・トランプ政権の立役者、バノン氏がローマで会見、バチカンの中国との暫定合意を批判

(2019.4.1 Crux   Elise Harris and John L. Allen Jr. )

 ローマ発-あなたが、教皇フランシスコの、聖職者による性的虐待危機への対応にとどまらず、共産中国と司教の指名に関する合意、大衆迎合主義と愛国主義的動きに対する連続的な批判、移民の権利への熱烈な支持、など、あらゆる分野での振る舞いに苛立ちを感じている保守派のカトリック信徒だとしよう。仮にそうであるとすると、あなたは程度の差こそあれ、トランプ政権の立役者であるスティーブ・バノン前米大統領上級顧問と同じ船に乗っていることになる。そして彼はあなたに提案がある-ユダヤ教とキリスト教の文明を守る”剣闘士”となる目的を掲げた研究所のために一年を使わないか、と。

 バノン氏が3月30日、Crux とのインタビューで明らかにしたところによると、研究所は、イタリア中部にあるシトー修道会所有の大修道院施設を使って、試験的プログラムを今秋始める。2020年に予定する正式開所の時点では約100人の学生と追加の教官をそろえる、といい、「”剣闘士”の理想は”一点張り”であるということだ。”剣闘士”は技術や身体、あるいは勇気についてのものではない。最大の特徴は、素晴らしい”一点張り”だ」と説明した。研究の狙いは、「なぜこの文明が、文化が特別なのか」「何が特別にしているのか」について教え込むことー雑音と対決的な文化の中で、その伝統的遺産を守る能力をもって、旧約聖書とそのユダヤ教のルーツ、そして律法に関するすべてから、近代に至るすべてのことまで理解するようにすること、と強調した。研究所の設立、運営資金については、今のところバノン氏の私財によるが、「何人かの優れたカトリック信徒が資金を提供してくれようとしている」という。

 

   *聖職者による性的虐待問題で破産寸前の全米のカトリック教会に必要な対応

 また、この研究所が対象とするのは、教皇の抱えている課題にただ対応するだけでなく、教皇が批判を受けている3つの分野ー聖職者による性的虐待、中国問題、大衆迎合主義への姿勢ーも扱う、とした。関連して、「アメリカの全カトリック教会は、劇的な介入を受けることなく、組織犯罪組織の規制を目的としたRICO法(米国の刑法及び刑事訴訟法の関係条項)の下で訴追され、今後10年の間に、破産管財人のもとに置かれることになり得る」と警告。

 「(教会が)涙の結末を迎えようとしているのは明白だ」とし、「当局は教会を暴徒のように扱おうとしている… RICO法は資産を速やかに差し押さえ、換金し、誰にでも与えることができる。犠牲者たちとその弁護士の努力は徒労に終わる」。そうした事態を避けるために、資格を持った一般信徒が教会に代わって資産保護の交渉を行えるような調停委員会の設置、を提唱した。「いまやほとんど破産寸前の状態だ。教会は、専門家、一般信徒、適正な評価をし、財政的に制御不能にならないように交渉などで対応できる人物を必要としている」。

 驚くべきことに、米国でもっとも極端に政治的な人物の一人(注:バノン氏)が、そうした努力は政治と関係なく行われるべきだ、と主張した。「こうした動きは、保守派、伝統主義者、ラテン語ミサを主張するカトリック信者から最も進歩派に至る幅広い層によってなされねばならない。教会の”政治”は脇に置いて、共に力を合わせ、聖職者たち、高位聖職者を助け、共に働かねばならない」と述べた。

 また、バノン氏は最近表に出た高位聖職者との個人的かかわりに触れた。それは、前枢機卿で現在は広範囲の性的虐待と不適切行為で裁かれている前司祭であるセオドア・マカリックと、ペンシルバニア州大陪審報告で性的虐待問題への対応が批判されワシントン教区長を辞任したドナルド・ワール枢機卿で、「大統領執務室に2人を連れて行ったのは私だ。ワシントン教区長の枢機卿が新任の大統領に会うのは慣例になっており、ワール枢機卿がそうだったが、マカリックと2人でトランプ大統領に会うことを希望した。私が大統領の日程にそれを入れる立場にあり、2人を執務室で大統領に合わせ、大統領が彼らにあいさつし、1時間ほど歓談した」という。

   *バチカンと中国の合意批判ー1億のカトリック信者裏切る行為、暫定合意公表せずは国際条約違反

 中国問題について、バノン氏は、教皇フランシスコが道を誤っている、と強調。「教皇と国務長官は、中国共産党と合意に署名したのだ。中国共産党は中国国民ではない… 中国共産党は習近平・国家主席とその取り巻きの過激な構造を持っている、統制を最優先する全体主義独裁体制であり、宗教の破壊を基本としている」と警告し、「この合意には、バチカンと中国共産党の完全な外交関係樹立の狙いがある-香港を、台湾を、1億人のカトリック信者を 裏切る行為だ。そのようなことはできない」と強く批判した。

 そして、昨年9月に署名された中国国内の司教たちの選任についての暫定合意の具体的内容が未だに公表されていないことに不満を表明し、「外交関係に関するウィーン条約」の署名者として、外交関係において密約を禁じた条約の規定を守る義務がある、と指摘した。

 バノン氏は、国外追放されている中国の資産家の支援を受けて、一億ドルの基金で「法の支配」を設立し、基金をバチカンが合意の全容を明らかにする求める訴訟の資金に充当することを明らかにした。「彼らは外交上の密約を禁止した国際条約の署名者だ。彼らが署名した内容を守れないのは、きわめて明白だ」と言明し、本来、「訴訟」よりも「説得」が望ましいが、(注:説得が利かないなら)裁判は、国連本部のあるニューヨークで起こすことになるだろう、と述べた。

 

