・菊地大司教の日記(52)二つの修道誓願式、そして訃報…

2019年11月 6日 (水)

二つの修道誓願式

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 10月には、新潟教会での堅信式、あきる野教会、大森教会、高輪教会などで堅信式を行いました。日記更新が滞っていたため、それぞれに日記で触れることができずに申し訳ありません。

 そんな中、10月中の土曜日に、二つの女子修道会で初誓願式がありました。ひとつは10月5日のお告げのフランシスコ修道会、もう一つは10月26日の聖ヨハネ布教修道女会。前者は大田1901区久が原の同会修道院で、後者は聖ヨハネ会が運営に関わる桜町病院のある小金井教会聖堂で、それぞれの修道会でお一人ずつの方が初誓願を宣立され、さらに先輩の修道女の方々が、それぞれの会で修道誓願の銀祝、金祝、ダイアモンド祝を祝われました。

 新たに誓願を宣立されたお二人、節目の年を祝われた先輩シスター方に、心からお祝いを申し上げます。

 修道誓願を新たに宣立する会員が誕生することは、一人修道会にとって仲間が増えたという喜びであるだけではなく、普遍教会全体にとって大きな喜びです。それは奉献生活が、その人個人の信仰生活のためだけではなく、教会にとって意味があることだからです。

 修道者は一体誰のために誓願を宣立するのか。そもそも修道生活は誰のためなのか。修道者は自分のために修道生活を営むのではありません。自分がより信仰を深め立派な宗教者になるためでもなく、自分だけがより神に近くにあるためでもなく、結局のところ、そして至極当たり前のことですが、修道者は神の民全体のために修道生活を営んでいます。神の民全体で、教会の本質的つとめがまんべんなく果たされるように、その固有の役割を果たしているのです。

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 教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「奉献生活」にこう記されています。

「奉献生活は、教会の1903使命の決定的な要素として教会のまさに中心に位置づけられます。奉献生活がこれまで教会にとって助けとなり支えとなってきただけでなく、神の民の現在と将来にとって貴重な欠かすことの出来ないたまものであるということです」。

 そして奉献生活者の存在の重要性を、こう指摘します。

「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です(104)」。

 新しく修道者としての道を歩み始めた方々を見ながら、一人でも多くのキリスト者がそこから信仰における希望を見いだし、自らもその模範に倣おうと決意をされることを祈ります。東京教区の共同体にとって、新たに二人の奉献生活者が加わったことは、大きな喜びであり信仰における希望です。

 

 

そして、新潟教区で二人の司祭が亡くなられた…

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 残念なお知らせです。カトリック新潟教区の司祭が、相次いでお二人亡くなられました。

 今年はすでに、5月と6月に相次いで70歳の主任司祭お二人を病気のために失いました。山頭神父と川崎神父ですが、この二日間でさらにお二人です。すでに引退されていたとはいえ、大先輩の司祭をさらに相次いで失ってしまいました。これで新潟教区司祭は12名となりました。

 11月5日の朝、かねてより入院加療中であったアシジのウランシスコ鎌田耕一郎神父が、肺炎のため帰天されました。91歳でありました。そして11月6日の朝、同じく入院加療中であったロベルト三崎良次神父が、帰天されました。87歳でありました。

 鎌田神父様は現場の司牧に最後までこだわられた方で、幼稚園教育にも力を入れ、3年前に高齢で引退されるまで、幼稚園園長や主任司祭を務められました。

 三崎神父様は10数年ほど前に体調を崩され、わたしが新潟に来てからは、新潟教会内に住まわれて、協力司祭としてミサの手伝いや勉強会などのために働いておられました。今年、司祭叙階金祝をお祝いしたばかりでした。Kamata2005

 新しい司教館が2014年に完成してからは、新潟教会と司教館の間にあるビアンネ館の一階が改装されて、引退した司祭の住居となっていますが、この数年は鎌田神父も三崎神父も一緒にそこに住まわれて、司教館で食事も一緒にしておられました。

