♰「タイと日本の温かい歓迎に感謝」教皇帰国後早くも水曜一般謁見

(2019.11.27 バチカン放送)

 タイと日本の訪問から帰国された教皇フランシスコは27日、通常通りの水曜一般謁見をなさり、帰国のあいさつをされるとともに、訪問中の両国の人々が温かく歓迎してくれたことに感謝を表明された。

 「この訪問で両国民に対する親しみと親愛を増しました」と述べた教皇は、両国民の発展と平和を願い、神の豊かな祝福を祈られた。

 日本訪問を振り返った教皇は、到着後、東京のローマ教皇庁大使館で司教らと集い、「小さくても、生きた水、イエスの福音をもたらす教会の、牧者としての挑戦をすぐに分かち合うことができました」と述べ、「すべてのいのちを守るため」という訪日のモットーを紹介して、「原爆の消えることのない傷を負う日本は、全世界のために命と平和の基本的権利を告げ知らせる役割を担っています」と話された。

 長崎と広島では、祈りを捧げると共に、被爆者や犠牲者の遺族と面会し、「核兵器への反対を強く表明、武器を生産・取引しながら平和について語ることの偽善を非難しました」とされ、「あの悲劇の後、日本は命のために闘うめざましい力を見せました。そして、2011年の地震と津波と原子力発電所事故のトリプル災害においても、日本は再びその力を示しました」と語られた。

 そして、「命を守るには、命を愛さなくてはなりません… 今日の先進国では、『生きることの意味の欠如』が深刻な脅威になっています」として指摘。「この虚無感の最初の犠牲となるのは若者… それゆえ、東京での青年との集いでは、若者たちの問いや夢に耳を傾け、あらゆる形のいじめに共に立ち向かうため、また神の愛に自らを開くために、祈りや他者への奉仕を通して、恐れや自分への閉じこもりに打ち勝つように励ましました」と話された。

 また、上智大学でも教授陣らと共に若者たちと出会う機会を持ったが、「この大学は他のすべてのカトリック系の教育機関と同様に、日本でとても高い評価を得ています」とされた。

 教皇は、東京で天皇陛下にお会いする機会に恵まれたことに、感謝の念を新たにされると共に、日本の政府関係者および駐日外交団との集いに言及され、これらの出会いを通し、「叡智と広い展望に特徴づけられた出会いと対話の文化への期待を示しました」とされた。

そして、「日本は、独自の宗教的・道徳的価値に忠実に留まりつつ、福音のメッセージに開くことで、より正しく平和に満ちた世界と、人類と環境の調和のために、牽引的な役割を果たす国になることができるでしょう」と日本への期待を語られた。

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一方、タイ訪問に関しては、同国の豊かな精神的・文化的伝統、微笑みに満ちた国民に敬意を表され、タイ訪問を通して、て「国内の様々な構成員の間に調和をもたらす努力と、経済発展がすべての人のために還元され、特に女性や未成年者の搾取の傷を癒すことができるよう励ましました」と述べた。また、仏教が歴史と人々の生活に深く根付いていることを紹介しつつ、「前任教皇らがしるした相互尊敬の道をたどり、仏教の最高指導者を訪問し、憐みと兄弟愛ある世界の成長を願いました」と語られた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年11月27日

*「バチカンの金融財政改革は進展、『核』はカテキズムに書き入れたい」と教皇、機上会見で(CRUX)

(2019.11.27 Crux   Inés San Martín)

 教皇フランシスコは26日午後、ローマへの帰国途上の機中会見で、記者団の質問に答えた。この中で、バチカンで金融財政をめぐるスキャンダルが発覚したことについては「これは実は”成功物語”です。バチカンの内部調査で実態が明らかにされ、新監視体制が機能していることが立証されたからです」と語り、核兵器の保有と配備はともに「不道徳」であり、「カトリック教会のカテキズムに書き込む必要がある」と言明、「国連安全保障理事会の一握りの国が行使する拒否権が考え直される時が来るだろう」と述べた。

*バチカンの財政金融スキャンダル

 現在バチカンで起きている財政金融に関係するスキャンダルは、国務省がロンドンの高級住宅街チェルシー地区にある高級百貨店ハロッズが倉庫として使っていた建物を、教皇の慈善活動室から多額の資金を使って購入しようとしたが、複数の中間業者が価格を釣り上げた、とされる問題。関係したバチカンの職員5人がバチカンの金融監督局から職務停止のうえ、取り調べを受け、治安責任者で教皇の個人警備担当者が調査に関連する文書漏洩で辞任している。

 これについて教皇は「これは汚職です」と認め、「汚職の疑いのある5人のバチカン職員は、バチカンの司法担当者によって速やかに取り調べを受けることになるでしょう」と説明。

 「彼らはクリーンに見えないことをしました… だが、この問題はバチカン外部から明らかにされず(内部から取り上げられた)、バチカンの経済手法に関する改革は、(前教皇)ベネディクト16世と共に始められ、今も継続しています… この問題を明らかにしたのは(改革で創設された)財務情報監視官でした。彼は経理報告に不審な点があるのに気づき、私に書面による申し立てをし、どう対処すべきかを聞いてきたので、法務官に報告するよう指示しました」と語り、「このことは、バチカンの執行機関には今、内部で起きている悪事に光を当てる手段が備わっていることを示すものであり、喜ばしいことです」とされた。

 また、問題の5人は無罪との見方があるが、「いずれにしても資金が適切に管理されていなかった(問題がある)」とする一方、「引き出しにお金を入れる」ことで、賢く処理することではない、と慈善活動室の基金の使用を弁護しつつ、基金が価値を失わないように投資するのは賢明だが、お金は、武器の製造業者ではなく、安全で道徳的な案件に回されねばならない、投資は、新しく寄付金が入る年のうちに仕えるように、短期でなければならない、と指摘。