   *「大衆迎合主義批判」を批判

 世界の政治における大衆迎合主義の風潮の高まりー米国のトランプからイタリアのマッテオ・サルビーニ、ブラジル新大統領のジャイール・メシアス・ボルソナーロに代表される-については、教皇は非難をやめるべきだ、と主張。「教皇と彼の取り巻きの人々がしていることは、悪い奴らだ、と決めつけることだ。こうしたことから、全ての問題が起きてくる。災難をもたらすだけだ。やめなければならないと思う」と語った。

 最後にバノン氏は、以前から、自身の前のボスであるトランプ大統領と教皇フランシスコにある共通点があると思っていた、とし、「彼とトランプは同じレベルにある… 彼は毎日、ニュースを発信し、とても世事に長けている。どのようにしたらヘッドラインを飾ることができるかを、とてもよくわきまえている。彼らはとても似ている…ミツアナグマ(注:「見かけに比べて男らしい」か?)だ。

 そしてフランシスコは「闘士だ。たくさんのことでとても感動している」と最後に高い評価を述べた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。Cruxのニュースはグーグルで「Crux」と検索するとご覧になれます。

 

 

 

 

2019年4月2日

・教皇、モロッコ訪問の最後に、ラバトで1万人ミサ

(2019.3.31 バチカン放送)

 教皇フランシスコは31日、モロッコ訪問の最後の行事として、首都ラバトでミサを捧げられた。ミサ後、ラバト=サレ空港での送別式の後、ローマに向け特別機で発たれた。

 モロッコ訪問初日の30日に、ムハンマド6世国王をはじめ同国の各界要人や、イスラム教関係者との出会いと対話を持たれた教皇は、訪問2日目の31日、モロッコのカトリック共同体との触れ合いをテーマとされ、午前、女子修道会が運営する農村社会福祉センターを訪問、さらにラバトのカテドラルでカトリック司祭・修道者との集いに出席された後、午後に最後の公式行事として、ラバト市内のスポーツ施設でミサを司式された。

 複合スポーツ施設、スタッド・ムーレイ・アブドゥラには、モロッコ全土から、60カ国を出身とする、約1万人の信者たちが集まり、スペイン語で行われたミサの説教で教皇は、ルカ福音書の放蕩息子のたとえを観想しつつ、キリスト者が進むべき道を示された。

 たとえ話の中で、放蕩息子の帰還を喜び、祝祭の準備をする父を前に、怒りと不満を感じ、「私のものは全部お前のものだ」(ルカ福音書15章31節)という父の言葉にもかかわらず、弟の帰りを共に喜ぶことができない兄の態度に注目され、「父のこの言葉は、物質的なことだけでなく、自分の愛と憐みに加わるように、との招きであり、これこそがキリスト教の最も大きな豊かさであり、遺産なのです」と語られた。

 さらに教皇は「放蕩息子の帰還を喜ぶ父の愛を共にし、敵意を持たず、兄弟として生きることで、自分たちの共同体をオアシスとすることができます」と話され、家の入口ですれ違う「惨めさを体験した息子の帰還を祝う父の愛」と「父のその憐みと赦しに一種の裏切りを感じる兄の気持」の双方を見つめた教皇は、「二つの心の衝突と分裂は私たちの社会、共同体、そして自分自身の心の中に見られるもの」と指摘された。

 最後に教皇は、イエスがこのたとえ話を通して「父の心を観想するよう招いておられます」と述べ、「その父の心を知ってこそ、私たちは互いを兄弟として毎日発見することができるのです」と説かれた。

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*教皇のミサ中の説教の公式発表(後半の挨拶を除く)の全文英訳は以下の通り

HOLY MASS HOMILY OF THE HOLY FATHER FRANCIS Prince Moulay Abdellah Sports Complex (Rabat) Sunday, 31 March 2019


 

“When he was still far away, his father saw him, took pity on him, ran to meet him, threw him around his neck and kissed him” ( Lk15:20).

Thus the Gospel places us in the heart of the parable that manifests the attitude of the father in seeing his son return: shaken in the bowels he does not wait for him to come home but surprises him by running towards him. An expected and desired child. A father moved to see him return.

But that wasn’t the only time the Father started running. His joy would be incomplete without the other child’s presence. For this reason he also goes out to meet him to invite him to participate in the feast (see v. 28). However, it seems that the eldest son did not like the welcome parties; he cannot bear the joy of his father and does not recognize his brother’s return: “that son of yours,” he says (v. 30). For him his brother continues to be lost, because he had already lost him in his heart.

In his inability to attend the party, he not only does not recognize his brother, but neither does he recognize his father. He prefers being an orphan to fraternity, isolation at the meeting, bitterness at the party. Not only does he struggle to understand and forgive his brother, he cannot even accept having a father who can forgive, willing to wait and watch so that no one is left out, in short, a father capable of feeling compassion.

On the threshold of that house the mystery of our humanity seems to manifest itself: on the one hand there was the feast for the rediscovered son and, on the other, a certain feeling of betrayal and indignation at the fact that he was celebrating his return. On the one hand, hospitality for the one who had experienced misery and pain, who had even come to smell and desire to eat what the pigs ate; on the other hand, irritation and anger at making space for those who were not worthy or deserved such an embrace.

Thus, once again the tension that exists between our people and in our communities emerges, and even within ourselves. A tension that, starting from Cain and Abel, lives in us and that we are called to face. Who has the right to remain among us, to have a place at our table and in our assemblies, in our concerns and occupations, in our squares and cities? It seems that the fratricidal question continues to resound: am I perhaps my brother’s keeper? (see Gen 4 : 9).

On the threshold of that house appear the divisions and the clashes, the aggressiveness and the conflicts that will always strike the doors of our great desires, of our struggles for fraternity and so that every person can already experience his condition and dignity as a son already.