 大先輩の司祭を相次いで失い、言葉もありません。お二人のこれまでの司祭としての働きに神様が豊かな報いを与え、永遠の安息のうちに憩わせてくださいますように。

 お二人の通夜は11月7日(木)18時、葬儀は11月8日(金)11時、新潟教会で行われます。わたしは葬儀ミサを司式させていただく予定です。

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 一番上の写真は、7月に三崎神父の金祝をお祝いしたときの司祭団の食事会でのお二人(向かって左が三崎神父、中央が鎌田神父。右端は、町田神父)。その次が、10年ほど前の鎌田神父のクリスマス会での定番の七面鳥係姿。そして最後が、三崎神父の金祝を祝って司祭団で捧げたミサの写真です。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教、新潟教区長兼務 「司教の日記」より)

2019年11月6日

・Sr.阿部のバンコク通信 ㊲入れ墨だらけの外国の青年が隣に座って…

    タイ国は近隣諸国に陸路で繋がり、首都バンコクは世界の中継分岐点。国家成長戦略として観光政策を打ち出してから60余年、都心は諸国の人々が往来する国際銀座、高層ビルが立ち並ぶ大都会です。谷間には問題の渦、悲しみと苦しみ、でも喜びと希望もいっぱいです。

 先日、トンロー街の道端の椅子に掛けて、友人と人を待っていました。約束の時間になっても姿が見えないので、友人は席を立ち、角まで探しに… 空いた私の隣の席に、入れ替わり誰かが座りました。上半身裸で刺青だらけ、短パン姿の背の高い20代半ばの外国の青年でした。

 じっと私を見つめ、絞り出す様な声で“心が壊れた“と英語で。見る見る目の周りが赤くなり、大粒の涙がポトポト、手で心が壊れた仕草と小さく十字架の印をしながら…。私は肩に手をかけ、師イエス様の慈しみが染み込むように祈りの気を、そしていつも使っている大粒のオリーブの種のロザリオを「マリア様が助けてくださる、大丈夫」と渡しました。大きな図体で子供の様に泣いている目、美しく澄んでいました。

 友人が刺青の青年を見て「一筋違えた場所で待ち、あのベンチに座らなければ出会えなかったのよね。私の席に座っちゃって!シスターのロザリオ、立ち止まってじっとに見てましたよ」と友人。

 今日も予想もしない神の摂理が、何気ない事を通して確かに働いている、壊れた青年の心に神の愛しみ溢れるほどにと合掌。 Deo gratias!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2019年11月4日

・ある主任司祭の回想・迷想 ②外国人信徒は”お客さん”のままでいいのか、司牧をどうするか

  私がまだ神学生の頃でした。教会史の授業の折、先生が全員に向かって尋ねました。「 Bonum commune ってどういう意味だかわかるか?」

 何も知らなかった私は「善い共同体って意味でしょうか?」と問い返しました。

 すると先生は「まあ、神学生のうちはそんなもんだろ」と笑っていました。そのあと「よく覚えとけ、これは『共通善』って訳すんだよ」と教えてくれましたが、このキーワードが、広い世界の中で多様な価値観を包括するカトリック教会にとってかなり重要な概念だ、ということを、後にヒシヒシと感じさせられることになるのです。

 「あの人たち」と「この人たち」、「日本人信徒」と「外国人信徒」、どちらがどれくらい片方を上回っているかによって、その先に進む選択肢は違ってきますが、双方が互いに意識できるほどに対比可能な状況において、どのようなことがその場における「共通善」であるのか? とても難しい問題です。

 「歩み寄り」や「壁を乗り越えて」というのは確かにいかなるときにも当てはまる正論です。しかし、人には「心」があり、正論だけでは具体的な行動が引き出せないことも多々あります。正論と同時に「然り」と頷けるリアリティーが必要なのです。

 しかし、こんにち上述の問題を益々複雑にする事態が起きており、それが司祭によって起こされてしまっている感があるので、その顕著な例をこれからお話しいたします。

 前回に引き続き、ここでは外国人司牧について触れたいのですが、先ず、その外国人司牧のために彼らの母国から派遣されて日本に来る司祭たちがいます。これを知って欲しいのです。

 その神父様方は、都内では主に「カトリック東京国際センター」の仕事にあたります。彼らは直接には「宣教師というわけではない」ので、日本語があまりできなくても問題ではなく(もちろん出来る人が多いが)、それとは異なり「宣教師としてたまたま外国人司牧にあたる」神父様の場合、その本分は宣教地日本における宣教活動なので、この両者の立場が根本的に違います。