 一般的に、基金を使って不動産を購入し、貸し付け、さらにそれを売却すること自体は合法だが、「その後、何が起こったでしょう。スキャンダルです」と述べ、バチカンで腐敗が起きた事実は「醜いことだが、バチカン内部の機関がそれを見つけたのです… バチカンに腐敗があるという事実ではなく、内部システムが機能していることを神に感謝します」と語った。

 教皇の今回のタイ、日本訪問の直前にバチカンの金融情報局長が辞任したことについて、さまざまな見方が出ていたが、これについて教皇は「私は彼から話を聞きました。犯罪行為を抑えられなかったのは金融情報局だったようです」と説明。

 バチカンの財政金融改革については進歩があったとし、バチカン銀行が現在は、世界の他の銀行と同じような金融業務ができるようになっていることを例に挙げた。また、エグモント・グループ(各国金融犯罪情報収集・分析機関の協力を目的とした集まり。1995年4月に欧州主要国及び米国の関係機関が中心となって発足)に言及し、グループは来年初めにバチカンに関する報告書を発表する予定で調査・分析をを進めているが、バチカンの捜査当局が押収した関係資料を返還するよう求めているが果たされていない、とした。

 そして、汚職事件が起訴された後、裁判は一国の主権でなされる、とし、起訴された5人が無罪になることに期待を表明しつつ、彼らの起訴状を書いた検察官について「蓋を鍋の内側から持ち上げた」と、その勇気を称賛した。そして、エグモント・グループについては、「いい仕事をしているので、作業を妨げることはしたくないが、国家主権は、個人的利益よりも重要」との判断を示した。

*核兵器は使用も保有も「不道徳」

 核兵器、原子力エネルギー、そして聖トマス・アクィナスの「正義の戦争」の原則などについても質問がされた。これに対する教皇の答えはまず、「(今の世界で)平和は弱い、とても弱い」だった。

 「広島と長崎を訪れた時、何を感じましたか」という日本の記者の質問に促され、教皇は、自身が広島の平和宣言で「核兵器の使用」と「不道徳だ」と非難したことを想起し、「このことは(カトリック教会)のカテキズムに入れなければなりません… 使用だけでなく、保有についてもです」と語った。

 そして、核兵器の保有は、事故の発生の危険だけでなく、「人の狂気が人類を破壊する可能性」があることからも、危険である、とし、「四度目の世界大戦は「棒と石」で繰り広げられる」というアルバート・アインシュタインの言葉を引用した。

*原発は安全性が確立されていない、限界だ

 原子力発電について、教皇は「事故発生の可能性」を問題として指摘。このことは2011年に東日本で起きた三大災害-地震、津波、そしてそれらが原因となった福島原発事故が、その危険を示している、と述べ、「原子力は『限界』です。核兵器は『破滅の原因』ですが、原子力エネルギーの使用は限界。なぜなら、使用を広げていくための、完全な安全性が確立されていないからです」と言明。さらに「個人的見解」と前置きして、「人類と環境への災害を防ぐために、安全性が確立するまで、原子力を使うことはしないでしょう」と述べた。

 

*暴力、武器に関する回勅は機が熟していないが

 教皇が「暴力」に関する回勅を出すと噂されていることには、「その考えは『引き出しの中』にありますが、時間が足りないこともあり、(回勅として出すには)機が熟しているとは思いません」と答えた。

 関連して、国際連合などの国際機関は多くの成果を上げているが、武器を制御することはできていない、とし、「安全に問題があり、武器に問題があり、武器管理に大半の国が賛成票を投じても、拒否権を持つ国がそれを行使すると、駄目になってしまう… 聞いたことがあります。私には、それが良いかどうか判断できませんが、おそらく国連は、安全保障理事会の(拒否権を持つ)一部の理事国の拒否権を放棄することになるでしょう」と語り、 「武器の製造を止め、戦争を止め、交渉するためになされることは、常になされねばなりません」と強調した。

*炎上するラテンアメリカ、そして「私は中国が大好き」

 激化する香港での抗議活動について聞かれた教皇は、長期にわたって動揺を続けているのは、香港だけではなく、チリ、フランス、ニカラグアとラテンアメリカの他の国々、ブラジルも同じ状況にある、とし、「問題を抱えたこれらの国々の平和を、私は願っています… 対話を呼びかける必要がある」と語った。

 また、中国訪問については、「とても訪問したい、中国を愛していますから」と答えた。

 教皇の故郷の近くの国々、ベネズエラ、ボリビア、チリ、ニカラグアなどで騒乱が起き、教会が放火されたり、襲われたりしていることへの思いを聞かれて、教皇は、現状を分析できるとは思わないが、ある人が自分に語ったのは、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルがすべての軍事政権の下にあった1970年代、1980年代の炎上状態とそれほど変わらない、ということだ、と述べた。そして、チリの状況は特に恐怖を感じている、とし、その理由を「それが、私たちに多くの苦しみをもたらしている(聖職者による性的)虐待問題から起きており、今は、私たちがよく分からないような問題があり、炎上している」と説明した。

 そして、「ラテンアメリカの状況についてはまだ十分な分析していないが、「平和をもたらすことができていない、弱いないが、弱い政府の存在がある」と述べた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 ・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

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2019年11月27日

*「『核兵器の使用は倫理に反する』と教会の教えに書くべきだ」帰国途上の機内会見で

 

