・10月の「若者シノドス」予定通り・成否のカギ握る教皇盟友たち・日本は?(Crux)

(2018.9.15 Crux Senior Correspondent Elise Harris)

ローマ発―聖職者による性的虐待問題が教皇フランシスコに降りかかり、一部に開催延期の声も出ていた「若者、信仰と召命の識別」をテーマとするシノドス(全世界代表司教会議)が、予定通り10月3日から28日までバチカンで開かれることになった。15日、バチカンから同シノドスの出席者リストが公式発表され、予定通りの実施が確認されたものだ。

 出席者は約300人で、全世界から各国の司教協議会あるいは教皇自身が指名した枢機卿、司教、司祭、一般信徒から成る。具体的には、2015年の前回シノドス閉幕時に選ばれていた15人のシノドス組織運営委員会メンバー、各国司教協議会指名の151人、それに教皇指名の39人に、バチカンの諸官庁のトップ、監査役、東方教会代表、修道会会長連盟が指名した代表者たちが出席する。

 教皇が指名した高位聖職者たちの顔ぶれは、社会問題と欧米以外の途上国地域に対する教皇の関心を示すだけでなく、教皇の盟友が目立っている。具体的に名を挙げれば、独ミュンヘン大司教でドイツ司教協議会長のラインハルト・マルクス枢機卿、米シカゴ大司教のブレーズ・キューピッチ枢機卿、米ニューアーク大司教のジョセフ・トービン枢機卿、ローマ司教代理のアンジェロ・デ・ドナティス枢機卿で、マルクス枢機卿以外の全員が教皇フランシスコによって枢機卿に任命されでおり、彼ら全員が教皇の腹心の友、と見られている。

 高位聖職者以外の教皇指名者で注目されるのは、イエズス会が発行し、世界最古の定期刊行物とされているLa Civilta’ Cattolica誌編集長のアントニオ・スパダロ神父、バチカンの人間開発のための部署で移民・難民部門担当の副長官を務めるマイケル・ツァーニィ―神父の2人で、いずれも教皇フランシスコと直接にやりとりする関係を持っている。

 このほかの注目人物は、カナダ・ケベック大司教のジェラルド・シプリアン・ラクロア枢機卿、バチカン市国行政長官のジュゼッペ・べルテロ枢機卿、バチカン生命アカデミー総裁で新設のヨハネ・パウロ2世・結婚・家庭科学研究所所長のビンセンゾ・パグリア大司教、伊ボロニアのマッテオ・マリア・ズッピ大司教、ミラノのマリオ・エンリコ・デルピーニ大司教、そして、豪メルボルンのピーター・アンドリュー・コメンソリ大司教だ。

 教皇指名の出席者には、その多くが教皇フランシスコから任命され、信徒の少ない教区や教会が困難な状況に置かれている教区のトップもいる。教皇は昨年、ミャンマーを訪問され、数少ない信徒を励まされ、ロヒンギアの難民ともお会いになったが、同国のチャールズ・ボー枢機卿を始め、中央アフリカ共和国のドウドンヌ・ザパラインガ枢機卿、メキシコ市のアギア・レテス枢機卿、エルサレム使徒的管理者のピエバティスタ・ピッザバーラ大司教、コンゴ民主共和国のフリドリン・アンボンゴ・ベスング大司教、パキスタン・カラチ大司教のジョセフ・カウツ枢機卿たちだ。

 そのほか、欧米から離れた地域からは、ウルグアイのダニエル・フェルナンド・スターラ・ベルハウエト枢機卿、ケープ・ベルデのアーリンド・ゴメス・フルタド枢機卿、パプアニューギニアのジョン・リバット枢機卿、ラオスの教皇代理のルイマリー・リン・マンカネコウン枢機卿、マダガスカルのデジレ・ツアラハンザ枢機卿、アンゴラのガブリエル・ムビリンギ=ルバンゴ大司教が出席する。同じく出席予定者のパナマのホセ・ルイス・ラクンザ・マソトロホアン枢機卿は、来年1月のワールド・ユース・デイの準備で重要な役割を果たしているが、総じて、意外な人物は出席リストにあまりみられない。

 そうした中で、意外な出席者は、ローマの聖ヨハネ大聖堂の音楽監督でローマ教区聖歌隊の指揮者であるマルコ・フリシナ師だ。彼は、教皇の祈りのいくつかに曲をつけ、ローマで高い名声を挙げている人物だ。

 また教皇が社会問題に強い関心を持っていることは、ホノルルの社会使徒職事務局長のロバート・スターク師、雑誌Aggiornamenti Socialiの編集長で“San Fedele Cultural Foundation” 会長、”Carlo Maria Martini Foundation”副会長でもあるギアコモ・コスタ師が出席者として選ばれたことに表れている。

 他にもっともな人選として、バチカンで、学校で、小教区で、若者の司牧に直接かかわっている司祭たち、バチカンの信徒・家庭・命の部署のアレキサンドレ・アウィ・メロ次官、教皇庁立サレジオ大学で若者の司牧について教え、イタリアの雑誌 Note di Pastorale Giovanileの編集長でもあるロッサノ・サラ教授がいる。

 教皇指名の出席者はこの他に、ルクセンブルクのジャン・クロード・オロリッシュ大司教、アルゼンチンのエドアルド・ホラシオ・ガルシア司教、韓国のYou Heung-Sik 司教、ベルギーのルカス・バン・ローイ司教、イタリア・パドゥアのクラウディオ・シポラ司教、ポーランドのマリアン・フロルジック補佐司教、オプス・デイ副会長で教皇庁立聖十字架大学の副総長のマリアーノ・ファジオ師がいる。

 司教協議会の指名では、米ガルベルストン=ヒューストン大司教で米司教協議会長のダニエル・ディナルド枢機卿、ロサンゼルスのホセ・ゴメス大司教がいる。2人は13日にローマで教皇と前枢機卿のセオドール・マカリック師を巡る性的虐待スキャンダルへの対応などについて協議している。インターネット・メディアでの発信に積極的な姿勢で知られるロサンゼルスのロバート・バロン補佐司教も、司教協議会指名で今回のシノドスに出席する。

(「カトリック・あい」より・・・ルクセンブルクのジャン・クロード・オロリッシュ大司教は、イエズス会士で、最近まで上智大学で副学長を務めており、日本の学生たちについて知識が豊富だ。また、今回シノドスは日本の教会にとっても大きな問題を扱う予定であるにもかかわらず、日本の出席者が予定されいるのか、いないのかも含め、全く注目されていないのは、日本の司教団の会議への消極的姿勢の反映であるとしたら、残念なことである。)

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2018年9月16日

・教皇は「児童保護サミット」で「いちかばちかの一手」に出た(Crux・解説)


Why Francis’s child protection summit may be highest-stakes gamble of his papacy

Pope Francis during his regular Wednesday general audience on Sept. 12, 2018. (Credit: AP.)

