と強調された。端的に、教皇は「虐待の文化」を改める「司牧的回心」を改めて求められた。

 またご自分が米国教会に求める「新たな教会の活動期」とは、様々な単なるアイデアではなく、神の民の間での霊的な識別によって引き起こされるもの、とし、「私たちのカトリックの教えが危機に瀕している」と警告したうえで、「試練と苦難の今の時が、私たちの兄弟の交わりを脅かす時であることを、私たちは知っています…しかし、今の時が、神の恩寵が私たちのキリストとの結びつきを保ち、信頼できるものとする時ともなり得る、ということも知っているのです」と教皇は述べた。

 さらに、司牧者にとって互いの、そして大きな羊の群れとの和解に必要なのは、積極的に聴き、失敗から学ぶこと、身を守るような振る舞いをすることではない、と注意を与えた。

 教皇は書簡の最後に、司教たちが負った課題-聖性を取り戻し、信頼を回復するために努めること-信頼は「全ての人、とくに主の心に最も愛されている人への謙虚で寛大な奉仕」によって証明される、と改めて強調した。

・・・・・・・

 今回の司教黙想会の初めに当たって、全米司教協議会会長のダニエル・ディナルド枢機卿は教皇にメッセ―日を送り、黙想の日々を、教会によって苦痛を味合わされたと感じている全ての人の痛みと希望を共有して過ごす、と誓った。

 同時に、「未来が、私たち自身だけでなく、神によっていることを思い起こすことに感謝します。希望は、キリストにおいて見出すべきもの。キリストにおいて、希望は揺るぎないものとなります」と述べ、「聖なる父、私たちはまた、祈りと司牧であなたに近づきます… 世界中の痛み苦しみへのあなたの証しが、私たちを強めてくれます。私たちの黙想の日々が、普遍教会の霊的交わりを反映するものとなりますように」としている。

 教皇は昨年4月、やはり聖職者の性的虐待で危機の最中にあるチリの司教団に、今回と同様の書簡を渡している。教皇は昨年1月にチリを訪問された際、性的虐待危機へのご自身の対応について、各方面から批判を受けた後、4月にチリの司教団をバチカンに召喚したが、書簡はその際に出され、ご自身の「重大な誤り」を認めたうえで、幾人もの高位聖職者が性的虐待を犯した者たちを隠蔽した問題へのご自身の対応について謝罪していた。

 米国の司教たちは、2日から8日までの黙想期間中に、教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ師から、毎日二回、黙想指導を受けている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

 

2019年1月4日

*教皇フランシスコの2019年は-”性的虐待対策サミット”、外国訪問、諸課題への取り組み

(2018.12.31 カトリック・あい)

*2月下旬の全世界司教協議会会長会議で性的虐待対策協議-だが、チリのトップは欠席

 2019年を教皇フランシスコはどのように過ごされるのだろうか。年明けにまず、待ち構えているのは、ご自身が招集される2月の聖職者性的虐待への対応を話し合う全世界司教協議会会長会議だ。

 2月21日から24日にかけてバチカンで開かれるこの会議で重要なのは、この問題が、性的虐待が司法当局も介入して深刻な信用失墜を招いている米国、カナダ、チリ、アイルランド、ドイツ、そしてオーストラリアに限らず、世界の教会全体の問題だ、という認識を共有することであり、そのうえで、全世界の教会が一致して具体的な対応に踏み出すことを決めることだ。

 2018年10月の「若者シノドス」でも、この問題が取り上げられ、教皇がかねてから言われている “zero tolerance”(加害者に対する容赦のない処罰)の原則が議決寸前までいったものの、「性的虐待は欧米の問題、自分たちのところでは問題になっていない」などとするアフリカやアジアの司教たちの抵抗で、見送られている。米国の司教協議会はシノドスの後、独自の具体的な対応策を決めようとした学校、バチカンから「2月のサミット後にするように」とのストップがかかり、棚上げしている。

 さらに年末ぎりぎりになって、全司教が聖職者の性的虐待への対応の誤りの責任を取って辞表を出し、対応への責任が最も重いはずのチリ司教協議会会長のリカルド・エザッティ枢機卿がサミットを欠席する、と30日付けのCruxで伝えた。枢機卿は性的虐待に関与した疑いで同国の司法当局の捜査を受けていながら、現在も協議会長と首都サンチャゴの教区長のポストに留まり続けている。

 このような中でのサミット。教皇は、厳しい具体策を決め、実施を宣言することで教会の信頼回復の足がかりとすることを強く望まれて、会議を教習したのだが、期待通りの成果が得られるかどうか、前途は容易でないようだ。

 

*外国訪問は引き続き精力的に

 教皇は2019年も精力的な外国訪問をなさることになりそうだ。

 バチカンがこれまでに発表している外国訪問の予定は、まず1月は23日から27日までパナマで開かれるWorld Youth Dayに出席され、2月は3日から5日までアブダビで開かれる宗教間対話への出席と現地のカトリック教会共同体訪問。3月は30、31の両日、モロッコへ。5月は5日から7日までブルガリア、マケドニアを訪問される。10月にはアマゾン地域の司教たちが集まる地域シノドスもある。

 さらに、まだ噂の段階だが、夏に、アフリカの司教会議発足50周年記念を機に、同地の何か国かを訪問すると言われており、日本についても教皇ご自身が、日本の関係者に「年末までに広島、長崎などに行きたい」との希望を表明されている。ただし、教皇もすでに82歳の高齢になられており、心身にストレスのある外国訪問のペースを落とすことも、バチカン関係者の間で取りざたされているようだ。

 バチカンのお仕事でも、水曜定例の一般謁見に加えて、個別の謁見も精力的に続けられる見通しである。財政金融を中心としたバチカン改革、教会における女性と若者たちの役割向上なども、2018年に引き続き、大きな課題となるに違いない。

 教皇フランシスコのために、主のご加護と導きを祈ろう-民主主義国家のリーダーたちが大きな揺らぎを見せ、一方で全体主義の独裁国家のリーダーが少なくとも外見上は支配・権力を強める世界にあって、地上の平和と一人ひとりの人間の権利を守り、発展させようと揺らぐことのない努力を続けておられる82歳のカトリック教会のリーダーが、2019年も健康で、的確な識別力を働かせ、主のみ旨にかなう業を続けることができますように!合わせて、次世代のリーダーをしっかりと育てることができますように!

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

2018年12月30日