離日後、機内で記者会見する教皇フランシスコ 2019年11月26日離日後、機内で記者会見する教皇フランシスコ 2019年11月26日  (ANSA)

(2019.11.26 バチカン放送)

 タイと日本への訪問を終え、帰国の途につかれた教皇フランシスコは26日午後、特別機の機内で、随行の記者団の質問に答えられた。

 記者会見では、日本およびアジア、また核や平和に関連するテーマに質問が集中した。

*「東洋には、物事を超えた彼方を見つめる力がある」

まず、教皇は「西洋の社会と教会は、東洋の社会、教会から学ぶことがありますか」との問いに、lux ex Oriente, ex Occidente luxus「光は東方より、贅沢は西方より」という言葉(※「光は東方より、法は西方より」という古代ローマの箴言をもじった言葉)使われ、「光は東方からだが、贅沢、消費主義は西方から来ます… 東方には。まさに知恵がある、それは単なる『知識上の知恵』ではなく、『時間や観想の知恵』。いつも急いでいる西洋社会に対し、観想を学ばせ、立ち止まり、物事を詩的に見ることを教えてくれます」と答えられた。

さらに教皇は「東洋は物事を超えた彼方を見つめる力があり、『超絶性』という言葉をあえて使うことなく、内在性の限界を超えるビジョンを持っています… 西洋人は少し立ち止まり、叡智のために時間を割くとよいでしょう」と付け加えられた。

*長崎には宗教的迫害、広島は残酷を人類に教える場所

「長崎、広島の訪問で何を感じましたか」という問いには、「長崎と広島はどちらも原爆で苦しみました… 違うところは、長崎はキリスト教が古くから根付き、激しい迫害があったこと、広島はキリスト教的な都市ではないが、残酷とはどういうものであるか真に人類に教える場所であることです」と答えられた。

 そして、今回の訪問で「核兵器の使用は倫理に反する」と強調したことを振り返り、「倫理に反するがゆえに、カトリック教会のカテキズムにも加えられるべきこと」との考えを示された。「核兵器の使用のみならず保有も倫理に反する」と広島宣言で語られたことについて、「それは、事故や、1人の狂気が、人類を滅ぼすこともあるからです」と説明された。

*原子力発電は「完全な安全性の確保に至っていない」という意味で限界

 原子力発電に関しての考えを聞かれた教皇は、「日本が体験したようなトリプル災害(地震・津波・原発事故)はいつでも起きる可能性はあります… 原子力使用は『完全な安全性を確保するに至っていない』という意味で限界があります」と述べ、「個人的な意見」とした上で、安全性の点からその使用に懸念を示された。

*政治的に死刑を廃止できなくても、「執行を停止する事実上の終身刑」の国も

 25日の東京ドームでのミサに、死刑確定に無実を訴え、再審・裁判のやり直しを求めている死刑囚の袴田巌さんが出席していたが、という問いに対し、教皇は「袴田さんのケースについては、後で知りました」と言われた。

 同日の安倍首相との会談では、「裁判や、死刑や終身刑、刑務所の収容能力を超えた過剰収容や、判決前の勾留状態など、他国の状況も含めた、受刑者を取り巻く多くの一般問題についてお話ししました」と語った。

 教皇は「倫理に反する」とされている死刑については、「ある国々は、政治的な問題で死刑を廃止できませんが、死刑の執行を停止することで事実上の終身刑としています」とされ、また、「刑罰は社会復帰を常に視野に入れたものであるべきで、展望を与えない刑罰は人道的ではありません」とも話された。

*どこの地域の紛争にも対話と平和を呼びかけている

 香港問題に関連して、「教皇がバンコクから羽田に向かわれる機上で、上空を通過した際に、香港行政長官にメッセージを送られたが、現地の状況について、どう思われますか」との問いには「すべての上空通過国のトップに電報を送るのは儀礼としての習慣です」とされたうえで、香港だけでなく、中南米やヨーロッパなど、今日世界各地で起きているデモについて言及し、「こうした状況を前に教皇庁は対話と平和を呼びかけています」と語った。

 また、「私たちはいつ、教皇の北京訪問に随行できるのでしょう」との問いには、「北京に行けたらよいと思う、私は中国を愛しています」と従来の答えを繰り返された。

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年11月27日

・米国の司教団が教皇の「核兵器のない世界」に賛同、米政府に指導力発揮求める

(2019.11.26 Vatican News  Linda Bordoni)

 26日朝まで訪日された教皇フランシスコが長崎、広島訪問で「核兵器のない世界の実現」を強く訴え、「核兵器の配備にとどまらず、保有することも不道徳である」と強調されたが、米国のカトリック司教協議会(USCCB)は26日、米国政府に対し、相互に検証可能な核軍縮に向けて世界的な指導力を発揮するよう求める声明を出した。

 

2019年11月26日

♰「『偽りや欺瞞の言葉・行動』の現代に、誠実さにおいて知られる者となれ」-上智大学での集い

(2019.11.26 カトリック・あい 南條俊二)

 教皇フランシスコは26日朝、離日前の最後の行事として、上智大学を訪問された。ご自身も所属しておられたイエズス会が経営するこの大学の校内で、教皇はまず、イエズス会上智修道院のクルトゥルハイム聖堂で会員たちとミサを捧げられ、その後、修道院で彼らと朝食とり、集いを持たれた。