 ローマ発 -12日のバチカンの大ニュースは言うまでもなく、教皇フランシスコが世界各国の司教協議会会長-全員で100人を超える-をバチカンに集め、「弱者保護」を 議題とする会議を開くことを発表したことだった。

 即座に出た反応は、これが、例外的ともいえる大荒れの一か月の後の、教皇フランシスコについての物語とカトリック教会の聖職者による性的虐待スキャンダルを塗り替えるバチカンの努力の一環だ、との推測だ。

 大荒れのこの一か月は、米ペンシルバニア州の大陪審報告に始まり、「教皇はセオドール・マカリック前枢機卿の不適切な性的行為を5年前に知りながら無視していた」とのバチカンの前駐米大使による告発に至るものだった。

 教皇が来年2月に開く会議が、”普段通りのありふれたもの”でないことは、誰にでも分かる。バチカンが世界中の司教協議会の会長全員に招集をかけることは、どのような理由にせよ、稀なことだし、性的虐待の問題で高位の指導者たちが横断的に集められるのは初めてだ。

 教皇と助言者たちが会議の開催を開くことで念頭にあるのは、チリの問題だ。同国で2016年から2017年に性的虐待危機が熱を帯びた時、教皇は被害者たちに敵意を抱いていると広く受け取られた。今年1月には、ある司教を「加害者たちを隠ぺいした」として批判し続ける被害者たちを、教皇は「司教を中傷している」と非難さえしていた。

 だが、その後、事態は急旋回した。教皇は5月になって、チリの司教全員をローマに召喚し、彼らは会見の終わりに全員が辞任を表明した。教皇は彼らを叱責し、司祭たちの性的虐待を単に無視しただけでなく、犯罪行為の証拠隠滅などにより意図的に隠ぺいしたとして、彼らのうちの何人かに躊躇なく有罪の判断を下した。

 その結果は、教皇が解決のカギとなる問題の一部となることから外れたことを、そして多かれ少なかれ潜在的にメディアが騒ぎを起こす火種を、消し去ったことを意味するものだった。そして、その後、教皇が全司教のうち5人だけの辞表を、公けの説明なしに受理した時に、その勢いは消えようとしたが、それにもかかわらず、多くの人々は1か月前、なお教皇を信じようとしていた。

 司教協議会の会長たちの招集が「教皇の事態打開の決意を印象付け、落ち込んだ今の雰囲気を改めるチリ問題に対したのと同じ刺激効果をもたらす」と、教皇と助言者たちは考えているのかもしれない。だが、彼らが十分に認識していそうにないのは、対処しようとしている問題がチリよりもずっと大きいことだ。実際のところ、これは恐らく、極めて掛け金の高い賭けになるだろう。失敗すれば、地球的な規模の機能不全に陥るかもしれないからだ。

 過去5年半の間、私が教会関係者たち、ジャーナリスト仲間と会話する中で、あるいは講義の場で何度となく話題になったのは「教皇フランシスコと大衆との蜜月関係が何によって終わらされるのか」という問いだった。教皇フランシスコは人の心をつかみ、奮い立たせる人物だから、その問いは、答えるのに窮するものだった。だが、私は次のように答えた-「教皇が、性的虐待問題で汚れていると大衆に受け止められるようになったら、それが、蜜月の関係を終わらせるものになるかもしれない」と。

 今、私たちはまさにその段階に来ているように思われる-人々は、教皇が改革について言っていることは何を意味するのか、教皇は個人として性的虐待問題の隠ぺいで責めらるべきなのか、と問うているのだ。

 この問題の唯一の出口があるとすれば、それは二重になっているように思われる。

 第一に、バチカンは、マカリックの問題をはじめとして(聖職者による性的虐待の)何を、いつ知ったかを公けにすることだ。実際、そうしなければならなくなっている。13日に、教皇は米国の司教協議会の指導者たちと会い、マカリック問題の調査について議論するが、信頼を損なわずに、どのようにしてバチカンの最終的な狙いについての問いが議論から外されるか、を知ることは難しい。

 (仮に、米司教協議会会長でガルベストン・ヒューストン大司教ののダニエル・ディナルド枢機卿が、今週、性的虐待の容疑で逮捕された配下の司祭たちの1人に対する訴えへの対応を彼自身が誤った、とする訴えに動揺しているとしたら、どうだろうか。だが、誰がこの会議を主導しようとも、マカリックの問題が消えることはない。)

 第二に、バチカンは、大部分の観測筋が教会のまだ成し遂げていない仕事の目立った部分として見ているものー性的虐待の犯罪と同様に隠ぺいについての説明責任をしっかりと果たすことーについて公けに語らねばならない、ということだ。

 今、明らかなのは、カトリックの聖職者が児童に対する性的虐待で訴えられた場合、躊躇なく調査し、訴えが信用できると判断されれば、速やかに厳しい処罰をくださねばならない、ということだ。だが、現実は、司教や他の高位聖職者が犯罪の隠蔽で訴えられた場合に、誰が取り調べをし、どのような手続きがとられ、どのような処罰を下すのか、まったくはっきりしないままにされている。

 説明責任が言われながら(重要な部分は)秘匿されたままだ-それが、カトリック教会がいまだに自らの行為を正していない、と抗議する際に、関係者が指摘する最も重要な点である。

 もしも、2月の世界の各国司教協議会会長が集まっての会議で、以上の二つ課題について現状を突破するような結果が出ないならば、彼らが持って帰るのは、冷笑されるような、表面を繕った儀式の産物、教皇フランシスコが取り戻そうと懸命に努力したであろう素晴らしい姿さえも幻滅させるもの、となるだろう。

 来年2月の終わりまでに、先に二つの課題について、バチカンが重要な前進みせることができる、と信じるのは、理にかなったことだろうか?

 そうかも知れないし、そうでないかも知れないが、バチカンが12日に発表した短い声明にさえ「透明性」あるいは「説明責任」という言葉がない、ということに気づくのが、最も明るい兆候ということは恐らくないだろう。(二つの課題について、前進できるかどうかは)教皇が、司教たちの議論を「弱者保護」に集約させられるかどうかにかかっている。

  2月の”サミット”召集の提言が枢機卿顧問会議-メンバーにバチカンの弱者保護委員会の長を務めるショーン・オマリー枢機卿がいる-から出されたという事実は、サミットの最重要課題として考えられているのが、まだ性的虐待対策を進めていない国の司教協議会に取り組みを強く促すことだ、ということを示唆しているようだ。それが、オマリーの委員会が当初から最優先課題としていることだからだ。

 そのような対策が前進を見せるとして、それがサミットの成果のすべてだとしたら、現在の状況の中で本当の前進と判断されるものとして多くの関係者-事の成り行きをしっかりと見つめ、メディアの報道形成を助けることになる性的虐待被害者や監視グループを始めとする人々-が抱いている期待を満たすことにはならないだろう。

 また、予定されるサミットの開催期間がたった3日ととても短いこと、参加者が言いなりになるような人々でなく、各国の司教協議会で選ばれた指導者-前もってお膳立てしたものを無理やり飲み込まされるようなことを素直に受け入れることがありそうもない人々-であることが、おおくのものを成し遂げることを困難にするかもしれない。

 その一方で、このサミットが本当に期待される結果を出すと考えたらどうだろう。全く急に、バチカンの財政・金融などいくつかの分野で結果を出すことに失敗しつつあるように見えた教皇が、過去二代の教皇が成しえなかった改革を成し遂げ、恐らく、宗教改革以来、最大の危機に大胆に立ち向かうリーダーと見られることになるだろう。

 言葉を換えれば、教皇フランシスコは、もしうまくいかなければ、損失を被る大きな取引、うまくいけば利益を得る大きな取引-辞書の定義によれば、「いちかばちかの一手」-に踏み出したのだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

2018年9月14日

・教皇、成人に対する性的嫌がらせ疑われる米司教更迭、調査を指示

(2018.9.13 「カトリック・あい」)

 バチカン広報が13日発表したところによると、教皇フランシスコは米ウエスト・バージニアのウィーリング・チャールストン教区長のマイケル・ブランスフィールド司教の辞表を受理した。

 その理由は発表されていないが、ローマからの各種の報道によると、同司教には成人に対する性的嫌がらせの疑いが出ており、教皇はこの事実上の更迭決定と同時に、ウイリアム・ロリ=ボルチモア大司教にウィーリング・チャールストン教区長代行を命じ、同大司教はバチカンからブランスフィールド師について調査するよう指示された。

 この決定は、米国の司教協議会会長たち米教会の代表団が、バチカンで米国での聖職者による性的虐待への対応について協議したのと前後して行われた。米国での問題の深刻さを改めて印象付けている。