 しかし、教区自体がこれを見誤ったり、「便利だから」と曖昧にしたままでいると、宣教会の司祭たちの気分を害したり、逆に日本語のできるセンターの司祭を日本人司牧に関わらせようとしたりするので、混乱が生じます。そして次の状況が生じてしまうのです。

 宣教師であっても、何故か自ら好んで母国の人たちを相手とし、小教区主任司祭なのか、国際センターから派遣された司祭なのか、宣教師本人も判断が不明確になり、成り行きに流されたまま、結果的に日本語も来日当時と同レベルとしか思えないほど上達しないのです(むしろ下手になって行くようです)。

 宣教師は、いうまでもなく母国ではほとんど働かず(例外もあるが)、宣教地に派遣されます。それなのに宣教師でありながら宣教地で母国の人たちを相手に働き、それを優先してしまう。そういう任務も兼ねているならともかく(また止むを得ず必然性に迫られてならともかく)、そのような宣教師が司教から小教区主任司祭に任命されるとしたら、その小教区が混乱するのは当然です。

 (その宣教師が)あえてそうしたいなら、司教と相談し、正式にセンターと契約した方がいい。そもそも、こうした職務の曖昧さは、彼らのアイデンティティーにも関わるはずなのです。

 かつて私は外国人の多い地域を担当しましたが、よく、宣教師たちに外国語のミサのお願いをしていました。しかし、彼らは「宣教師」ですから、「外国語のミサだけの依頼なら受けられません」とキッパリと断ります。はっきりしています。当然です。なので「日本語のミサと両方お願いするかたち」で引き受けてもらうことがほとんどでしたし、それは普通にそのはずです(国際センターから臨時で頼まれた場合にはまた違うとは思いますが)。

 今や宣教師は洗礼数の増加だけを目的に来日するわけではないし、どちらかといえば「交わりの教会」という面や、また「宣教地の福音化のため」であることが強調されます。ともあれ、わざわざ日本まで来て、せっかく身につけた日本語や日本についての知識を投げ捨てて、母国の信徒たちを相手にした活動を本来の任命以上に優先するというのは、いかがなものでしょう。

 小教区における外国人司牧は、異なる文化の衝突を恐れず、彼らを日本の教会の一員として受け入れることが模索され、それに心を向けることが小教区主任司祭が担う外国人司牧の基本ではないでしょうか。

 実際、定住組の外国人信徒の側から「日本の教会のためにもっと何かしたい」という思いを聞かされることが、実に多いのです。でも、放っておけば例え定住組の外国人でも、自分の教会、すなわちその人の母教会(所属教会)は定まらないまま、かえっていつまでも根無し草の状態で、お子さんたちの初聖体や堅信の手続きに手こずったり、それを諦めたり、また休暇で母国へ帰省した時を利用してなんとかするなど、要するに定住組でありながら、いつまでもお客さん扱いされてしまうのです。

 お客さんのままでいたい人はそれでいいのかもしれませんが、そうでない人がどんなに寂しい思いをしていることか、と考えると結構、深刻な問題です。動機としては善意からであっても、司祭の側がこの一連の状況をこんにち牽引することになろうとは…。

(日読みの下僕「教会の共通善について」より)

2019年10月31日

・「教区の中心から離れていても、分かりやすく、公平な記事に信徒として励まされる」ー愛読者の投稿より

 いつも豊富で速い情報や見解に触れさせていただき、ありがとうございます。和歌山の南の果て、新宮で暮らす信徒(所属は和歌山市の教会)です。

 1年ほど前から毎週、当サイトを楽しく、真剣に、拝見させて貰っております。こちらばかりが一方的に情報を得ているなか、今回のアンケートを見付けまして、日頃の御礼と感謝の気持ちを述べたいな、と書かせていただいた次第です。ご笑覧いただけますと幸いです。

 仕事の関係で、教区の中心から(とっても)離れた所で3年半ほど、TVも無く、ネットもあまり活用しないで、熊野古道や海辺など自然のなかに身を置いてものを考える時間や、苦手な読書も少しずつ始めるなど、生活が変わって新たに得られる気付きや喜びがたくさんあって、最初は教区の動向などの情報が減って寂しい気もしていましたが、多忙のなかも楽しくのんびりと過ごせています。