But in turn, on the threshold of that house will shine with all clarity, without speculations or excuses that force him away, the desire of the Father: that all his children take part in his joy; that no one lives in non-human conditions like his youngest son, nor in his orphanness, isolation and bitterness like his eldest son. His heart wants all men to be saved and come to the knowledge of the truth ( 1 Tim 2: 4).

Certainly there are many circumstances that can fuel division and conflict; the situations that can lead us to clash and divide are undeniable. We can’t deny it. We are always threatened by the temptation to believe in hatred and revenge as legitimate ways to get justice quickly and effectively. But experience tells us that hatred, division and revenge only kill the soul of our people, poison our children’s hope, destroy and take away everything we love.

Therefore Jesus invites us to look and contemplate the heart of the Father. Only from here can we rediscover ourselves every day as brothers. Only starting from this broad horizon, able to help us overcome our myopic logic of division, we will be able to reach a gaze that does not claim to obscure or disprove our differences by seeking perhaps a forced unity or silent exclusion. Only if we are able every day to raise our eyes to heaven and say “Our Father” will we be able to enter into a dynamic that allows us to look and dare not live as enemies, but as brothers.

“All that is mine is yours” ( Lk 15,31), says the father to the eldest son. And it does not refer only to material goods but to participate in his own love and compassion. This is the greatest legacy and wealth of the Christian. Because, instead of measuring or classifying ourselves according to a moral, social, ethnic or religious condition, we can recognize that there is another condition that no one can cancel or annihilate since it is a pure gift: the condition of loved, expected and celebrated children from the Father.

“All that is mine is yours”, even my capacity for compassion, the Father tells us. We do not fall into the temptation to reduce our belonging as children to a question of laws and prohibitions, duties and obligations. Our belonging and our mission will not come from voluntarism, legalism, relativism or integrism, but from believing people who will implore every day with humility and constancy: “come your Kingdom”.

The evangelical parable presents an open ending. We see the father praying to the eldest son to enter and participate in the feast of mercy. The Evangelist says nothing about the decision he made. Will it be added to the party? We can think that this open ending has the purpose that every community, each of us, can write it with his life, with his look and his attitude towards others. The Christian knows that there are many dwellings in the Father’s house, and only those who do not want to participate in his joy remain outside.

2019年4月1日

・教皇フランシスコ、モロッコ訪問ー国王とエルサレム平和共存の共同アピール

(2019.3.30 バチカン放送)

*モロッコの首都ラバトに到着

 教皇フランシスコは30日、ローマのフィウミチーノ空港から特別機で出発され、現地時間同日午後、モロッコの首都ラバトに到着された。空港では、ムハンマド6世国王が教皇を出迎え、民族衣装の少年少女が教皇に花束を贈った。

 歓迎式に臨んだ教皇は、続いて、空港の応接室で、デーツ(なつめやし)など、伝統のもてなしを受けられた。この後、公式の歓迎行事が行われるラバト市内の「ハッサンの塔」の広場に向かわれた。国王のオープンカーと、教皇のパパモービルが並走する中、沿道の市民たちは熱心に歓迎した。

*モロッコの各界代表らとの出会い

 教皇フランシスコは30日、首都ラバトで、公式の歓迎行事と、各界代表との出会いに出席された。

 公式の歓迎行事が行われた「ハッサンの塔」の広場では、各界要人の他、大勢の市民が教皇を歓迎した。国歌演奏や使節の紹介など、歓迎の儀式の後、教皇は広場に設けられた舞台で、モロッコ国民に向け、到着の挨拶をおくられた。

 この中で教皇は、美しい自然、古代文明の足跡、心を魅了する歴史に恵まれたモロッコを訪問した喜びを表され、ムハンマド6世国王の温かい招きに感謝を述べ、この訪問が「イスラム教とキリスト教の宗教間対話と相互理解を促す機会となる」ことへの期待を表明された。

 今から800年前の「アッシジの聖フランシスコと、スルタン、アル=マリク・アル=カーミルとの歴史的出会い」を思い起こされた教皇は、「過激主義や憎悪が分裂と破壊を生む世界にあって、出会い、手を伸べ合う勇気は、平和と調和への道です」と語られ、「アフリカとヨーロッパの橋としての役割を持つこのモロッコの地から、より連帯ある世界、すべての人の豊かさと特徴を尊重した誠実で勇気ある対話の構築に、いっそうの努力を呼びかけたい」と述べられた。

 また、「より開かれ、多様化し、連帯に満ちた社会の構築のためには、対話の文化と協力的態度が大切」であり、この道をたゆまず進むことで「分裂と恐れの原因となる無理解と偏見を共に克服することができるでしょう」とされ、「真の対話における宗教的要素の重要性」を指摘されたうえで、「神への信仰は、相互の違いを尊重しつつ、一人ひとりの尊厳と権利を認め、兄弟として生き、善と愛と平和の価値を広めるよう招くもの」と強調された。

 教皇はまた、「良質な対話の中で、環境保護や、貧困撲滅、移民などの問題についても、考察を深めていく」ことを希望され、モロッコに神の祝福と保護を祈られた。

*教皇、ムハンマド6世国王とエルサレム巡る共同アピール

 教皇フランシスコは30日、訪問先のモロッコで首都ラバトの王宮に、ムハンマド6世国王を表敬訪問され、エルサレム巡る共同アピールを出された。

 共同アピールは、エルサレムの唯一性と聖性、人類と3つの唯一神教の信者たちのための共通の遺産、出会いの場所、平和的共存の象徴としての性質を認めるもの。このアピールを通し、教皇と国王は、エルサレムの多宗教的性格、霊的側面、文化的特徴を推進することを願った。

 