 

2018年9月14日

・教皇、米国カトリック教会の代表団と聖職者による性的虐待について協議

  (2018.9.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコは13日、バチカンに米国司教協議会会長はじめ同国のカトリック教会代表を迎え、米国の聖職者による未成年者虐待問題について話し合った。

 代表団は司教協議会会長でガルベストン=ヒューストン大司教のダニエル・ディナルド枢機卿、教皇庁未成年者保護委員会議長でボストン大司教のショーン・パトリック・オマリー枢機卿、司教協議会副会長でロサンゼルス教区長のホセ・オラシオ・ゴメス大司教、同事務局長のブライアン・ブランスフィールド師の4人。

 会議後、ディナルド枢機卿は、米国カトリック司教協議会のwebサイトを通して声明を発表し、教皇との会見に感謝するとともに、性的虐待の悪によって「傷ついたキリストの体」にたとえられる米国のカトリック教会の現況について、教皇と分かち合うことができた、とし、教皇は代表団に対して心の奥から耳を傾けてくださり、長く、実り多い、有意義な意見の交換ができたと、述べた。

 謁見の終わりに、教皇と代表団はともに「お告げの祈り」を唱え、神のいつくしみを願い、性的虐待で負った傷から立ち直るために働く力をくださるように、祈った。

 また、ディナルド司教協議会長は「次に行うべきより効果的なステップを見出すため、ともに積極的な識別を続けていく」と約束した。

(「カトリック・あい」が編集)

2018年9月14日

・教皇、2月に聖職者性的虐待問題で全世界の司教代表と協議(Vatican News)

(2018.9.12 Vatican News Christopher Wells)

   教皇フランシスコが、全世界の各国司教協議会の代表たちをバチカンに招集し、未成年者と成人弱者に対する性的虐待の防止について協議する会議を開くことになった。12日に終了した枢機卿顧問会議の内容について説明する同日午後の記者会見で、バチカン広報局次長が枢機卿顧問会議の声明発表で明らかにした。

 枢機卿顧問会議の声明によると、この会議は来年2月21日から24日にかけバチカンで開く。声明は、今回の枢機卿顧問会議で、虐待問題について「教皇と、詳細に検討した」という。

(「カトリック・あい」翻訳)

【関連】

聖職者性的虐待問題の抜本解決へ「臨時シノドス」求める動き(CRUX)

(2018.9.2   Crux 

 ”臨時シノドス(全世界代表司教会議)”は、カトリック教会を巻き込んだ聖職者による性的虐待問題に根本的な解決のカギとなるのか?-ここ十日間に、米英の司教3人が、世界のいくつかの地域で新たに表面化している「性的虐待と隠ぺい」に焦点を当てるシノドスの開催を求める書簡を、教皇フランシスコあてて、相次いで送っていることが明らかになった。

 最初に書簡を送ったのは英ポーツマス教区長のフィリップ・イーガン司教。8月22日付けで、聖職者の生活と司牧に関して臨時シノドスを開催するよう要請し、「聖職者による性的虐待は、カトリック教会で世界規模の現象となっているように見えます」「カトリック信者として、司教として、このようなことの数々が表沙汰になったことを深く悲しみ、恥ずかしく思っています」と訴えた。そして、臨時シノドスで話し合われるべきテーマとして、「司祭、あるいは司教のアイデンティティー」、「司祭のライフスタイルと独身生活への支援に関する指針」、「司祭と司教の生活のルール」「司祭と司教の説明責任と監督についての適切な方法」を提案した。

 この一週間後の8月29日に、米ダラス教区の司教たちと司祭たちを代表する形で、エドワード・バーンズ司教が、教皇に対して臨時シノドス開催を求める書簡を送った。書簡では、「聖職者による性的虐待と高位聖職者によるその隠蔽、(神と教会への)忠誠心の欠如によって引き起こされた現在の教会の危機は、大きな害をもたらしています」としたうえで、臨時シノドスで話し合うべきテーマとして「子供たちと弱者のケアを保護措置」「被害者への手当」「聖職者のアイデンティティーとライフスタイル」「教会共同体社会における健全な人間形成の重要性」を挙げた。

 翌日の30日には、米フィラデルフィアのチャールズ・チャプット大司教が教皇に送った書簡を公表し、10月に予定している若者の育成や召命についての通常シノドスを中止し、代わりに、司教の生き方に関するシノドスを計画するよう求めた。

 このような3人の司教の提案が、世界の他の司教たちの支持を得られるかどうか、まだ不明だが、そうした会議の招集・開催がタイミングよく実行可能か、という問題もある。

 教会法によると、シノドスは「世界の異なった地域から選ばれた司教たちの集まりで、教皇と司教たちの密接な一致を育てるため、信仰と道徳の保持と成長、教会の規律の順守と強化について助言をもって教皇を助けるため、そして、世界の教会の活動に付随する問題を検討するために、決まった時に開かれる」とされている。

 シノドスは、2年ないし3年おきに、ローマで開かれるが、会議には三つの形がある。通常総会-10月に予定されている若者をテーマとするものに代表される。特別総会-来年に予定されるアマゾン地域のように、世界の特定の地域に限って開くもの。そして臨時総会-「速やかな問題解決」を必要とする問題を取り扱うために招集されるもの、だ。

 米インディアナ州の聖メインラッド神学院で教会法を教える一般信徒で教会法弁護士のマイケル・ダニガン氏は「ある意味で、臨時シノドスは、現在起きている危機にぴったりの会議のように思われます。今のスキャンダルへの対応は、まさに、喫緊に取り扱うべき課題ですから」とし、「でも、別の意味では、これとは違う形と仕組みの方が、もっと効果的かもしれません。計画し、準備し、何百人もの参加司教を選ぶ作業が、信徒たちに安心感を与える形ですみやかになされるのを、想像することは難しい。航空母艦を海で回頭することは可能だが、素早くはできないのと、同じです」とCruxに語った。

 臨時シノドスは通常シノドスよりも規模が小さく、主要な出席者は、東方教会の代表者たちと世界の各国、各地司教協議会の会長たち。過去に開かれたのは1969年、1985年、2014年の三回だけだが、いずれも”速やかさ”を要するものではなく、緊急の課題に取り組むものでもなかった。

 第二バチカン公会議が閉幕した直後に招集された1969年の会議では、公会議の結果を受けたバチカンとの関係で各国、各地の司教協議会の役割が協議された。1985年の会議は、公会議閉幕20周年を記念して招集され、2014の会議は家庭生活をテーマに二回連続で開かれた会議の一回目で、教皇が呼びかけた、家庭問題についての”識別の過程”の一部をなすものだった。通常シノドスよりも規模は小さかったが、準備に要した時間は変わらなかった。

 理論上はシノドスの臨時総会は、通常総会に比べて速やかに招集される。司教協議会が代表を選ぶために会合をする必要がなく、いくつかの位階的な手続きを省略できるか、短くできることになっているからだが、実際にはそのような例はない。

 ダニガン氏はまた、何がシノドスで、何がシノドスでないのか、を考えることも重要、と言う。「それが、シノドスと公会議を区別する助けになるからです。公会議では、司教たちが教皇とともに、運営権を行使しますが、シノドスは違います。シノドスでは、司教たちは教皇に助言するだけの機能しか持ちません」。それともう一つ考えておかねばならないのは、シノドスが本来、司教たちの会合だということである。一般信徒も会合に招かれ、審議に参加できるが、あくまでオブザーバーとしての参加だ。