*少数派だが存在感のある日本の信徒たち、信徒でない人々との互いの尊敬が深まるように

教皇は、この後、大学のホールで講話をされた。講話では、まず、日本滞在の感想を「滞在は短かったが、大変、密度の濃いものでした… 日本でキリスト信徒は少数派ですが、存在感がある。私自身、カトリック教会に対して一般市民が持つ好意的な評価を目にしました」と語られ、「こうした互いの尊敬が、今後も深まっていくといい。日本は効率性と秩序によって特徴づけられていますが、一方で『よりいっそう、人間らしく、思いやりのある、慈しみに満ちた社会を創り出したい』という熱い望みを感じました」と今後への期待を述べられた。

*教育機関は日本の文化に重要な役割、未来のため自主性と自由を保ち続けて

また日本のこれまでの文化、教育については「日本はアジア全体としての思想とさまざまな宗教を融合し、独自の明確なアイデンティティをもつ文化を創り出すことができました。聖フランシスコ・ザビエルが感銘を受けた足利学校は『さまざまな見聞から得られる知識を吸収し伝播する』という日本文化の力を示す好例です」と評価。

そのうえで、「学問、思索、研究に当たる教育機関は、現代文化においても、重要な役割を果たし続けています。ですから、より良い未来のために、その自主性と自由を保ち続けることが必要。大学が未来の指導者を教育する中心的な場あり続けるとするなら、及ぶ限り広い範囲における知識と文化が、教育機関のあらゆる側面が、一層包括的で、機会と社会進出の可能性を創出するような着想を与える者でなければなりません」と、大学を含む教育機関に注文を付けられた。

*上智は、単なる「知的教育の場」でなく「未来を形成する場」「地球環境への懸念を表現する場」に

さらに、上智大学を特定して、あまりにも競争と技術革新に方向づけられた今の社会で、単に「知的教育の場」であるだけでなく、「より良い社会と希望にあふれた未来を形成していくための場」「自然への愛は、アジアの文化に特徴的なもの。私たちの共通の家である地球の(自然環境)保護に向けられる、知的かつ先験的な懸念を表現する場」となるように求められた。

 また教皇は上智大学のこれまでを『ヒューマニズム的』『キリスト教的』『国際的アイデンティティ』によって知られ、創立当初から、さまざまな国の出身の教師の存在によって豊かになってきました… 時には対立関係にある国の出身者さえいましたが、全ての教師たちが『日本の若者たちに最高の教育を与えたい』という願いによって結ばれていた」と振り返った。

 そして「まさにこれと同じ精神が、皆さんが国の内外で最も困っている人々を応援する様々な形の中に、息づいている。この大学のアイデンティティの、このような側面が、いっそう強化され、現代のテクノロジーの大幅な進歩がより人間的、かつ公正で、環境に責任のある教育に役立つ」との確信を述べられた。

*教員と学生が共に施策と識別の力を深める環境を

 教員と学生に対する注文として「共に等しく思索と識別の力を深めていく環境を作り出すよう、(イエズス会の創立者で)上智大学が礎を置く聖イグナチオ・ロヨラの伝統を基に推進していくこと」を挙げた。

*学生は、何が最善かを理解し、責任をもって自由に選ぶ術を習得せずに卒業するな

 学生に対しては「『何が最善なのか』を意識的に理解したうえで『責任をもって自由に選択する術』を習得せずに卒業してはなりません」と注意され、「どんなに複雑な状況にあっても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような、責任のあることに関心を持つ者」「弱者を決然と擁護する者」「『言葉と行動が偽りや欺瞞』であることが少なくないこの時代にあって、誠実さにおいて知られる者」となることになることを希望された。

*若者たちが教育の単なる受け手でなく、未来の展望や希望を分かち合うモデルを示して

 また大学の経営体であるイエズス会への注文として、「イエズス会が計画した『使徒の世界的優先課題』は、『若者と共に歩むことが、世界中で重要な現実である』ことを明確にし、イエズス会のすべての教育機関が、それを促進すべきだ、としています」としたうえで、「昨年秋の若者をテーマにしたシノドス(世界代表司教会議)と関連文書が示しているように、教会全体が希望と関心をもって、世界中の若者たちに注目しています。この大学全体で、若者たちが、単に準備された教育の受け手となるのはなく、若者たち自身も、教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うのです」と述べ、「皆さんの大学が、このような相互のやり取りのモデルを示し、そこから生み出される豊かさと活力で知られる存在となるように」と願われた。

*良い大学での勉学は少数者の特権ではない、貧しい人、疎外された人と共に歩め

 さらに、「上智大学のキリスト教とヒューマニズムの伝統は、現代世界において『貧しい人や隅に追いやられた人とともに歩む』という優先事項と完全に一致します-すなわち、現代世界において貧しい人や片隅に追いやられた人と共に歩むことです… 自らの使命に基軸を置く上智大学は、社会的にも文化的にも異なる、と考えられているものを繋ぎ合わせる場となることに常に開かれているべきです。格差や隔たりを減らすことに寄与する教育スタイルを推進する状況を可能にしつつ、疎外された人々が大学のカリキュラムに創造的に関わり、組み入れられていくことです」と、いっそうの力を求められた。

 そして、「良質な大学での勉学は、それを『ごく少数の人の特権』とみなさず、『公正と共通善に奉仕する者』であるという自覚を伴うべきです。それは、各自に与えられた分野での奉仕なのです… 貧しい人たちのことを、忘れてはなりません」と注意を与えられた。

*社会に喜びを希望をもたらす使命に加わるように期待

 最後に、「上智大学の若者、教員、そして職員の皆さん。以上お話しした私の考えと、この集いが皆さんの人生と今後のこの学び舎での生活において、実を結びますように。主なる神と教会は、皆さんが神の叡智を求め、見い出し、広め、今日の社会に喜びと希望をもたらす、その使命に加わるよう期待しています」と希望を述べられ、ご自身の訪問中の心のこもった温かい歓迎にについて、全ての日本の人々への感謝を表され、講話を締めくくられた。