*イスラム教の研究所を訪問

 モロッコ滞在中の教皇フランシスコは30日、ムハンマド6世国王と共にラバト市内のイスラム教研究所を訪問され、関係者から温かい歓迎を受けられた。

 この訪問で、教皇はこの研究所の歴史や組織を説明するビデオをご覧になったほか、モロッコの宗教相の挨拶や、この研究所で学ぶヨーロッパとアフリカの学生の話しに耳を傾けられた。この研究所での出会いでは、ユダヤ教と、キリスト教、イスラム教の伝統音楽がオーケストラによって演奏された。

 ムハンマド6世研究所は、原理主義や暴力を抑え、イスラム教指導者と説教師の育成することを目的に、2015年に創立された。

2019年3月31日

・”性的虐待サミット”受け、ドイツ司教団が聖職者の権限制限の”シノドス的措置”実施へ(TABLET)

(2019.3.19  THE TABLET  Christa Pongratz-Lippitt)

 ドイツ司教団が、聖職者の権限を制限する「binding synodal procedure(仮訳:拘束力を持つシノドス的措置)」を採用することを決定した。この措置では、「聖職者による性的虐待」と「聖職者の独身制」についても扱い、一般信徒の組織であるドイツ・カトリック一般信徒中央委員会(ZdK)と共同で組織運営が行われ、その主体は三つのフォーラムで構成される。

 14日まで開かれたドイツ司教協議会総会の閉幕に当たって、会長のラインハルト・マルクス枢機卿は、司教団は計画中の集まりに対して「シノドス」という言葉を使うのを意図的に避けた、と説明したが、これは、バチカンに承諾を得ることを前提としたものだ。枢機卿は「私たちは待ちたくありませんでした」と述べ、特に、教会法の観点からは、このような集まりはシノドスではない、計画中の手続きが義務的なものでないことを意味しない、と強調した。

 計画中の拘束力を持つシノドス的措置のための三つのフォーラムは、今回の総会で決定された、とマルクス枢機卿は述べた。このうち「権力、参加、(権力の)抑制と均衡」に関するフォーラムはシュパイアー教区長のカール・ハインツ・ビーゼンマン司教、「性道徳」に関するフォーラムはオスナブリュック教区長のフランツ・ヨーゼフ・ボーデ司教、そして「聖職者のライフスタイル」に関するフォーラムはミュンスター教区長のフェリックス・ゲン司教が、それぞれ責任者を務める。

 拘束力を持つシノドス的措置では「聖職者の権力に求められる制限のために何をすべきか」「公正に法的に制限をする制度を作るために何をすべきか」について明確にされる。司教団は、未成年に対する聖職者による性的虐待への懲罰手続きのための特別法廷の設置、ドイツ司教協議会の中に行政の問題を扱う法廷の制度の創設、を提案した。

 さらにマルクス枢機卿は、教会の性的道徳はまだ「決定的な神学的、人間科学的な洞察」を完全には咀嚼できていない、と言明。これまで「性的関心の個人的な重要性に対して、十分な注意も払われてこなかった」ことも認めた。また、司教と司祭のライフスタイルは、手直しが必要で、司教たちは聖職者の独身制について高く評価しているが、司祭職にとってそれがどこまで必要なのか、将来、はっきりさせることになるだろう、とも語った。

 また、一般のカトリック信徒に対しては、「私たちは皆さんにお会いして、ご意見をお聴きします。皆さんの批判、心配、必要、疑問、そして要求をお聴きします。私たちはそのことを理解している、と正直に申し上げることができます」と約束した。

 拘束力を持つシノドス的措置が導入されることを、ドイツ・カトリック一般信徒中央委員会(ZdK)のトーマス・シュテルンベルグ会長は賛意を示したが、一方で「何を議論し、決定すべきかを、完全に明確にせねばなりません。単なる結論の出ない議論になるなら、強い不満をもたらすことになります。カトリック信徒たちは改革をこの目で見たいのです」とドイツのカトリック・オンラインマガジン Kirche-und-Leben.deと強調。具体的には、措置(の実施決定)についての定足数の規定も含めた法的な拘束力を明確にする必要がある、と指摘した。

 マルクス枢機卿は17日に開かれたミュンヘン教区協議会の会合で、「シノドス的措置の導入は、ドイツ司教団が教会の教説を発展させることが可能、と判断したことを示している」と語った。ドイツの教会は(世界のカトリック教会改革の)先頭に立つ。「ローマ(バチカンの具体的な動きを)待っているべきではありません。求められているのは、確かな圧力をかけ、改革への積極的な意思が見えるようにすること、そうしなければ何も変わからない」と訴え、全世界でみれば、「(少なくない地域の教会が)性的虐待問題をいまだに脇に置いていることに、教会制度的な根拠があるのかどうか」が問われている、と指摘した。このような課題への対応は、”時代精神”への服従ではなく、「福音に沿った、より良いやり方」で確かな改革を見つけ出そうとするものだ、と強調した。

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

 

 

 

 

 

2019年3月22日

・「女性が司祭になるのは全く自然なこと」とベネディクト修道会の女性リーダー言明

(2019.3.19 カトリック・あい)

 ドイツの最有力女子修道会のトップが、カトリック教会が女性を司祭叙階から排除していることに強い疑問を呈した。

 18日付けのフランスの有力インターネット・ニュースLa Croix International newsletter@international.la-croix.comが、独バイエルン州トゥッツィングのベネディクト女子修道院のルート・ショーネンベルガー院長が独カトリック教会の公式ウエブサイト katholisch.deとのインタビューで語った内容を伝えた。

 その中で、シスター・ショーネンベルガーは「女性たちが司祭のなることは全く自然なことです。どうして認められないのか、その理由が理解できません」と語り、「キリストの現存が男性だけに帰してしまっているのはおどろくべきこと… 私たちのいるトゥッツィングには、とても優れた女性の神学者たちがいます。彼女たちに欠けている唯一のものは、司祭叙階。それ以外には何も欠けたところはないのです」と訴えた。