 他の例としては、聖職者の性的虐待と隠ぺいが明るみ出てひどくたたかれているオーストラリアで2020年に予定される同国の「全体会議」がある。全体会議は、バチカンの賛同を得る必要があるが、出席者として、全国の司教、司祭、助祭、修道会の会員、そして一般信徒と、教会の全構成員が対象となり、議決権をもつ-拘束力のある決定ができる。全体会議は、米国ではこれまで、19世紀にボルチモアで開催以来、130年以上開かれていない。米国の年配の信徒は、1884年の第三回全体会議で決まった「ボルチモア・カテキズム」に馴染みがあるだろう。

 全体会議では、司教だけに拘束力をもつ決議権があるが、一般信徒など他の出席者は助言する権利を持つ。「私見では、米国の教会にとって、全体会議を開くのが至極、適当です」とダニガン氏はCruxに語り、「2002年にボストンが聖職者による性的虐待の世界的危機の震源地になったように、2018年の現在の危機の震源地はワシントンとペンシルバニアを結ぶ所にあります。何人かの米国の司教たちは、2002年にダラスで開かれた司教たちの会合のような全体会議を開くことを提唱しています」と言う。

 しかしながら、全世界の教会のレベルでそのような会合が開かれる準備はない。ダニガン氏は「現行の教会法はその可能性を考慮に入れておらず、そのような仕組みを提供してもいません」と説明する一方、「大規模な国際的な協議と行動のための全体会議となれば、それは公会議とシノドスですが、一般信徒が、自分たちの決めるやり方で大規模な国際会議を開くのを妨げるものは、何もありません」と語っている。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

2018年9月13日

・教皇、「来年の訪日実現を希望」と-天正遣欧使節顕彰会関係者に(VaticanNews)

(2018.9.12 バチカン放送)

 バチカンのパウロ6世謁見場の小ホールで行われた謁見で、教皇は公式のあいさつの後、「皆さんのこの訪問を機会に

Pope Francis meets members of the Tensho Kenoh Shisetsu Kenshoukai Association from Japan

私が来年、日本を訪問したい、と望んでいることをお伝えしたいと思います。実現を期待しましょう」と述べられた。

 また、この謁見で教皇は「宗教や文化、経済界が、より人間的で、統合的エコロジーを特徴とする世界の構築のために、平和的に協力できるように」と語られた。

Pope Francis meets members of the Tensho Kenoh Shisetsu Kenshoukai Association from Japan  (Vatican Media)

(英語版詳報)


Pope to Japanese Assn: Be ambassadors of Christian values
(2018.9.12 Vatican News)

 Pope Francis meets delegates of the Tensho Kenoho Shisetsu Kenshokai Association before the weekly General Audience and expresses his wish to visit Japan next year.
 This Japanese Association is known for promoting projects of culture and solidarity and on Wednesday Pope Francis met the group in the Paul the VI complex, reminding them of another long journey to meet a Pope.

 The Pontiff recalled the visit more than 400 years ago, in 1585, when four young Japanese arrived in Rome, accompanied by some Jesuit missionaries, to visit the Pope, who was then Gregory XIII.

The Pope pointed out that it was the first time that a group of representatives from Japan had come to Europe and he described it as an historic meeting between two great cultures and spiritual traditions and deserved to be remembered.

In particular, Pope Francis recalled the men’s leader at the time Mancio Ito, who became a priest, and Julian Nakaura who, he said, like many others, was executed on the famous hill of the martyrs of Nagasaki and was proclaimed blessed.

The Pope during the meeting noted the efforts of the Association “to set up a fund for the training of young people and orphans, thanks to the contribution of companies that are sensitive to their problems.”

The Holy Father added that, their wish to show that religion, culture and the economy can work together peacefully to create a more humane world marked by an integral ecology was fully in accordance with what he himself was wishing for.

During his greetings to those gathered, Pope Francis expressed his desire to visit Japan next year and also hoped that after Wednesday’s meeting the group would be encouraged to return to their country as ambassadors of friendship and promoters of great human and Christian values.

2018年9月12日

・バチカンが前駐米大使の”告発文書”に対し公式見解へ-枢機卿顧問会議(Tablet)

Vatican prepares to respond to Viganò

The Council of Cardinals, often referred to as the C9, at a meeting earlier this year
Photo: CNS/L’Osservatore Romano

(2018.9.10 Tablet Christopher Lamb)

 バチカンの前駐米大使が「教皇フランシスコが、司祭や神学生への性的虐待で訴えられている米国のセオドール・マカリック大司教の問題を知っていながら隠ぺいした」とする告発文書を発表してバチカンを揺るがしているが、バチカンはこの問題に対する公式見解を、近く公表することになった。

 9人の枢機卿による教皇顧問会議 (C9)が10日から3日間の日程で開かれているが、10日の声明で、「ここ数週間議論になっている問題について、聖座が『必要な説明』をしようとしていると、顧問会議は認識している」ことを明らかにした。

 顧問会議はまた、この声明で、前駐米大使のカルロ・マリア・ビガーノ大司教が強行に辞任を迫る告発文書を明らかにした後も、教皇と「完全な連帯」を保っている、と言明した。

 前駐米大使は告発文書で、教皇フランシスコは前任のベネディクト16世がマカリックに課した制裁措置を知っていた、と聞いている、と主張している。

 だが、バチカン内部からの教皇に対する予期せぬ攻撃、となったこの文書は、カトリック教会内部の「同性愛者ネットワーク」についての指摘で脚色されており、教皇フランシスコ支持派に対する数多くの言いがかりの一つも含まれている。加えて、マカリックに対する制裁措置は実行されておらず、前駐米大使もこれが公のものでなかったことを認めた。

 先日のアイルランドでの家庭大会出席からの帰りの機上会見で、この問題について意見を切られた教皇は「ひと言」も言わない、と答えらえたが、聖座から制度上の対応の可能性については否定しなかった。

 前駐米大使は告発文書で、バチカンは(教皇フランシスコの就任前の)2000年にマカリックについての訴えを知っていたが、翌年にマカリックをワシントン大司教と枢機卿に任命し、2009年にワシントン大司教を退任するまで、教会内部で影の実力者として力をふるわせた、と批判している。

 なお、10日にC9から出された声明は、また、顧問会議が教皇に対して、顧問会議の「役割、仕組み、構成」について再検討するよう求めたことも明らかにした。これは、顧問会議の9人の枢機卿のうち5人が75歳の”定年”に達し、あるいは超えているためだ。マカリック大司教も枢機卿として、C9のメンバーだったが、今夏に、性的虐待で訴えられたのを受け、枢機卿のタイトルを剥奪され、メンバーから除外されている。

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

2018年9月12日

・性的虐待対応で前駐米バチカン大使による教皇”告発”の余震続く(CRUX)

(2018.8.30 Crux Editor  John L. Allen Jr.)