 教皇はこれを最後に、22日夜からの日本訪問の公式行事を終えれ、26日午前羽田発の専用機でローマにもどられた。

2019年11月26日

♰「原爆の悲劇阻止へ必要なあらゆる仲介を推進して」安倍首相や各界要人、各国大使の集いで

JAPAN-RELIGION-POPEJAPAN-RELIGION-POPE 

 教皇フランシスコは25日夕、都内の総理大臣官邸に安倍晋三首相を訪問され、およそ30分にわたる会談を行った後、官邸内で、日本の各界要人および駐日外交団との集いに出席された。

 安倍首相の挨拶に続き、教皇は参加者を前に言葉を述べられた。

 はじめに、それぞれの立場から日本の人々の発展に尽くす各界関係者に挨拶を述べた後、この朝、天皇陛下にお会いできたことに深い感謝を表されると共に、新しい時代の始まりにあたり、天皇陛下のご活躍を願い、皇室をはじめ、すべての日本国民に神の祝福を祈られた。

 バチカン市国と日本の友好関係の古くからの歴史に触れつつ、最初に訪れた宣教師たちが日本に抱いた認識と賞賛、特に1579年、イエズス会士アレッサンドロ・ヴァリニャーノが書き残した「わたしたちの神が人間に何を与えたかを見たければ、日本に来ればよい」ということばを引用された。

 また、「両国関係を深めるだけでなく、そのおかげで大きな緊張や困難をも乗り越え」させた、文化的、外交的使節の往来、その有益な交流に言及した。

 今回の訪問のテーマ「すべてのいのちを守るため」は、すべてのいのちがもつ不可侵の尊厳と、あらゆる苦難の中にいる兄弟姉妹に、連帯と支援を示すことの大切さを認識すること、と話され、これに関し、今回、東日本大震災の被災者の方々のお話をうかがい、その大変な経験と、今も困難な状況に深く心を痛めた、と語られた。

 前任の教皇たちの足跡に従い、「神に切に願い、すべての善意ある人に呼びかけたい」と述べた教皇は「人類の歴史において、広島と長崎に投下された原爆によってもたらされた破壊が二度と繰り返されないよう、阻止に必要なあらゆる仲介を推進するように」と訴えられた。

 「民族間、国家間の紛争は、対話によってのみ有効な解決を見いだせることを歴史は示している」と教皇は話し、「核問題は、多国間のレベルで取り組むべき」との確信を示された。

 さらに、「日本は、教育、文化、スポーツ、観光の分野において、人と人との交流を促進する重要性を理解してこられました… それが平和という建物を強固にする、調和、正義、連帯、和解に、大いに貢献することを知っておられるからです」と話された。

 また、来年日本で開催されるオリンピックとパラリンピックに触れ、「これらの大会が、国や地域を越えて、人類全体の幸せを求め、連帯の精神をはぐくむ、推進力になることを確信しています」と述べられた。

 教皇は「この数日間に、長い歴史の中ではぐくまれ、大切にされてきた日本のすばらしい文化遺産と、日本古来の伝統文化を特徴づける宗教的、倫理的な優れた価値に、あらためて感銘を受けた」と語られ、「異なる宗教間のよい関係は、平和な未来のためだけでなく、現在と未来の世代が、真に公正で人間らしい社会の基盤となる道徳規範の大切さを認識できるようになるために重要です」と話された。

 桜の花に象徴される、日本の自然の美しさに触れた教皇は、「地球を自然災害だけでなく、人間の手による搾取と破壊から守り、次の世代に手渡すべき貴重な遺産として見るように」と促され、「地球保全のための統合的アプローチには、ヒューマン・エコロジーの考慮も必要」と述べた教皇は、「広がりつつある貧富の格差に言及。人間の尊厳をすべての中心に据えること、世代間の連帯、忘れられ排除されている人々、とくに若者たち、高齢者、孤独に苦しむ孤立した人への寄り添い」を願われた。

 そして、「各国、各民族の文明は、その経済力によってではなく、困窮する人にどれだけ心を砕いているか、いのちをはぐくみ、豊かにする能力があるかによって測られる」と話された。

 翌日、訪日を終了する教皇は、このたび受けた招待と心からのもてなしに、またそのために尽力したすべての方々の寛容さに、あらためて感謝を述べられ、よりいっそう命を守り、人類すべての尊厳と権利を尊重する社会秩序の形成の努力を励ましつつ、日本のすべての人々に神の豊かな祝福を祈られた。

(編集‘「カトリック・あい」)

 

Pope Francis meets with authorities and members of the dipolomatic corps, TokyoPope Francis meets with authorities and members of the dipolomatic corps, Tokyo  (Vatican Media)

 以下、翻訳中

Pope Francis began his address to authorities, civil society and the diplomatic corps by recalling “the friendly relations existing between the Holy See and Japan are long-standing”. He described these relations as being “rooted in the appreciation and admiration felt by the first missionaries for these lands”.

A sensitive nation

The Pope referred to one missionary in particular, the Jesuit Alessandro Valignano, “who in 1579 wrote: ‘Whoever wishes to see what our Lord has bestowed upon man need only come to Japan to see it’”.

“As a nation”, the Pope continued, “Japan is particularly sensitive to the suffering of those less fortunate”. On this note, he recalled the theme of his visit: Protect all life, “in the recognition of its inviolable dignity and the importance of showing solidarity and support to our brothers and sisters in any kind of need”.