(YouTube photo)

 彼女が2015年から院長を務めているこの女子修道院は、全世界のベネディクト女子修道会の修道院の中で最重要の一つ。1885年にトゥッツィングのベネディクト会のシスターたちが創設し、これが本部となって、現在では世界19か国で1300人のシスターが活動中。ショーネンベルガー院長は、70人のシスターがいるトゥッツィングの修道院のほか、もう二つの修道院のトップを兼ねている。

 院長は、司祭職の適否を判断する基準は一方の性に置かれるべきではない、とし、「私たちが司祭職に持っている考えを根本的に改めることは、緊急の課題。司祭たちが、現在の状態に批判の声を上げないのは、まったく驚くべきことです」と訴えた。

 さらに「世界中のこのような(注:男女聖職者の間の)力の不均衡は本当に憂慮すべき状態。それに対応することを学んでこなかったのは残念なことです。しっかりと対応せねばなりません」として、不均衡是正へ具体的に踏み出すための開かれた話し合いの場を持つよう関係者に呼び掛けた。院長はすでに、シスターたちとそうした議論を頻繁に行っている、という。

 「結局のところ、私たちは毎日、従属の見本を経験しているのです。修道女のグループとして、私たちがともにミサを捧げたいと思えば、現状では、男性に来てもらわなければ、一日たりとも、できない。彼は祭壇に立って、ミサを主宰します。私たちにはそれが認められません」と現在置かれている立場を説明。「私たちは、自分たちに合った、ミサ典礼を求め、新しい形を工夫したいのです」と訴えた。

  ベネディクト会のファール(スイス)女子修道院のイレーネ・ガスマン院長は先月から、「男女の平等を求める祈り」を始めているが、ショーネンベルガー院長と彼女の修道院はこの運動を全面的にサポートしている、と述べた。ガスマン院長は、全世界のベネディクト修道会、そして教会や他の修道会に、この祈りへの参加を求めているが、ショーネンベルガー院長はこれだけでは不十分としたうえで、「なぜ、教会の中で男女平等を祈らねばならないのでしょうか。一番大事なのは、改革についてのすべての議論は神に捧げられるべきものだ、ということです」と語っている。

 

 

 

2019年3月19日

・仏大司教「東方教会では当然、司祭不足への対応にも」-既婚男性の司祭叙階の議論に一石

(2019.3.17 カトリック・あい)

  フランスの大司教が既婚男性の司祭叙階を公に支持、既婚男性が司祭になる手立てについて検討されるべきだ、との考えを明らかにした。

 ポアティエ教区長のパスカル・ウインツェ大司教(59)が8日放送された仏リヨンのラジオ局RCFの番組の中で語った、として、15日付けのフランスの有力カトリック・インターネットニュースLaCroix(https://international.la-croix.com)が伝えた。

 それによると、大司教は「私は独身を選び、それが私という人間に合っています… しかし、東方教会では、既婚者が司祭になることができ、ずっとその職を続けています」と指摘。東方教会の既婚司祭たちは、これからも、家庭を持ちながら、聖職者であり続けられる、とし、「日曜日には彼らはミサを捧げ、祈り、福音を説きます」と述べ、さらに、女性たちも、ミサは捧げることはできないが、もっと頻繁に説教ができるのが望ましい、との考えを示した。

 また大司教は、フランスも含め世界中で深刻な問題になっている司祭による性的虐待問題に関連して、司祭と司教について「神聖な人格」として考えらていることに疑問を呈し、「人々の中には、キリスト教徒のロジックで見ている人がいますが、実際には司祭あるいは司教(だからといってそれだけで)は神聖な人物となりません…。私たちは宣教への特別の奉仕に呼ばれた者たちです。どの人も神聖であり、司祭だけが神聖、ということはないのです」とも述べた。

 大司教はこの後、LaCroixとのインタビューにも応じ、既婚男性の司祭叙階を支持することに関連して、「教会にかかわる既婚男性を叙階できれば、(司祭不足から)ミサができなくなった所でも、ミサが再開されるのが可能になりえます」と述べた。

 ただし「このことは、独身男性が司祭になることをあきらめるのを意味しない」とも語り、「今日、私たちが直面している主要課題は、司祭の養成であり、いかに彼らを人間的にバランスし、霊的に成熟した司祭にするか、ということです」と強調した。

 

 

 

 

 

2019年3月17日

・”性的虐待”で、カトリックであることに疑問を持つ信者が米国で増加-ギャラップ調査で(Tablet)

(2019.3.14  THE TABLET)

  (Holy Name Cathedral, Chicago. File pic.=Photo: Ruth Gledhill/The Tablet)

Catholics question Church commitment in wake of abuse crisis

 聖職者による未成年者などへの性的虐待問題が長期にわたって深刻化する中で、米国では、自身の教会とのつながりに疑問を抱くカトリック信者が増加している。

米大手世論調査会社ギャラップ(https://news.gallup.com/topic/blog_pm.aspx)による、今年1月現在で全米のカトリック信者581人に聞き取り調査を実施した結果が、明らかになった。

それによると、ミサへの参加など積極的な活動をしていないカトリック信者は、そうでない信者よりも自己の宗教に疑問を感じているが、大多数の信者は依然として、教区司祭と教皇フランシスコへの信頼を持ち続けている。

今回の調査では、全信者の約4分の1、37パーセントが「性的虐待がもたらした危機は、カトリック教会の信徒であり続けることに、疑問を持たせている」と答え、2002年の調査結果である「5分の1強」よりも多くなった。

 しかし、ギャラップは「信者であることに疑問を抱いている人々が、実際に教会を離れると決断するかどうかは明確でない。多くの信者は教会を離れることを考えるかもしれないが、結局はそうしない、と決めるか、さもなければ、教会を離れることは考えないが、カトリック教会のこの問題への対応に対する不満の表明として、このような回答をしている、と思われる」と説明している。