 昨秋、教会の知人から使徒的勧告「喜びに喜べ」を勧められて手に取ったのが、このHPと出会うきっかけでした。ぼくの知識ではサッパリわからず、日本語の意味すらわからない、という状態から、ふとネットで幾つかのワードを検索しているうちに、いつの間にか当サイトに辿り着いておりました。

 そこにはぼくにもわかる訳や解説があり、また、英文まで添えてくれてありましたので、より理解しやすくなりました。と同時に、教皇のご意向が少しでもわかると、人間て面白いものですよね。もっと知りたいな、となってしまって、そしたら当サイトにもドッサリ掲載されていて。…ということで、今に至っております。

 近年、グローバル化に合わせて「外向きの教会」とよく聞きますけれど、実際は逆に「内向き」となっている感じもして複雑で、でも自分ではその打開策を見出せず… そんな時に、信徒ではない方にもわかりやすく、公平な立場で書かれた記事が多い当サイトは、信徒としてとても励みになっています。知人にもこのサイトの存在を共有させて貰っています。

 アンケートにも同じようなことを書いてしまってますが、とにかく感謝の気持ちと、それに応えられるよう、教皇が批判されている「消費至上主義」のように当サイトを利用してしまわないよう、これからも歩んでいきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつもたくさんの「ヒント」を受け取らせていただきまして、ほんとうにありがとうございます。

 当サイトが広く愛され、末永く続くことを願っております。

(和歌山在住のザアカイさんより)

2019年10月31日

・三輪先生の時々の思い ⑪権力の座が男性に与える魅力と危険性

 たしか数日前のNewYorkTimes、アメリカ大統領トランプ氏が民主党が連邦議会に諮る弾劾決議に関して、「トランプがなぜ欠陥だらけに見えても、それなりのも区民的支持を維持できているのか」について、心理学的というか、一応の説得力のある論説を載せていた。昨日10月29日付けの日本経済新聞にも、トランプ氏の権力基盤について、似たような記事があった。

 ”Sovereign masculinity”-学界でどのような日本語になっているのか、詳らかでないが、「最高権力者なるがゆえに体現して見える、並び無き魅力的な男らしさ」とても言おうか。それがアメリカ大統領の責務をトランプに付与している権力基盤、つまり、超法規的な権力の根源だ、と言う。

 男性特有の暴力的言動すらが、「男性ホルモン、テストステロンの一大効果」の一つである「即断即決」ゆえに是認され、拍手で迎えられたりする、と言うのである。

 中国との貿易摩擦においても、「強硬」な姿勢こそが、トランプ氏の人気に貢献する。これが彼の”Sovereign masculinity”として大衆に迎えられ、アメリカの民主主義政治は運行されている、と見ることができるのだ。

 ムッソリーニは「大衆は羊の群れである」と言った。差し当たって、今すぐアメリカ合衆国がどうなる、というのではない。言いたいことは、一介の政治家であろうとも、最高権力の座に登り詰めれば、風の吹き回しで、とんでもない独裁者になってしまうかもしれない、ということだけである。

(2019.10.31記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

2019年10月31日

・Sr.岡のマリアの風 ㊹あまりにも悲しい、訪問したばかりの首里城本殿全焼

 日韓の女子修道女会総長会(10月28日~11月1日)の手伝いで、沖縄に来ています。わたしたちは、まさに昨日訪れたばかりの首里城の火災、本殿など全焼のニュースに唖然としています。悲しいです。県外から来たわたしたちでさえ、こんなに悲しいのだから、地元の方たちの悲しみは、どれほどだろうと思います。

 昨日、ガイドしてくださった下地さん(平和ネットワークガイド)が「沖縄の伝統的な建物や踊りは、ただ過去のものではない。先人たちがそこに『心』を宿して、継承してくださったものです」と話してくださって、心を打たれたことを思い出しました。琉球王国の身分の高い人たちが、海を渡って旅をする前に、「使命を無事に果たして帰ることが出来るように」と拝みに来た場所には、今でも、子や孫たちの安全を祈願するために、おじいちゃん、おばあちゃんが拝みに来るそうです。