“We know that, in the end, the civility of every nation or people is measured by the attention it devotes to those in need and its capacity to be fruitful and promote life”.

Never again such tragedies

The Pope then explained that he is not only in Japan to confirm Japanese Christians in their faith, but also “to implore God and invite all persons of good will to encourage and promote every necessary means of dissuasion so that the destruction generated by atomic bombs in Hiroshima and Nagasaki will never take place again in human history”.

He added that history has proven that dialogue is enough to solve conflicts, describing it as “the only weapon worthy of man and capable of ensuring lasting peace”.

Referring to the upcoming Olympic and Paralympic games, being held this coming year in Japan, the Pope used the example of the “Olympic spirit” as one that “can contribute the harmony, justice, solidarity and reconciliation that are the mortar of the edifice of peace”.

Centuries of heritage

Speaking of Japan’s “precious cultural heritage”, Pope Francis pointed out that “throughout many centuries of its history”, Japan has been able to develop and preserve “the profound religious and moral values that characterize this ancient culture”.

Good relations between the different religions are not only essential for a future of peace, he said, but for training present and future generations to cherish the ethical principles that serve as the foundation for a truly just and humane society.

Finally, Pope Francis expressed his gratitude for having been invited to visit Japan and encouraged all those present in their “efforts to shape a social order ever more protective of life, ever more respectful of the dignity and rights of each member of our human family”.

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2019年11月25日

♰「高度に発展した日本では多くの人が疎外され、平和と安定を失っている」東京ドームミサで

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

教皇の日本司牧訪問  教皇の説教 東京ドーム (2019 年 11 月 25 日、東京) 公式発表の全文

  今聞いた福音は、イエスの最初の長い説教の一節です。「山上の説教」と呼ばれているもので、私たちが歩むよう招かれている道の美しさを説いています。聖書によれば、山は、神がご自身を明かされ、ご自身を知らしめる場所です。

 神はモーセに、「私のもとへ登りなさい」(出エジプト記 24章1 節参照)と仰せになりました。その山頂には、主意主義によっても、「出世主義」によっても到達できません。分かれ道において師なるかたに、注意深く、忍耐をもって丁寧に聞くことによってのみ、山頂に到達できるのです。山頂は平らになり、周りがすべて見渡せるようになり、そこはたえず新たな展望を、御父のいつくしみを中心とする展望を与えてくれるのです。

 イエスにこそ、人間とは何かの極みがあり、私たちの考えをことごとく凌駕する充満に至る道が示されています。イエスにおいて、神に愛されている子どもの自由を味わう新しいのちを見い出すのです。

 しかし、私たちはこの道において、子としての自由が窒息し弱まるときがあることを知っています。それは、不安と競争心という悪循環に陥るときです。息も切れるほど熱狂的
に生産性と消費を追い求めることに、自分の関心や全エネルギーを注ぐ時です。まるでそれが、自分の選択の評価と判断の、また自分は何者か、自分の価値はどれほどかを定めるための、唯一の基準であるかのように、です。

 そのような判断基準は、大切なことに対して徐々に私たちを無関心、無感覚にし、心を表面的ではかない事柄へと向かうよう、押しやるのです。何でも生産でき、すべてを支配でき、すべてを操れると思い込む熱狂が、どれほど心を抑圧し、縛りつけることでしょう。

 ここ日本は、経済的には高度に発展した社会です。今朝の青年との集いで、社会的に孤立している人が少なくないこと、命の意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、
社会の隅にいる人が、決して少なくないことに気づかされました。家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支え合い、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追い求める過剰な競争によって、ますます損なわれています。多くの人が、当惑し不安を感じています。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされているのです。

 力づける香油のごとく、主のことばが鳴り響きます。思い煩うことなく、信頼しなさい、と。主は三度にわたって繰り返して仰せになります。「自分のいのちのことで思い悩むな、……明日のことまで思い悩むな」(マタイ福音書 6章25節、31節、34節参照」。

 これは、「周りで起きていることに関心をもつな」という意味でも、「自分の務めや日々の責任に対していい加減でいなさい」という意味でも、言っておられるのではありません。そうではなく、「意味のあるより広い展望に心を開くことを優先して、そこに主と同じ方向に目を向けるための余地を作りなさい」という励ましなのです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6福音書6章33節)。

 主は、「食料や衣服といった必需品が大切でない」とおっしゃっているのではありません。それよりも、私たちの日々の選択について振り返るよう招いておられるのです。何として
でも成功を、しかも命を賭けてまで成功を追求することにとらわれ、孤立してしまわないようにです。

 世俗の姿勢は,この世での己の利益や利潤のみを追い求めます。利己主義は個人の幸せを主張しますが、実は、巧妙に私たちを不幸にし、奴隷にします。そのうえ、真に調和のある人間的な社会の発展を阻むのです。

 孤立し、閉ざされ、息ができずにいる私に抗しうるものは、分かち合い、祝い合い、交わる私たち-これしかありません(「一般謁見講話(2019 年 2 月 13 日)」参照)。主
のこの招きは、私たちに次のことを思い出させてくれます。「必要なのは、『私たちの現実は与えられたものであり、この自由さえも恵みとして受け取ったものだ、ということ
を、歓喜のうちに認めることです。それは今日の、自分のものは自力で獲得するとか、自らの発意と自由意志の結果だと思い込む世界では難しいことです』」(使徒的勧告『喜びに喜べ』55)。