 回答の内容は、教会とのかかわり方によって相違がみられる。「教会に全く、ないしは、ほとんど行っていない」と答えた信者の約半数、46パーセントは、信者であり続けることに疑問を抱いている。これに対して、「教会に毎月に一回は行く」信者の4分の1弱、「教会に毎週行く」信者の5分の1が教会への忠誠に疑問を持つにとどまっている。

 調査結果を受けた評価として、ギャラップは、「先の全世界の司教協議会会長たちを集めた会議で、教皇は、性的虐待に対して強い言葉を述べ、多くの信者は、虐待防止のために、性的虐待を犯したいかなる聖職者も例外なく厳罰に処する(”zero tolerance ”)など、これまでより厳しい手段がとられることを希望している。バチカンは、この会議を受けて、具体的な対処に関するガイドラインを全世界の司教あてに提示する、としており、米国の教会指導者たちはさらに厳格な手段を検討している」としたうえで、「米国の信者たちは依然として、教皇フランシスコに最も高い信頼を置いているが、そのような回答者のうち58パーセントは、カトリック教会の指導者としての教皇の役割が弱いように思われる、としているようだ」と判断。

 さらに、「教会にとどまることに疑問を抱いている37パーセントの信者のうち、何人が、現在の性的虐待スキャンダルで実際に教会を離れようとしているのか、明確ではない」とする一方で、「教会が、伝統的な宗教からの離脱という社会的な傾向が強まっていることへの対応を求められている中で、信者と教会の絆のいかなる形の喪失も、歓迎されないニュースであることは確かだ」

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

 

2019年3月16日

・豪州の裁判所、ペル枢機卿に性的虐待で6年の実刑

 豪州のビクトリア州裁判所は13日、先に有罪判決を下した前バチカン財務事務局長官で教皇の枢機卿顧問団の元メンバー、ジョージ・ペル枢機卿に対して、児童性的虐待で6年の実刑を言い渡した。全刑期のうち3年8か月服役した後で、仮釈放を請求できる、という条件付きだ。ペルと弁護団は判決を不服として控訴する方針で、その審問は6月5,6両日に予定されている。

 判決理由は、枢機卿がメルボルン大司教を務めていた1990年代に16歳以下の児童二人に性的暴行を働いたというもの。今回の前の罪の有無を問う陪審員の協議では、12人の陪審員全員が有罪の判断をしていたが、刑の重さについては裁判官の判断にゆだねられていた。

 13日の刑の言い渡しで、裁判長のピーター・キッド判事は、ペルと彼についての審理を巡って「魔女狩りか、リンチをする暴徒の性向」が認められた、とし、「それは、正義とは全く縁のないものだ」と弾劾。さらに、ペルについて「カトリック教会の数々の過ちの犠牲にされたのではない」と強く指摘し、教会組織での権力と権威をもつ彼の地位は、その職務に背任いたことで、さらに罪は重くなった、とした。

 そして、彼の犯罪には「不快な要素」があり、「恐ろしく傲慢」な「暴力行為」、「あなたがした事は、正当に評価される余地がないほど言語道断な行為だ」と批判したが、一方で、判事は、彼が裁かれた以外の申し立ては存在せず、今後、ペルが「しっかりと更生」し、教会共同体に対して危険がなくなることを信じている、とも述べた。ペルの名前は、オーストラリアの性的犯罪者の記録に永久に残されることになる。

 77歳のペルは、判決言い渡し前の協議で仮出所が否認された2月27日以来、収監されている。バチカンの財務事務局長官として、財務のトップの地位にあったペルは、未成年性的虐待で有罪になったカトリック教会で最も地位の高い人物だ。この裁判の公益性の高さを反映して、オーストラリアの公共放送であるAustralian Broadcasting Corporationが13日朝の判決言い渡しの模様を実況中継した。

 今回の裁判の一回目の公判は昨年8月に始まったが、陪審が有罪、無罪の評決に至らないまま終わったが、12月の再度の公判で陪審が全員一致で有罪の評決を出した。ペルを有罪としたこの二度目の公判は、当時少年で現在成人して30代になっている男性一人が、非公開審理で、当時メルボルン大司教だった枢機卿に、日曜のミサ後に聖具室でオーラル・セックスを強要された、と証言したことが有罪の決め手になっていた。

 オーストラリアの性的被害者に関する法律では、訴えた人文の名前は秘匿されることが定められており、今回の判決に批判的な人々は、判決内容の妥当性に疑問を投げかけている。判決を受けて地元紙のthe Australianに掲載された投稿で、ペルと長く神学上の対立関係にあるイエズス会士、フランク・ブレナン神父は、判決を「信じられないこと」としている。「判決理由によると、扉が開いたままで廊下から見通すことにできる聖具室の中で、祭服を着たままの大司教が、ミサ直後に犯行に及んだ、としているのは、私の考えでは、信じられない」と神父は書いた。

 今回の判決を受けて、バチカン報道官は、ペルの財務事務局長官としての任期はすでに切れており、彼に対する措置は教会法に基づいて行われるだろう、とし、「バチカン教理省は所定の手続きにより、教会法の規定に定められた期間内に、この問題を処理する」と説明した。

 また、ペルの後継者であるシドニー教区長のアンソニー・フィッシャー大司教は、判決に先立つ今月3日に、「ペル枢機卿の件は裁判が続いており、判決の内容についてコメントできない。控訴でこの件が見直される機会がある限り、最終的な判断をしないように、信徒たちに強く求めたい」と語っていた。「現在の感情的な過熱状態の中で、落ち着いて、礼節をわきまえた振る舞いをするようにお願いする」と訴える一方、「控訴審では重要な問題が調べられる」との見方を示し、「性急な判断を下せば、血を求めて叫ぶ悪魔や弁解者の仲間入りをすることになる」とも警告していた。

(以下、英語原文)

The Supreme Court of the Australian state of Victoria, where Melbourne is located, has set June 5 and 6 for the bid for an appeal to be heard by three justices. Australian sources have described that schedule as “fast-tracked,” given that appeal hearings are often put on the calendar a year or more in advance, and dates are rarely set before a sentence is assigned.