 ローマ発―教皇フランシスコがマカリック前枢機卿に関する聖職者性的虐待問題に不適切な対応をした、として辞任を迫る書状を前駐米バチカン大使のビガーノ大司教が公開したことで起きた大嵐を、教皇庁は無視しようとしているが、余波は止まらないようにローマでは感じられる。

 この書状は、マカリック前枢機卿が何世代にもわたって神学生たちを堕落させた、として前任の教皇、ベネディクト16世は公的職務から外すなどの制裁措置をとり、フランシスコ教皇は2013年の教皇就任後にこれを知らされていたにもかかわらず、この措置を最近まで解除していた、とし、性的虐待と隠ぺいの罪を犯した前枢機卿に適切な措置を取らなかった責任をとって、自主的に退任し、他の高位聖職者たちに範を示すべきだ、と求める内容だった。

 この”告発”について、25日のダブリンからローマへの帰国途上の機内会見で「話しません」と言明したことを忠実に守り、29日の水曜恒例の一般謁見でも、言及しなかった。一般謁見で教皇は「罪、スキャンダル、裏切り」への謝罪が基調となった前週末のアイルランド訪問を振り返り、性的虐待を受けた被害者たちとの会見では「深く心を打たれ」たとし、このような現在の状況に対して、「誠実と勇気」をもって臨むように訴えた。

 だが、嵐を乗り切ろうとするあからさまなバチカンの戦略にもかかわらず、26日に発生した地震から少なくとも4つの余震が続いている。

 一つは、イタリアの通信社が教皇の側近がビガーノ事件について教皇は苦々しい思いをしていたと述べたという記事を発信した後、バチカンのスポークスマンたちが、これを否定する声明を出すことを強制されたこと。

 もう一つは、28、29の両日に、米国の2人の大司教が相次いで、ビガーノ大司教の書状に書かれている内容の信憑性が高いことを確認したこと。

 そして、ビガーノ大司教本人が、この書状をスクープした記者たちの1人とインタビューに応じ、負け惜しみで教皇に暴言を吐いたとする見方を否定することも含めて、自身の考えを述べたこと。

 さらに、29日の一般謁見の最後に、会場となったサンピエトロ広場にいた一団が聖歌を歌い、それがその場にいた多くの人には「ビガーノ!」と言っているように聞こえたことだ。広場にいたある司祭は、彼らは巡礼団で、彼らの地元の司教の名を呼んでいたのだ、と語っているが、人々がこの歌声を聴いてすぐに「ビガーノ」を頭に浮かべた、と言う事実は、大司教の名がいかに多くの人の間に広がっているか、と示すものに違いない。

 29日にイタリアの通信社ANSAが、教皇の側近たちがビガーノ事件で教皇を苦々しく思っているとの記事を発信した。同じ日に、イタリア司教協議会の公式紙Avvenireは、「バチカンの権威筋」の発言として、「『教皇が苦々しい思いをした』というのは、ニュースではない。『陰謀』であり、『いやしい言動』だ」と批判した。

 一方、バチカンのスポークスマン、グレッグ・バーク師は、ローマへの帰国途中の機内会見で教皇が見せた高ぶった雰囲気について、記者から聞かれ、教皇は(ダブリンで改めて印象付けられた)聖職者による性的虐待のスキャンダルに取り組もうとする努力で頭がいっぱいだったのだ、と説明し、「25日夜の飛行機の中で、教皇は苦々し思いをしているように見えましたか?」と逆に問いかけた。「お願いです…(「カトリック・あい」注・教皇を苦しめるようなことはしないでほしい)」。

 教皇が苦々しい思いをしているか、いないかはともかく、「ビガーノ書状」が起こした衝撃波、とくに米国でさらに2人の大司教が書状の信頼性を擁護する姿勢に踏み込んだことで増幅された波を受けても、教皇は少しもたじろぐことがなかった、とは想像しがたい。

 米オクラホマ市のポール・コークレイ大司教は28日、教区の司祭、信徒に宛てた声明で、ピガーの書状への内容についての論評を避けながら、「私はビガーノ大司教と彼の高潔さを深く尊敬しています」と述べ、「彼の書状は称賛に値します。彼は書状で、その指摘するところ一つ一つについて、徹底的に調査し、評価することを求めているのです」と支持を表明した。

 翌日には、サンフランシスコのサルバドーレ・コルディレオーネ大司教が声明を出し、ビガーノ大司教は「無私の奉献で自己の使命を果たした人」であり、「彼の書状は重く受け止めねばなりません。軽視することは(「カトリック・あい」注・教皇フランシスコが日ごろから言われている)『否定とごまかしの文化』を放置することになります」と訴えた。

 もっとも、コークレイ、コルディレオーネ両大司教が、ビガーノ文書に対する声明を出した最初の高位聖職者ではない。フィラデルフィアのチャールズ・チャプット大司教は、彼らの前に、広報担当者を通じて、ビガーノ大司教に対する支持を表明していた。

 また29日には、ビガーノ大司教が身を隠し、命の危険を感じている、との情報がツイッターで流れ、本人が所在を隠したうえで、イタリアのジャーナリストに電話でインタビューに応じ、「光はいつも勝ちます。抑えつけることはできません。とくに信仰を持っている人の場合は」と静かに確信を語った。さらに、この書状に対しては様々な反響を受け取っており、その中には、彼が麻薬中毒患者だ、というものもあるが、たくさんの「司祭や信徒たち」からの感謝の言葉も受け取っている、と多くの支持を受けていることを強調。さらに、教皇とのやりとりはその内容の重大性から秘匿するという原則を破ったことを認めたうえで、「私は、カトリック教会の高位の指導者たちのレベルにまで腐敗が達していることから、あえて語ったのです」と説明した。

 このインタビューで大司教はまた、バチカン内部の金融汚職について告発した文書が報道機関に流出した2011,2012年の“Vatileaks” 事件の調査のために前教皇ベネディクト16世が設置した3人の枢機卿による委員会が前教皇の意向通り機能していれば、「バチカン官僚機構の浄化」がされていた、との見方を示した。

 また、大司教は、今回の書状の動機について、一部に言われている「負け惜しみ」-2012年にバチカン市国政府のナンバー・ツーのポストを得そこなったことや、駐米大使を終えてローマに帰国後に枢機卿に選ばれなかったことなどへの不満-があったとする見方を否定、「実際には、私が枢機卿になることを放棄したのです」とし、ベネディクト16世が教皇在任中に、自分が財務事務局長官(通常は枢機卿が就くポスト)になることを望まれたが、待ってくれるように頼んだことを明らかにした。

 インタビューの最後に、彼が病身の兄弟、ロレンゾの介護をせねばならないとして、米国への派遣を止めてくれるようにバチカンの上層部に頼んだ、というのは嘘で、実際は、財産を巡る一族内部の争いがあり、大司教は自分の取り分を失うのを心配していたのが本当の理由だ、とするロレンゾの出した声明を一蹴し、「私は当時、自分の兄弟を介護し、守るという道義的な責任を強く感じていたのです」と弁明した。

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 今ここに至っても、バチカンがこの問題について、さらに踏み込んだ声明を出そうとしているという動きはみられない。

 だが、米国カトリック司教協議会会長のダニエル・ディナルド枢機卿が、マカリック前枢機卿のスキャンダルについて捜査することについて教皇の了承を得るため、同司教協議会の幹部をバチカンに派遣する、と発表した以上、教皇フランシスコと側近たちが、いつまでもぬかるみを歩き続けることはできないだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

 

・教皇ヨハネ・パウロ1世選出から40年に

(2018.8.28 「カトリック・あい」)

 ベニス大司教だったビーノ・ルチアーニ枢機卿が、教皇に選出され、ヨハネ・パウロ1世が誕生した日から40 年。Vatican Newsがビデオ(英語字幕付き)を放映した。

 前任のパウロ6世の死去を受けて開かれたコンクラーベで、ヨハネ・パウロ1世が教皇に選出されたのは1978年8月26日。いつも笑顔を絶やさないことで「微笑みの教皇」と呼ばれ、「第二バチカン公会議」を始めたヨハネス23世、その成果を継いだパウロ6世の後を受けて、現代世界に生きる教会に向けた改革推進の期待を一身に受け、精力的な取り組みを始められたが、わずか在位33日で突然亡くなられた。

 後を継いだヨハネ・パウロ2世は2003年に、彼を「神のしもべ」と呼び、列福の準備を事実上開始、現在の教皇フランシスコは2017年に、その英雄的な徳を称え、尊者の称号を捧げた。

 亡くなられたのがあまりにも突然であり、原因も不明のままにされたことから、当初、教皇の改革に積極的な姿勢を快く思わない、バチカン内部の保守派勢力の関わりなども一部に取りざたされたが、その後沙汰やみとなった。だが、周囲が彼の健康についてあまり気遣うこともなく、ケアもしていなかったのは、確かなようであり、いろいろな意味で後味の悪さが残った。