 それゆえ、第一朗読において、聖書は私たちに思い起こさせます。命と美に満ちているこの世界は、何よりも、私たちに先立って存在される、創造主からの素晴らしい贈り物であることを。「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それはきわめてよかった」(創世記 1章31節)。与えられた美と善は、それを分かち合い、他者に差し
出すためのものです。私たちはこの世界の主人でも所有者でもなく、あの創造的な夢に与る者なのです。「私たちが、自分たち自身のいのちを真に気遣い、自然との関わりをも真に気遣うことは、友愛、正義、他者への誠実と不可分の関係にある」(回勅『ラウダート・シ』70)のです。

 この現実を前に、キリスト者の共同体として、私たちは、すべての命を守り、証しするよう招かれています。知恵と勇気をもって、無償性と思いやり、寛大さと素直に耳を傾ける姿勢、それらに特徴づけられる証しです。それは、実際に目前にある命を抱擁し、受け入れる態度です。「そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、そして少なからず見られる、矛盾やくだらなさをもすべてそのまま」(「ワールドユースデーパナマ大会の前晩の祈りでの講話(2019 年 1 月 26 日」)引き受けるのです。

 私たちは、この教えを推し進める共同体となるよう招かれています。つまり、「完全でもなく、純粋でも洗練されてもいなくても、愛をかけるに値しない、と思ったとしても、まるごと全てを受け入れるのです。障害をもつ人や弱い人は、愛するに値しないのですか。よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか。イエスは、重い皮膚病の人、目の見えない人、からだの不自由な人を抱きしめました。ファリサイ派の人や罪人をその腕で包んでくださいました。十字架にかけられた盗人すらも腕に抱き、ご自分を十字架刑に処した人々さえも赦されたのです」(同)。

 命の福音を告げるということは、共同体として私たちを駆り立て、私たちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある「野戦病院」となることです。キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です。善意あるすべての人と、また、異なる宗教を信じる人々と、絶えざる協力と対話を重ねつつ、主に結ばれるなら、私たちは、すべての命を、よりいっそう守り世話する、社会の預言的パン種となれるでしょう。

 

2019年11月25日

♰「孤独の奴隷-霊的貧困との闘いは、皆に課せられた挑戦 」青年たちとの集いで

 訪日中の教皇フランシスコは25日朝、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、青年たちとの集いを行われた。

 集いでは、3人の代表が、今日の日本社会で青年はどう神と出会い生きて行くべきか、若者たちが自分のよさに気付くようどう寄り添うべきか、また外国籍を持って生活することの喜びや苦しみ、いじめや差別の問題などをテーマに発表し、今日の日本の青年たちが抱える現実と苦悩に光を当てながら、教皇に助言を求めた。

 これに答える形で、教皇はこの日のために準備された講話に、さらなる励ましや、時には冗談を織り交ぜながら、若者たちに語りかけられた。

*若者の文化的・宗教的多様性こそ、未来に手渡せる素晴らしさ

 「今日の日本に生きる若者における文化的・宗教的な多様性」をご覧になった教皇は、「それこそが、この世代が未来に手渡せる素晴らしさです」と述べられ、「人類家族に必要なのは、皆の同一化ではなく、共存を学ぶこと、友情をはぐくみ、他者の不安に関心を寄せ、異なる経験や見方を尊重すること」と話された。

*「いじめの文化」には皆で力を合わせ「だめ」と言おう

 いじめと差別に苦しんだ一人の発表者の経験に、「いじめの被害者が『自分は弱い』『価値がない』と自身を責めることも珍しくありませんが、実はいじめる側こそ、本当は弱虫であり、『他者を傷つけることで、自分のアイデンティティを肯定できる』と考えている」と答えられ、「違いを脅威に思い、自分と違うとみれば攻撃する… いじめる人たちは、本人自身がおびえており、見せかけの強さを装っているのです」と話された。

 そして、「『いじめの文化』に対しては、力を合わせて、はっきり『だめ』という必要があります… この”疫病”に対する最良の薬は、皆さん自身。友人や仲間同士で「絶対だめ」「それは間違っている」と言わねばなりません」と強調された。

 「愛と平和の敵である『恐れ』は、常に善の敵です… イエスは弟子たちに『恐れることはない』と言われましたが、それは神を愛し、兄弟姉妹を愛するなら、その愛は恐れを締め出すからです」と説かれ、「イエスの生き方に私たちは慰めを得るはずです… イエスご自身も、侮蔑され、拒絶され、十字架につけられる意味を知っておられました」と話された。そして、他とは「違う」者である意味を、身をもって味わわれたイエスこそ、ある意味で、最も「隅に追いやられた人」だったが、「与えるための命に満ちていました」と語られた。

*他者のための、神のための時間を作ろう

 また教皇は「持っていないことに目を留めるより、自分が与え、差し出すことのできる命を見いだすことが重要」とされ、「他者のために時間を割き、耳を傾け、共感することで初めて、自分のこれまでの人生と傷から、自身を新たにし、周囲の世界を変えることができる愛に向かって進み出せるのです」と話された。また、「家族や友人のために時間を取ると同時に、神のための時間を作ることの大切さ」を示された。

 また教皇は、「人間や社会が外的に高度に発展しても、内的生活は貧しく、熱意も活力も失っていることがよくあります」とされ、「特に、世界には、物質的には豊かでも、『孤独の奴隷』となっている人が多い」と指摘。「孤独と『愛されていない』という思いこそが、最も恐ろしい『貧困』だ」というマザー・テレサの言葉を思い起こされ、「霊的な貧困との闘いは、私たち皆に課せられた挑戦」と語られた。

 そして、「私たちにとって最も重要なことは、『何を手にしたか』『手にできるか』ではなく、それを『誰と共有するのか』です。物も大切ですが、人間は『欠けてはならない存在』… あなたが存在しているのは神のためであることは間違いありませんが、神はあなたに『他者のためにも存在して欲しいと』望んでおられます。神はあなたの中に、沢山の賜物、カリスマを置かれましたが、それらは『あなたのため』というよりも、『他者のため』なのです」と話された。