Pell’s appeal will not be led by the lawyer who represented him during the criminal trial, Robert Richter, who came under fire for mismanaging the defense and also for making insulting remarks during the pre-sentencing hearing, in which he described the assault for which Pell was convicted as “a plain vanilla sexual penetration case, where the child is not volunteering or not actively participating.”

Richter later apologized for those comments after abuse survivors termed them “insulting” and “outrageous.”

Instead, prominent Sydney lawyer Bret Walker will represent Pell in the appeal. It remains to be seen if Walker will base the appeal on the same grounds that Richter identified during the sentencing hearing, which were unreasonableness, the prohibition of video evidence in the closing address, and composition of the jury.

Professor Jeremy Gans, a criminal appeals and procedure expert at the University of Melbourne, told the Guardian Australia that unreasonableness is likely Pell’s “best shot.”

“It’s not a rare grounds to succeed on,” Gan said. “This is the defense’s best shot and carries a bonus for them in that if they win there can almost certainly be no new trial. Once a court decides a guilty verdict is unreasonable it means they don’t think guilty should be the verdict in the next trial either.”

“Basically on this grounds of appeal, the court gets to decide if the jury got it right,” Gans said.

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2019年3月13日

・世界銀行が警告「最貧国の雇用問題、かつてなく深刻に」

(2019.3.8 世界銀行 Eニュース)

 西尾昭彦 世界銀行開発金融総局担当副総裁

 世界では、最貧国を中心に、今後10年間で約6億人分の雇用が必要になると予測されています。 南アジア地域だけを見ても、人口動態の変化に伴い毎年1,300万人分以上の雇用を創出する必要があります。サブサハラ・アフリカに至ってはさらに深刻です。人口は南アジアより少ないのに、毎年1,500万人分もの雇用創出が必要になると見られています。

 雇用は、将来だけでなく、いま現在にも関わる問題でもあることから、状況は一層複雑です。貧しい国々では多くの人々が、仕事には就いていても税金を納めておらず、規制のない非正規部門で、低賃金かつ生産性の低い仕事から脱け出せずにいます。 さらに、都市化の流れが進む中、膨大な数の人々が移り住んだ先で新たな仕事を探していますが、質の高い有償の仕事を見つけることができずにいます。市場が求めるスキルを備えていないことがその原因のひとつに挙げられますが、その結果、多くの人が経済に参画できないまま取り残され、自国の成長に貢献できずにいます。

 生産的で意義のある仕事を急増する労働力人口に見合うだけ創出するには、経済成長と共に経済の変革が不可欠です。生産性の低い活動から高い活動への労働者の移行を活気ある民間セクターが主導し、公共政策が支えていく必要があります。経済の変革を加速させるため、各国は充実したインフラとバリューチェーンを通じて各市場との結びつきを確保すると共に、労働者のスキルや企業の能力を構築し、民間投資を促進する環境を整備することが求められます。そしてこの変革は、女性、若者、そして不利な立場にある人々等、誰も取りこぼすことなく、すべての人々に機会をもたらすものでなければなりません。

 世界銀行グループの基金で最貧国を支援する国際開発協会(IDA)は、雇用創出に向けた各国の取組みを支援しています。事実、IDA第18次増資(IDA18:2020年半ばまでの3年間が対象)では、雇用創出と経済の変革を重点課題に掲げ、雇用創出に着目した革新的プロジェクトへの資金提供、様々な金融商品の活用と徹底した分析、雇用がもたらすインパクトを評価・測定する新たなツールの導入を進めています。

 IDA18は、インフラ、グローバル・バリューチェーン、域内統合及びテクノロジーの構築に取り組むプロジェクトを支援しています。 例えば西アフリカでは、数百万の事業や家庭に電力を届けるため、サヘル地域の太陽光発電といった西アフリカ電力系統への支援を通じて、基幹インフラ提供による域内の電力取引を促進しています。コートジボワールでは、自作農をグローバル市場に結び付ける他、農業生産性の向上、雇用創出を支援しています。さらにケニアでは、中小企業の革新性と生産性を高めるため、労働者と企業のキャパシティ・ビルディングを行っています。

 IDA18はまた、経済の変革を実現するための環境改善にも取り組んでいます。 エチオピアの規制改革とインフラ開発に対するIDA18の支援は、投資環境の改善と共に、政府による野心的な改革プログラムに充てられています。バングラデシュでは、雇用に着目した開発政策支援により、貿易と投資環境の改善に向けた改革の実施、労働者保護の強化、女性や若者の雇用機会の改善を支援しています。

 IDAは、民間セクターを雇用と経済的変革の中心と考えており、世界銀行グループの機関で新興市場への海外直接投資の促進に取り組む国際金融公社(IFC)と多数国間投資保証機関(MIGA)と連携を図っています。IDAの民間セクター・ウィンドウ (PSW)は、脆弱国を中心に13件のプロジェクトに1億8,500万ドルをコミットしています。IDAによる支援は、IFC及びMIGAからの6億ドルの支援を可能にした他、民間投資家から8億ドルに上る資金動員に貢献しました。PSWは、融資対象から外れた中小企業(SMEs)に銀行融資を行う際のリスク共有ファシリティや、SMEへの出資、現地通貨での解決策の提供等、画期的な手法を用いてSMEを支援しています。