 いずれにしても、ヨハネ・パウロ1世が健康で、活動を続けられていれば、没後30年余り後に彼の遺志を事実上継いだ教皇フランシスコが苦闘されている、現在のような、教会改革の遅滞、聖職者による性的虐待と高位聖職者による隠ぺいの世界的拡大などは起こっていなかった可能性がある。

・教皇、帰国途上の機上会見でも”性的虐待”に質問集中

(2018.8.28 「カトリック・あい」)

 教皇フランシスコは26日、2日間のアイルランド訪問を終え、帰国途中の機内で恒例の記者会見をされたが、記者団からの質問の大半は、欧米を中心に未だに終息を見せない聖職者による未成年性的虐待と高位聖職者による隠ぺいスキャンダルで占められた。

 質問では、元駐米教皇大使のカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が教皇のアイルランド訪問直前に公開した教皇あての手紙が取り上げられた。手紙は、未成年者の神学生に対する性的虐待で告発され、事実上枢機卿の地位をはく奪された米国の前ワシントン大司教、セオドア・マカリック元枢機卿への対処で、教皇フランシスコの責任を問うもの。前教皇ベネディクト16世が元枢機卿の罪状を知って全ての職務から外す措置をとったにもかかわらず、教皇フランシスコは教皇就任直後に、その制裁措置を解除していた、とし、一連のスキャンダルに関与した高位聖職者への見本を示す意味からも、自主的に退任を求める、という激しい内容だが、バチカン当局は真偽を確認していない。

 この内容の真偽と感想を問われた教皇は「今朝(26日朝)、私はそれを読みました」と述べ、「皆さんがその文章を注意深く読んで、皆さんが判断してください。私はこれについて何も話しません。文書が言っていることです。皆さんのジャーナリストとしての能力をもって、結論を出してください」と、事実上コメントを拒否するにとどまった。

 また、別の記者からは、関係者の間で取りざたされている、虐待で訴えられた司教たちについて審理、判決を下す特別裁判所の設置について見解を聞かれたが、教皇は「すでにこうした問題一つひとつのケースに合わせ、特別な法廷を開いています。この形の方がよく機能すると思います」と答えられた。

 さらに、「聖職者によるこのような邪悪な行為を前に、信者はどうしたらよいのか」という問いには、「何かを知ったら、すぐにそれを裁判官や司教に話すことが大切です。それが神の民ができることです」と答えた。ただし、「時には、家族自身がそれ(子供たちが聖職者から性的虐待を受けたこと)を信じないこともあり、透明性の確保が難しい」とし、「司祭が信者から不当に訴えられ、裁判を経て、無実とされたケースもあり、慎重さが必要とされる面もあります」とも指摘された。

(バチカン公式発表の会見内容やCruxの報道をもとに「カトリック・あい」がまとめました)

 バチカン公式発表の機上会見の全文は以下の通り(「カトリック・あい」)

Press Conference of the Holy Father on the return flight from the Apostolic Journey to Ireland, on the occasion of the IX  World Meeting of Families (25-26 August 2018), 27.08.2018

Yesterday, during the flight from Dublin to Rome, at the end of the Apostolic Voyage to Ireland, on the occasion of the IX World Meeting of Families, the Holy Father Francis met the journalists on board the plane at a press conference, whose transcription we report below:

Greg Burke:
Good evening, Holy Father!

Pope Francis:
Good evening!

Greg Burke:
Thank you for this time dedicating us, after two days so intense. Certainly there have been difficult times in Ireland – there is always the question of abuse – but also very beautiful moments: the family feast, the testimonies of families, the meeting with young couples and also the visit to the Capuchins, who help so much the poor.

We pass the word to journalists, to start with the Irish … But maybe you want to say something earlier …

Pope Francis:
Thank you, because if I got tired, I think of you, that you have work, work, work … I thank you so much for your effort, for your work. Thank you very much.

Greg Burke:
The first question, as usual, comes from a journalist in the country, Tony Connelly, of RTÉ – Irish Radio TV.

Tony Connelly, RTÉ (Radio TV Ireland)
Holiness, Saturday spoke of the meeting he had with the Minister for Children; he said how much he touched what Mrs. Le said on the houses for mothers and children. What exactly did he tell you? And you were so impressed because it was for you the first time you heard about these houses?

Pope francesco:
The Minister first told me something that did not touch so much mothers and children; he told me – but it was a short one – “Holy Father, we have found mass graves of children, buried children. We are investigating. Does the Church have anything to do with all this? “, But she said it with a lot of education, really, and with a lot of respect. I thanked her, touched my heart, to such an extent that I wanted to repeat it in the speech. It was not at the airport – I was wrong – it was in the meeting with the President. At the airport there was another lady – Minister, I think – and I got confused. But she told me: “Then I will send you a memo”. The memo sent me, I could not read it. I saw that he had sent me a memo. It was very balanced in telling me: there is a problem, the survey has not been completed yet, but it also made me feel that the Church had something to do with that thing. In my opinion, this was an example of constructive collaboration, before … I do not want to say the word “protest”, but of complaint, of lamentation for what in the past time the Church had perhaps favored. That Lady was of a dignity that touched my heart. And now I have that memo, which I’ll study when I get home. Thanks to you.

Greg Burke:
Now, another Irishman is Paddy Agnew, of the “Sunday Independent”, who is a resident of Rome but an Irish journalist.

Pope Francis:
He is not the only Irishman in Rome!

Paddy Agnew, “Sunday Independent”:
Holy Father, thank you and good evening. Yesterday, Marie Collins, the Marie Collins victim you know very well, reported that you are not in favor of setting up new Vatican investigation tribunals on the problem of sexual abuse, and in particular of the so-called bishops’ investigative tribunals. taking responsibility on the part of the bishops ( bishop accountability ). Why do you think these are not necessary?

Pope francesco:
No, no, it’s not like that. It is not so. Marie Collins is a bit ‘fixed on the idea … – I esteem Marie Collins, sometimes we call her in the Vatican to give lectures -, she has remained fixed on the idea of ​​that written “Like a loving mother”, in which it was said that to judge the bishops it would be good to make a special tribunal. Then it was seen that this was not practicable and it was not even convenient for the different cultures of the bishops to be judged. One takes the recommendation of “loving Mother” and makes the jury for each bishop, but it is not the same. This bishop is to be judged and the Pope makes a jury that is more capable of taking that case. It’s something that works better, also because, for a group of bishops, leaving the diocese for this is not possible. So the courts, the juries change. And so we did until now. Several bishops were judged: the last is that of Guam, the archbishop of Guam, who appealed and I decided – because it was a very, very complex case – to use a right that I have, to take on I appeal to you and do not send it to the appellate tribunal that does its job with all the priests, but I took it upon myself. I made a committee of canonists to help me and they told me that, in short, a month at most, the “recommendation” will be made for me to make the judgment. It is a complicated case, on the one hand, but not difficult, because the evidence is very clear; on the evidence side, they are clear. But I can not pre-judge. I wait for the report and then I will judge. I say that the evidence is clear because they are the ones that brought the first court to condemnation. This was the last case. Now there’s another one going on, let’s see how it will end. But it is clear, I said to Marie: the spirit and also the recommendation of “Like a loving mother” is implemented: a bishop must be judged by a court, but it is not always the same court, because it is not possible. She [Marie Collins] did not quite understand this, but when I see her – because she comes to the Vatican at times, we call her – I will explain it more clearly. I love her. we call her – I’ll explain it more clearly. I love her. we call her – I’ll explain it more clearly. I love her.

Greg Burke:
Now the Italian group, Holy Father: there is Stefania Falasca, of “Avvenire”.