 首里城の場所には(1)琉球王国の王都(2)日本軍司令部(3)琉球大学(4)(大学移転後)復元・再建された首里城…という、四つの歴史がある、と下地さんが話してくださいました。「世界遺産」は、建物それ自身ではなく(最近、復元されたものなので)、復元を可能にした、発見された「礎石」(首里城が建っていた場所を特定できた)です。

 火災の後も、礎石は残っていると信じます。「本土」から搾取され、差別され続けてきた沖縄の人たちは、きっとまた、自分たちのアイデンティティーの象徴として、首里城を再建するでしょう。わたしたちも、何らかの形で協力しなければ、と感じます。

 長くなりました。あまりにショックだったので…

 祈りつつ

2019年10月31日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㊱「闘病記文庫」へようこそ

 歌手の堀ちえみさんが10月に刊行された闘病記『Stage For~舌がん「ステージ4」から希望のステージへ』(扶桑社)が話題を集めている。私自身も、舞台で活躍するお笑い芸人や演歌歌手らが病と向き合う小説『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』(講談社)を9月に上梓したばかりだったこともあり、不思議なめぐり合わせを感じた。

 堀ちえみさんの著作に限らず、病を抱える人が体験をつづった闘病記は、数多くの患者や医療関係者の心のよりどころになる――と改めて注目を浴びている。各地の公共図書館でも手にしやすくなり、自分にあった本を探す手立ても整備されている。

 日本文学の中で闘病記は、確立した一つのジャンルだと言える。明治期から

昭和のはじめに至るまで、結核などの感染症に倒れた若き文学者らの手で、数多くの作品が主として私小説の形で生み出された。1980年代以降は、医療機関でがんの告知が進み始めたことを受け、市井の人々の作も含めて、がんの闘病記の刊行が急増したという。そのいくつかを手に取ると、治療の選択肢や、病気との共生、家族の絆など、さまざまな視点から作品がつづられている。

 ところで闘病記は、図書の分類上、一つの独立したカテゴリーを与えられていない。これに、本のタイトルだけでは闘病記と判断されにくいという傾向も加わり、まったく同じ闘病記が、図書館や書店によって、「文学」「ノンフィクション」「エッセイ」「医療」など異なる書棚に分かれてしまいがちだ。結果的に闘病記は、「読んでみたいが、探すのが難しい」と言われてきた。大手出版社でなく自費出版で刊行されるケースが多いことも、一般の読者の手に届きにくいという弱点だった。

 そんな状況に明かりを灯してくれたのは、東京都立中央図書館(港区南麻布)だ。同館は2005年に全国で初めての「闘病記文庫」を設け、図書分類の垣根を超えて関連する本を一つのコーナーに並べる試みを始めた。現在では、約260疾病にわたる約900冊の闘病記を館内に並べている。

 都立中央図書館の挑戦は、西日本へも広がった。鳥取県立図書館(鳥取市)も2006年に闘病記文庫を開設。現在では900冊以上の関連書籍を整えているという。その後も、大阪府立大図書館(羽曳野キャンパス)、大阪厚生年金病院(大阪市)、奈良県立医大付属図書館(奈良県橿原市)、奈良県立図書情報館(奈良市)などで同様の動きがあったという。

 首都圏は都立中央図書館の文庫が先駆的かつ中核的な存在だが、インターネット上で闘病記の検索を支援するシステムの発信地ともなっている。画面に現れる仮想の本棚に約700冊分の闘病記を分類して紹介する「闘病記ライブラリー」(http://toubyoki.info/index.html)は、表紙のイメージや目次などの情報、貸し出しサイトへのリンクもあって便利に使える。

 聖路加国際大学は、「るかなび闘病記文庫ブックリスト」(闘病記は約1600冊分)をネット上で公開し、実際に本を読んだ学生や教職員が内容を150字で紹介し、市民が手に取りやすいようにしている。大田区立蒲田駅前図書館のように、闘病記を含めた関係書籍を「医療・介護情報コーナー」として館内の目立つ場所に展示・公開する取り組みもある。

 これらの作品群から学べるのは、病気の知識や医療情報というより、<病気になっても、いかに生きるか>を考えさせてくれる知恵と勇気だ。まさに読書がもたらす大きな力だと言える。秋の読書週間の一日、お近くの図書館に闘病記文庫があるかどうか、チェックしてみてはいかがだろう。