*『魂の自撮りカメラ』はいらない、自分の中にこもらず他の人の所へ

 教皇は、「社会において友情が可能であることの『証し人』となるように。攻撃や軽蔑ではなく、他者のもつ豊かさを評価することを学ぶように」と彼らを励まされた。

 また、発表者の「自分の良さや勇気に気づくには、どのような助けを与えたらよいのでしょうか」との問いには「自分らしさや持ち味を知るためには鏡を見ても仕方がありません。幸い今のところ『魂の自撮りカメラ』はありませんが、幸せになるには、手伝ってもらい、『写真を誰かに撮ってもらう』必要があります。そのためには、『自分の中にこもらず、他の人、特に最も困窮している人の所へ出向いていくことです」と答えられた。

 最後にと教皇は、「日本は若者を必要としており、世界もまた、自覚のある、寛大で、明るく情熱的な、『全ての人のための家を建てる力』をもった若者を必要としてます」と訴えられ、「若者たちが霊的な知恵をはぐくみ、人生において、本当の幸せへの道を見つけることができるように」と祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年11月25日

・教皇、天皇陛下と皇居で会見

天皇陛下と皇居で会見する教皇フランシスコ 2019年11月25日天皇陛下と皇居で会見する教皇フランシスコ 2019年11月25日  (AFP or licensors)

(2019.11.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、11月25日午前11時、皇居に天皇陛下を訪問された。

 宮殿の南車寄せに到着した教皇は、お出迎えになった天皇陛下と笑顔で握手を交わされた。続いて、宮殿・竹の間で、天皇陛下と教皇の懇談が行われた。

およそ20分にわたる会見後、教皇はなごやかに挨拶を交換されながら、天皇陛下のお見送りを受け、皇居を後にされた。

2019年11月25日

・「日本人の魂をもってすれば完全な復興は必ず果たせる」教皇、東日本大震災被災者との集いで

(2019.11.25 バチカン放送)

 25日、訪日三日目を迎えた教皇フランシスコは、同日朝、都内のベルサール半蔵門で東日本大震災被災者との集いを持たれた。

 集いには、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波、その影響で起きた福島第一原子力発電所事故による被害者たちが参加し、教皇は被災者の代表一人ひとりの手を取り、耳を傾け、励まされた。この後、3人の被災者が、それぞれの体験を通して、災害がもたらしたもの、自分や家族や共同体に与えた影響、困難の中を歩みながら得た思い、未来を見つめる視点を語った。

 3人の話を聞いた後、教皇は講話の初めに、地震、津波、原発事故の三つの災害によって言い表せない辛い思いを体験した、すべての人を代表し、大勢の人が被った悲しみと痛み、よりよい未来に広がる希望を伝えてくれた被災者代表たちに感謝を述べられた。そして、1万8千人に上る犠牲者、そして遺族、行方不明者のために、参加者と共に沈黙の祈りを捧げられた。

 災害地域の復興に取り組み、現在も仮設住宅に避難し自宅に帰ることができない多くの人々の境遇改善に努める、地方自治体や諸団体、人々の尽力に感謝され、災害直後に迅速に動き、被災者を支えた、日本や世界中の多くの人に感謝された。そして、この集いが「被災者の方々が引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなる」ように希望された。

 教皇は「一人で『復興』できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません」と語り、「市や町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる人々との出会いが欠かせません」と話された。そして「三つの大災害から8年。日本の方々は、連帯し、根気強く、不屈さをもって、一致団結できる人々であることを示してきました」と述べ、「完全な復興までの先は長くとも、助け合い、頼り合うために一致できる日本の人々の魂をもってすれば、必ず果たすことができます」と激励された。

 また教皇は「私たちは、この地球の一部、環境の一部です」として、「天然資源の使用、特に将来のエネルギー源に関して、勇気ある決断をすること、無関心と闘う力のある文化を作るため、働き、歩むことを、最初の一歩とするように」と促された。

 そして、福島第一原子力発電所の事故とその余波を思い起こされた教皇は、「科学的・医学的な懸念はもとより、社会構造の回復という大きな課題」を指摘。「地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されません」と述べられた。

 関連して教皇は、日本の司教たちが原子力の継続的な使用に対する懸念を指摘し、原子力発電所の廃止を求めたことに言及され、「技術の進歩を人間の進歩の尺度にしたい」という今日の誘惑を前に「ここで立ち止まり、振り返ることの大切さ」を示された。

 さらに、「私たちは何者なのか、できれば批判的な目をもって、どのような者になりたいのか、どのような世界を残したいのかを省みることが必要です」と話され、「私たちには未来の世代に対して大きな責任がある、ということに気づかねばなりません」として、「控えめで慎ましい生き方、向き合うべき緊急事態に気づく生き方」を選択するよう促された。

 そして、「未来のための新たな道は、一人ひとりと自然界とを大切にする心に基づく道… この道において、私たちは皆、神の道具として、被造界を世話するために、それぞれの文化や経験、自発性や才能に応じた協力ができるのです」と強調された。

 最後に、教皇は「三大災害後の復興と再建の継続には、多くの手と多くの心を、一致させねばなりません」と話され、飾らない姿勢で被災者の重荷をやわらげるために献身したすべての人々に、教皇は賛美と感謝を示しながら、こうした思いやりが、すべての人が未来に希望と安定と安心を得るための、歩むべき道のりとなっていくことを祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年11月25日