Stefania Falasca, “Avvenire”:
Good evening, Holy Father. You have said, even today, that it is always a challenge to welcome the migrant and the foreigner. Just yesterday it was a painful affair, that of the ship “Eighteen”. Is there your “hand” behind this solution? Is his involvement, his interest?

Pope Francis:
The paw is of the devil, not mine! [laugh] The hand is of the devil …

Stefania Falasca:
And then, many see a blackmail to Europe on the skin of these people. What do you think?

Pope Francis:
Welcoming migrants is an ancient thing like the Bible. In Deuteronomy, in the commandments God commands this: to welcome the migrant, “the stranger”. It is an ancient thing, which is in the spirit of divine revelation and also in the spirit of Christianity. It is a moral principle. On this I spoke, and then I saw that I had to explain a little more, because it is not about welcoming “alla belle étoile“No, but a reasonable welcome. And this is true in all of Europe. When did I realize how this reasonable attitude should be? When there was the attack on Zaventem [Belgium]: the boys, the guerrillas who made the attack on Zaventem were Belgians, but children of non-integrated, ghettoized immigrants. That is, they had been received by the country but left there, and they have made a ghetto: they have not been integrated. That’s why I stressed this, it’s important. Then, I remembered, when I went to Sweden – and Franca [Giansoldati] in an article made mention of this and how I put this to mind – when I went to Sweden I talked about integration, and I knew it because during the dictatorship, in Argentina, from 1976 to 1983, many, many Argentineans and even Uruguayans fled to Sweden. And there, immediately the government took them, made them study the language and gave them work, integrated them. To the point that – and this is an interesting anecdote – the Minister who came to leave me at Lund’s airport was the daughter of a Swedish woman and an African migrant; but this African migrant has integrated to the point that his daughter has become Minister in the country. Sweden was a model. But, at that moment, Sweden was beginning to have difficulty: not because it did not have good will, but because it did not have the possibility of integration. This was the reason why Sweden stopped a bit, and took this step. Integration. And then, I spoke here, at a press conference among you, about the virtue of prudence that is the virtue of the ruler, and I talked about the prudence of peoples on the number or possibilities: a people that can accept but can not integrate, better not welcome. There is the problem of prudence there. And I think that this is the sore point of dialogue today in the European Union. We must continue to talk: the solutions are found …

What happened with the “Eighteen”? I did not put a hand on it. What did the work with the Minister of the Interior was Father Aldo, the good father Aldo, who is the one following the Don Benzi Opera, which the Italians know very well, who work for the release of prostitutes, those who They are exploited and many things … And the Italian Episcopal Conference, Cardinal Bassetti, who was here, also entered the phone, but all the mediation followed, and one of the two undersecretaries, Mons. Maffeis, negotiated with the Minister. And I think that Albania came … They took a certain number of migrants Albania, Ireland and Montenegro, I think, I’m not sure. The others took charge of the Episcopal Conference, I do not know whether under the “umbrella” of the Vatican or not … I do not know how it was negotiated; but they go to the “Better World” Center, in Rocca di Papa, they will be welcomed there. The number I think is more than a hundred. And there they will begin to learn the language and do the work that has been done with integrated migrants. I have had a very rewarding experience. When I went to the Roma III University there were the students who wanted to ask me questions and I saw a student … “I know her”: she was one who had come with me among the thirteen I had brought from Lesbos. That girl was at the university! Because? Because the Community of Sant’Egidio, from the day after his arrival, took her to school, to study: go, go … And she integrated it at the university level. This is work with migrants. There is the opening of the heart for everyone, to suffer; then, integration as a condition for welcoming; and then the prudence of the rulers to do this. I saw, I have a clandestine movie, what happens to those who are sent back and are taken back by the traffickers: it’s horrible, the things they do to men, women and children …, they sell them, but men do the most sophisticated torture. There was one there that was able, a spy, to make that video, which I sent to my two under-secretaries of migration. For this reason, to send them back we must think well, well, well …

And then, one last thing. There are these migrants who come; but there are others who are deceived, at Fiumicino, are deceived: “No, we give you the job …”. They have their cards, all of them, and they end up on the enslaved sidewalk, under the threat of the traffickers of women … This is it.

Greg Burke:
Thank you, Holy Father. The next question is from the English-speaking group: Anna Matranga, from the American television NBC.

Anna Matranga, NBC:
Good evening, Holy Father! I will return to the topic of “abuse”, of which he has already spoken. This very early morning a document was issued by Archbishop Carlo Maria Viganò, in which he says that in 2013 he had a personal conversation with you at the Vatican and that in this interview he would have talked with you explicitly about the sexual behavior and abuses of ex cardinal McCarrick. I wanted to ask you if this was true. And I also wanted to ask another thing: the archbishop also said that Pope Benedict had sanctioned McCarrick, who had told him that he could not live in the seminary, he could not celebrate Masses in public, he could not travel; it was sanctioned by the Church. Can I ask you if these two things are true?

Pope Francis:
One thing: I would prefer – even if I answer your question – I would prefer that before we talk about the trip and then other topics … but I answer. I read that release this morning. I read it and I sincerely have to tell you this, to you and to all those of you who are interested: read the notice carefully and make your own judgment. I will not say a word about this. I believe the statement speaks for itself, and you have enough journalistic capacity to draw conclusions. It is an act of trust: when some time has passed and you have drawn conclusions, perhaps I will speak. But I would like your professional maturity to do this job: it will do you good, really. That’s okay.

Anna Matranga:
Marie Collins said, after meeting her during the meeting with the victims, who spoke directly with you about former Cardinal McCarrick; he said that you were very harsh in your conviction of McCarrick. I wanted to ask you: when was the first time you heard about the abuses the former cardinal had committed?

Pope francesco:
This is part of the McCarrick release: study and then I’ll say. But since I had not read it yesterday, I allowed myself to speak clearly with Marie Collins and the group [of the victims], in the meeting that lasted an hour and a half, something that made me suffer so much. But I think it was necessary to listen to those eight people; and from this meeting came out the proposal – which I made, and they accepted it and helped me to realize it – to ask for forgiveness today in the Mass, but on concrete things.

For example, the last, which I had never heard: those mothers … – it was called the “washing of women” – when a woman was pregnant without marriage, went to a hospital or do not know what it was called, institute …, but they were the nuns who held it, and then gave the child up for adoption to the people. And there were children, at that time, who tried to find mothers, if they were alive, they did not know … and told them it was a mortal sin to do this; and even to the mothers who were looking for their children, they said it was a mortal sin. This is why I ended up saying today that this is not a mortal sin, but it is the fourth commandment.

And the things I said today, some I did not know, and it was painful for me, but also with the consolation of being able to help clarify these things. And I await your comment on that document, I’d like to! Thank you. I did not know some of them, and it was painful for me, but also with the consolation of being able to help clarify these things. And I await your comment on that document, I’d like to! Thank you. I did not know some of them, and it was painful for me, but also with the consolation of being able to help clarify these things. And I await your comment on that document, I’d like to! Thank you.

Greg Burke:
Thank you, Holy Father. Now Cecile Chambraud of “Le Monde”

Cecile Chambraud, “Le Monde”:
Good evening, Holy Father. I hope you do not mind if I ask my question in Spanish and I beg you to answer in Italian for all the colleagues. In your address to the Irish authorities, you referred to your recent Letter to the People of God. In that letter, you call all Catholics to participate in the fight against abuses in the Church. Can you explain to us what concretely Catholics can do, each in their own position, to fight against abuses?