(みなみきょうこ・医師、作家: 末期がんや白血病、フレイル……病に負けず舞台を目指す人たちと女性医師の挑戦を描いた物語『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』を9月17日に講談社から刊行しました。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=、クレーム集中病院を舞台に医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中です)

2019年10月31日

・地域社会に溶け込み、他宗教と連携して歩む姿に、日本の教会の進むべき道を見た-天草・崎津教会で450年祭

 天草の河内浦(現在の熊本県天草市河浦町)にキリスト教が伝えられて450年を祝う祭が10月27日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に昨年登録された同町の「崎津集落」にある崎津教会で行われ、天草全域はじめ、域外からも私たち夫婦など東京、大阪、静岡、福岡の信徒13人の竹田・島原・天草巡礼団(トラベリオ企画)が参加した。

 その模様は、翌日の熊本日日新聞や読売新聞など全国紙の九州版にも写真入りで大きく取り上げられ、信徒に限らず、幅広い人々の関心を集めた。

 イエズス会士、聖フランシスコ・ザビエルによって1549年に日本へキリスト教が伝えらえたあと、天草では1566年に同会のルイス・デ・アルメイダ修道士が1566年に宣教を開始。3年後に河内浦にキリスト教をもたらし、キリストの教えだけでなく、西欧の医療、文化などを伝えた。そして当時の天草氏の庇護のもとに信徒を増やし、江戸幕府による禁教令とそれを受けた藩の厳しい取り締まりの中にあっても、地域の仏教、神道と共存、変容しつつ、潜伏キリシタンとして生き続けた、という歴史がある。

 450年祭は、天草の崎津、大江、本渡の3教会(渡辺隆義・主任司祭)の共同主催で行われ、午前9時半から、300人近い信者たちが参加、福岡コレジオの森山信三・院長の司式で記念ミサを捧げた後、聖体行列に移り、聖体を納めた金色に輝く顕示台を掲げた司祭団、マリア像を担ぐ福岡コレジオの生徒たちを中心に、祈りをささげながら、約一時間かけで集落内を巡った。このあと、記念コンサート、天草キリシタン研究家の講演、さらに、この地域にある江月院から副住職、崎津諏訪神社から権禰宜が出席して「神道・仏教・キリスト教の対話」が渡辺神父の司会で行われた。

 記念祭のあいさつで、渡辺主任司祭は「この記念祭を通して、アルメイダ修道士がこの地にもたらしたキリスト教信仰が、今の私たちの信仰と同じものであることを確認し、当時の宣教師が求めていた人々の平安のために、私たちも、少しでも役立つ決意を新たにしたい」と語った。

 また、森山院長はミサの説教で「ザビエルの来日から幕府の禁教令までの5,60年の間にキリスト教文化が日本で花開いた。医師とし

ての専門技能を持つアルメイダは、貿易商として1550年代に来日し、宣教師の影響を受けて、病院建設、医師養成などを通して西欧の当時の先進医療を伝え、崎津では1000人を信徒とした。その後、キリシタンへの迫害が激しくなり、まさにこの崎津教会が断っている場所で、踏み絵が行われた、という。それでも潜伏キリシタンとして、信仰を続けたことを感嘆せざるを得ない。教皇フランシスコは、就任されて以来、一貫して貧しい人、世に見捨てられた人に手を差し伸べるよう訴えてこられ、ご自身もそのように行動されているが、天草で始まったキリスト教信仰は、まさに、教皇が発信されていること。そのことは、私たちにも、そうしたメッセージを社会に向けて発信していくことの意味を示唆している」と述べた。

 「キリシタンの島」と言われる天草諸島は面積約1000平方キロメートル、人口は約12万人だが、カトリック教会は崎津、大江、本渡の三つの教会で、信徒数は約450人。ご多分に漏れず、少子高齢化が進み、幼児洗礼はゼロ、新規受洗者も年に2,3人という。そして、司祭は御年71歳の渡辺神父ただ一人で三つの教会を掛け持っておられる。それでも、450年祭には、これほど多くの信者が集まり、僧侶や神主も司祭の呼びかけに応じて、進んで対話に出席してくれる。聖体行列の「花まき」には、洗礼を受けていない崎津保育園の園児十数人が嬉々としてその役を務めてくれていた。