 さらにIDAは、デジタル・テクノロジーが持つ大きな可能性を認識しており、世界銀行グループの「デジタル・ムーンショット・フォー・アフリカ」イニシアティブを支援しています。これは、2030年までにアフリカのすべての人、企業、政府がデジタル技術を使いこなせるようにするという野心的なイニシアティブです。我々は、官民のパートナーとも協力し、デジタル・インフラ、スキル、プラットフォーム、金融サービスと起業家精神を土台としたデジタル経済の基盤構築に取り組んでいます。

 IDAは、人への投資、つまり各国の人的資本構築に支援を行っています。そのために、雇用と経済的変革という課題の基盤である健康、教育、社会保護制度の構築に力を注いでいます。

 我々の分析では、IDA対象国には共通した課題が存在します。投資と雇用は都市部という一部の範囲に集中してしまっており、全体的な地域開発には支援の必要な場所が多々残されています。例えば、女性や障害者、その他の不利な立場にあるグループを含め、人口の大半は経済活動に参加できていません。 こうした中、IDAは、女性の就労、地域貿易・域内統合、気候変動に対応した都市化とインフラ、ガバナンスの改善、移住等、雇用関連の課題に取り組んでいます。

 雇用と経済の変革は複雑な課題であり、求められる成果を実現するには長期的かつ継続的なコミットメントが不可欠です。 我々は、IDA18を通じて状況を好転させる努力を進める中、2021~23年を対象期間とするIDA19 を見据え、いかにして現在の取組みを最善な形で継続していくかについて検討を始めています。

 その一環として、2019年3月5日、アジスアベバにおいて、国連アフリカ経済委員会(UNECA)と共に、政策立案者や実務者との会議を開き、各国の取り組みや新たに浮上した優先課題について議論を行います。国や地域のリーダーとのパートナーシップを強化しこの課題に連携して立ち向かうことにより、長く続く経済開発に対する集合的インパクトが拡大していきます。

 雇用をめぐる今後10年間の試練は明確かつ極めて大きく、これまでになく大きく将来を左右することになります。 試練を乗り越えることができれば、数億人に質の高い生産的な雇用を創出することができ、各国の今後の経済状況は明るいものとなり、人々が貧困から脱却するための機会を提供することになるでしょう。IDAは実現に向けて全力で取り組んでいきます。

2019年3月8日

・仏裁判所がリヨン大司教のバーバラン枢機卿に執行猶予付き実刑判決

(2019.3.7 Vatican News)

  フランスのリヨン地方裁判所が7日、リヨン大司教のフィリップ・バルバラン枢機卿(68)に対して、2014年7月から2015年6月にかけて管轄下にある聖職者の性的虐待について報告を怠ったとして、6か月の執行猶予付き実刑判決を出した。

 フランスで司教が性的虐待で有罪判決を受けたのは、2001年のバイユー・リジュー教区長のピエール・ピカン司教(執行猶予3か月)、昨年11月の前オルレアン教区長のアンドレ・フォール司教(同8か月)に次いで3人目。枢機卿の有罪判決は初めてだ。

 バルバラン枢機卿はこの日、刑を言い渡した裁判所には出廷しなかったが、枢機卿の弁護士は控訴するとの方針を明らかにし、「判決理由には納得がいかない。控訴して戦う」とし、裁判所は関係の記録書類とフィルムで不利な立場に置かれている、とも述べた。

 この裁判は1月に結審していたが、検察側は枢機卿にも、彼とともに訴えられていた5人の教会幹部にも罰則を求めていなかったという。

 判決について、リヨン教区事務局は短い声明を出し、バルバラン枢機卿が近く、ローマに行き、教皇に辞表を提出する、と本人が言明したことを明らかにした。フランス司教協議会も声明を発表したが、枢機卿が控訴の権利行使を断念するまで、判決にコメントできないし、辞任の判断についても「個人の良心の問題であり、教皇が適当と考える判断をなさる」としている。

 この裁判に関しては、リヨン教区の司祭、ベルナール・プレイナ神父から性的虐待を受けたとする9人が、枢機卿と教会幹部5人をこの事実を何年間も隠蔽し当局に報告を怠った、として訴えを起こしていたが、幹部5人は提訴期限が切れたとして、訴えが棄却されていた。

 フランスの人権団体“La Parole libérée”のフランソワ・ドゥボー共同代表は、今回の判決を「児童保護にとって大きな勝利」と評価している。

 プレイナ神父の被害者たちは、枢機卿と側近たちがこの問題を裁判に持ち込もうとせず、彼を教会の司牧活動から外す決定を遅らせた、と主張していた。神父は1970年代から1980年代にかけてリヨン郊外でボーイスカウトのチャプレンをしていた時に、公式のボーイスカウト活動をしないグループに所属していた70人以上の少年に性的虐待を行っていた、とされている。この問題が発覚した際には、虐待の規模の大きさからリヨン教区だけでなく、フランスのカトリック教会に大きな衝撃を与えていた。

 被害者たちによれば、教会の幹部たちは1991年には既にこのことを知っていたが、2015年に神父が引退の措置が取られるまで、少年たちに接するのを許していた。神父本人は1970年代から1980年代にかけてボーイスカウトたちを性的に虐待していたことを認めており、今回の裁判とは別に、来年、裁かれる見通しだ。ただし、被害者は85人に上っているとされているが、裁判で対象になるのは、提訴期限の関係で13のケースにとどまるとみられる。

 バルバラン枢機卿は公判中の1月に出した声明で「私は、これらの恐るべき行為を隠そうとしたことは絶対になく、まして隠蔽などしていない」と釈明していた。枢機卿は、プレイナ神父を2015年8月に、教皇の同意を得て、司祭としての職務を解いたが、このことについては「私はローマから求められたことを確実に行った」とする一方で、同神父を2011年にロアンヌ近郊の地域のトップに任命したことについては「軽率だった」ことを認め、「私は、彼に裏にとどまるように言うべきだった」と反省の弁を述べていた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年3月8日