And in this regard, in France, a priest began a petition calling for the resignation of Cardinal Barbarin, accused by victims. Do you think this initiative is adequate or not?[En su discurso to las Autoridades de Irlanda, usted if I refirió a su reciente Carta al Pueblo de Dios. En aquella Carta, usted llama a todos los católicos a tomar parte en la lucha contra los abusos en la Iglesia. ¿Puede detallarnos lo que concretamente los católicos pueden hacer cada uno en su sitio para lucar contra los abusos? In France, a priest has iniciado a petición llamando a que renuncie el Card. Barbarin, acusado por víctimas ¿The parece adecuada esta iniciativa, or not?]

Pope Francis:
If there are suspicions or proofs or half-proofs, I do not see anything bad about doing an investigation, if one does on the fundamental legal principle: Nemo malus nisi probetur , nobody is bad if you do not try it.

And so often there is the temptation not only to do the investigation, but to publish that the investigation was made and why it is guilty …, and so some media – not yours, I do not know – begin to create an atmosphere of guilt. And I would like to say something that has happened in these times, which will help in this, because for me it is important how we proceed and how the mediathey can help.

In more or less years, the problem of so-called pedophile priests has begun in Granada, a small group of seven or eight or ten priests, who have been accused of child abuse and even of parties, orgies and these things. I received the accusation directly: a letter made by a young twenty-three year old; according to him he had been abused, gave names and everything. A young man who worked in a religious college in Granada, very prestigious; the letter, perfect … And he asked me what to do to report this. I said: “Go to the Archbishop, the Archbishop knows what you must do”.

The Archbishop did everything he had to do, it also came to the civil court. There were two processes. The mediaof the place they started to talk, to talk … Three days later, all written in the parish, “pedophile priests” and things like that, and so the conscience was created that these priests were criminals. Seven were interrogated, and nothing was found; in three the investigation went ahead, they remained in prison for five days, two, and one – Father Roman, who was the parish priest – for seven days.

For almost three more years the hatred suffered, the slaps of all the people: criminalized, they could not go out, and they suffered humiliations made by the jury to prove the boy’s accusations, which I do not dare repeat here. After three years and more, the jury declares the innocent priests innocent, but above all these three: the others were already out of the case, and the complainant guilty. Because they had seen that young man was imaginative, but he was a very intelligent person and he worked also in a Catholic college and had this prestige, which gave the impression of telling the truth. He was condemned to pay the costs and all these things, and they were innocent. These men were condemned by theaverageof the place before justice.

And for this, your work is very delicate: you must accompany, you must say things but always with this legal presumption of innocence, and not the presumption of guilt! And there is a difference between the informant who informs about a case but is not played for a previous conviction, and the investigator, who does the “Sherlock Holmes”, which goes with the presumption of guilt. When we read Hercule Poirot’s technique: for him, everyone was guilty. But this is the job of the investigator. They are two different positions. But those who inform must always start from the presumption of innocence, saying their impressions, doubts …, but without giving condemnations. This case happened in Granada for me is an example that will do good to all of us, in our [respective] profession.

Greg Burke:
In the first part [of the previous question] he asked what God’s people could do in the matter …

Pope francesco:
Ah yes, yes. When you see something, talk right away. I will say something else a little ugly. Sometimes, parents are covering an abuse of a priest. A lot of times. It is seen in the sentences. [They say:] “But, no …”. They do not believe, or they are convinced that it is not true, and the boy or girl remains that way. I have the method of receiving one or two people every week, but it is not mathematical; and I received a person, a lady, who for 40 years suffered this scourge of silence, because the parents had not believed her. She was abused at the age of eight. To speak, this is important. It is true that for a mother, to see this … it would be better if it were not true, and then she thinks that the child may have fantasies …

[But we must] speak. And talk to the right people, talk to those who can begin a trial, at least prior investigation. Talk to the judge or the bishop, or if the parson is good to talk to the parish priest. This is the first thing God’s people can do. These things should not be covered, they should not be covered. A psychiatrist told me some time ago – but I do not want it to be an offense to women – than for the sense of motherhood, women are more inclined to cover the things of the child than men. But I do not know if it’s true or not … But this is: talking. Thank you. speak. Thank you. speak. Thank you.

Greg Burke:
Javier Romero of “Rome Reports TV” belongs to the Spanish group.

Javier Romero:
Holiness, excuse me, I would like to ask you two questions. The first is that the Prime Minister of Ireland, who was very direct in his speech, is proud of a new model of family different from the one that traditionally proposes the Church so far: I speak of homosexual marriage. And this is perhaps one of the models that generates more clashes, especially in the case of a Catholic family, when there is a person in this family who claims to be a homosexual. Your Holiness, the first question I would like to ask you is: what do you think, what would you say to a father, a father, to whom the son says he is a homosexual and wants to go and live with his partner. This is the first question. And the second one, which, in fact, you also spoke about abortion in your speech with the prime minister; we have seen how Ireland has changed so much in recent years and it seemed that the Minister was, indeed, satisfied with these changes: one of these changes was precisely abortion. We have seen that in recent months, the issue of abortion has come out in many countries, among other things in Argentina, your country. How do you feel when you see that, in fact, this is a topic you often talk about and there are so many countries where it is put …

Pope Francis:
All right. I start from the second, but there are two points – thanks for this – because they are related to the issues we are talking about. On abortion, you know how the Church thinks it. The problem of abortion is not a religious problem : we are not against abortion for religion. No. It’s a human problem, and must be studied by anthropology. Studying abortion by starting from the religious fact, is bypassing the thought. The problem of abortion must be studied by anthropology. And there is always the anthropological question on the ethics of taking out a living being to solve a problem. But this is already the discussion. I just want to underline this: I never allow people to start discussing the problem of abortion from the religious fact. No. It’s an anthropological problem, it’s a human problem. This is my thought.

Second. There have always been homosexuals and people with homosexual tendencies. Always. Sociologists say, but I do not know if it’s true, that in times of age changes there are some social and ethical phenomena, and one of these would be this. This is the opinion of some sociologists. Your question is clear: what would I say to a father who sees that his son or daughter has that tendency. I would first tell him to pray: pray. Do not condemn, dialogue, understand, make room for the son or daughter. Make room for it to be expressed. Then, at what age does this restlessness of the child manifest itself? It’s important. One thing is when it manifests itself as a child, when there are so many things that can be done, to see how things are; another thing is when it manifests itself after the age of 20 or something like that. But I will never say that silence is the remedy: ignoring the son or daughter with a homosexual tendency is a lack of fatherhood and motherhood. You are my son, you are my daughter, as you are; I’m your father and your mother, let’s talk. And if you, father and mother, do not get along, ask for help, but always in dialogue, always in dialogue. Because that son and daughter are entitled to a family and this is the family: do not drive him away from the family. This is a serious challenge to fatherhood and motherhood. Thank you for the question, thank you. Because that son and daughter are entitled to a family and this is the family: do not drive him away from the family. This is a serious challenge to fatherhood and motherhood. Thank you for the question, thank you. Because that son and daughter are entitled to a family and this is the family: do not drive him away from the family. This is a serious challenge to fatherhood and motherhood. Thank you for the question, thank you.

Greg Burke:
Thank you, Holy Father.

Pope Francis:
And then, I would like to say something to the Irish who are here: I have found so much faith in Ireland. So much faith. True, the Irish people have suffered so much from the scandals. But there is faith, in Ireland, and strong. And moreover, the Irish people can distinguish, and I quote what I heard today from a prelate: “The Irish people can distinguish well between truths and half-truths: it’s something inside”. It is true that it is in a process of elaboration, of healing from this scandal; it is true that some open themselves to positions that seem to move away from the faith. But the Irish people have a deeply rooted faith. I want to say it because it’s what I saw, I heard and about which I have been informed in these two days.

Thank you for your work, thank you very much! And pray for me, please.

Greg Burke:
Thank you. Good dinner and good rest.

2018年8月28日