 世界文化遺産登録で、観光客を当て込んだ飲食店や土産物店が出来、公園や道路も整備されて「以前の素朴な集落の良さがなくなった」と嘆く声も、以前を知る人の一部には聞かれたが、少子高齢問題などを抱えた地域社会に溶け込み、他宗教とも連携して歩む姿に、これからの日本の教会のあり方を見たのは、私だけではなかっただろう。

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

2019年10月29日

・Sr.石野の思い出あれこれ ⑯戦火の後も生々しいお屋敷跡に新修道院建設、まず瓦礫のかたずけ

 修道服についてだけではなく、カトリック教会に大変革をもたらした第二ヴァチカン公会議について話すのはまだ早すぎるーということで、今までの続きに戻ることにしよう。

 「尼さん」だの、「童貞さま」だの、「シスター」などと呼ばれながら、朝起きてから夜寝るまで、お祈りやプロパガンダ、お勉強、リクレーションと充実した日々が続いた。そのうち、一人また一人と、修道会への入会志願者が増え、阿佐ヶ谷の家も手狭になってきた。イタリア人のシスターたちは、新しい修道院を建てるための土地探しを始めた

 ある日、パオロ神父様の運転する自動車で土地探しをしている途中、自動車が故障してしまった。自動車の修理が終わるのを待つ間シスターたちは近くを散歩していた。すると、広い空き地が目の前に広がった。立派な家が建っていただろう、と想像できるその土地は、戦火の跡も生々しく荒れ果てていた。

 それから話がどのように進展していったのか、私たちは詳細を知ることなく、その土地が新しい修道院の建設予定地になった、と教えられたー東京都港区赤坂乃木坂。現在修道院が建っているところである。

 修道院新設が決まると、私たちは一日の働きや祈りの日課が終わり、夕食を済ませると、阿佐ヶ谷の修道院から乃木坂の新修道院建設予定地までジープで通った。焼け跡にごろごろしている瓦礫運びをするためだった。

 今思えば、私たちの働きなんか「焼石に水」に過ぎなかったのだが、たとえわずかではあっても私たちの汗と努力と愛、その上に今、私たちが住んでいる修道院が建っている-と思うと、身が引き締まる感がする。

 将来の修道院の夢を見ながら、夜遅くまで働いた。でも辛いと思ったことは一度もなかった。一日も終わり、お布団に体を横たえ、静かに目を閉じると、疲れと感謝がどっとこみあげてきた。

 「今日もこんなに疲れるまで、元気に頑張ることができました。神さま、今日も力と勇気と喜びをお与えくださり、感謝します」-そんな祈りのうちに大きな希望と理想に胸を膨らませ、豊かに成長した明日の聖パウロ女子修道会を夢見ながら、安らかな眠りについた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2019年10月29日

・「教皇フランシスコの挑戦-闇から光へ」が新装版で春秋社から再刊されました

(2019.10.23 カトリック・あい)

 春秋社より、「教皇フランシスコの挑戦 闇から光へ」(ポール・バレリー/著 南條俊二/訳)新装版が10月中旬に再刊されました。教皇来日の準備として、教皇の現在の活動の原点を改めて理解するのにお役立てください。

 

出版社名: 春秋社
出版年月: 2019年10月
ISBNコード:978-4-393-33378-54-393-33378-0
税込価格 2,750円
頁数・335P縦

おすすめコメント・・・・・・・新装版には、訳者の「新装版に寄せて」で教皇就任以来6年半の軌跡と若干の評価が追加されています。

 世界中の驚きと歓喜のうちに誕生した新教皇フランシスコ。だが、歓喜の光にはまた闇もつきまとう。カトリックの総本山バチカンの複雑怪奇な権力構造と山積するスキャンダル。アルゼンチンの軍事政権時代、管区長としてスラムで働く司祭2人を修道会から追放し、拷問部隊の餌食になることを許した疑惑。さまざまな関係者の思惑が渦巻くなかで、新教皇はカトリック教会を光へと導くことができるのか。英国のバチカン専門家で社会派のジャーナリストが、多角的なインタビューも含めて、教皇庁の内幕や世界情勢、アルゼンチンの国内政治を丹念に取材し、新教皇の半生と現在、今後に待ち受ける試練をドキュメント・タッチで描く。

2019年10月23日