・梅田君、君はよくやった-僕たちは君の死を無駄にしない-新幹線刺殺事件

 梅田君、君はよくやった。仕事を終え、あと何時間かで、奥さんのもとに帰ろうとしていた新幹線で、暴漢に襲われている女性を助けようとして、君は命を捧げた。その時、君はどんな気持ちだったろう。僕だったら… どうしただろう。見て見ぬふりをして、逃げたかもしれない。でも、君は、自分の安全を考えずに、体を動かした。心ないマスコミの報道も一部にあったようだが、そういう興味本位、あるいは善人ずらをした、無責任な記事を書いた者にも、自分ならどうしたか、一度考えてもらいたいものだ。

 僕は、君と同じ高校をずっと前に卒業した。当時は、まだ、山岳部などもあって、中学一年で入部し、T大進学などそっちのけで、体力作りに励み、山に登っていた。「山の男の十の掟」というのがあって、毎土曜日の部活の前に全員で唱えていた-我らは山岳を愛敬す、我らは心身ともに清かるべし… 我らは兄弟献身愛をもって助け合う…。山岳部は無くなったが、その心は、今も、この学校のキーワード―Men for Others, with Others( 他者のために、他者とともに生きる), Agure Contra( 逃げたい気持ちとたたかい、なすべきことに専念する) -などに引き継がれているように思う。

 十数年前、OB会が主催していた”先輩による社会学講義”とでもいう、高校一年生、二年生を対象にしたゼミの講師に招かれて、新聞記者としての経験や考えている事などについて話をしたことがあった。二年生はまあまともに話を聞いてくれて、質問などもしてくれたが、一年生は昼食直後だったこともあったのか、半数以上が居眠りしてしまい、「こんなふやけた態度で、仮にT大には入れても、まともな社会人になれるのだろうか」と不安に思ったのを覚えている。

 君はその世代かも知れない。あるいは、そのゼミに参加していたかもしれない。しかし、君は、決してふやけてなどいなかった。無謀だったかも知れない。しかし、あのような状態で、安全か、危険か、説得して止めさせらるのか、考える時間はなかったに違いない。まさに、とっさの判断。でも、心の底に、Men for Others, with Othersがなければ、瞬間的にあのような行動を起こすことはなかっただろう。

 君の奥さんには言う言葉もないが、君は本当に立派だ。君を、この世界を作った存在は、君をたたえ、君を抱き締めているに違いない。

 そして、君の死を無駄には絶対にできない。あのような愚かな、あまりにも愚かな、残虐行為に走った者が、二度と現れることのないようにする必要がある。警備を厳重にするなど、再発防止の当面の措置は当然だが、根本的には、彼を生み、育てた家庭と周囲の環境について思いを致す必要があるだろう。

 教皇フランシスコは使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」で、人の成長における家庭の重要性を説き、そして、その後の説教でも、家庭が神の計画の中心に置かれていることを、一人ひとりを大切にする社会の原点としての家庭教育の重要性を繰り返し説かれている。それは、現代の社会が、そうした神の願いとはかけ離れていることの裏返しでもある。残虐で独りよがりの事件を起こした男は、それを生んだ家庭は、社会は、僕たちから遠い存在ではない。

 梅田君、今回の悲劇を、他人ごとではない、僕たち自身の問題として、皆が考える機会となるように、助けてほしい。 合掌。

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

2018年6月18日

・Sr.岡のマリアの風 ㉙M.T.さんの葬儀…ありのままに…

 むつみの家 -重症心身障がい者施設-に8歳の時に入所し、昨日、31歳で帰天したM.T.さん。本部のシスターたちと一緒に、通夜、葬儀に参列した

 M.T.さんの障害は非常に重く、痙攣すると、足が背中につくほどエビなりになり、何とかリラックスさせてあげたいと、医者、看護師はじめ、すべての職員が心を砕いてきたそうだ。

 話すことは出来なかったが、体の調子が少し良いときのM.T.さんの「ほほえみ」は、周りにいる人たちを「癒して」くれた、と、お別れ会で看護師長さんが涙ながらに語り、ひつぎの中のM.T.さんに、何度も「ありがとう」と言っていた。

 葬儀 施設ホールでの「お別れ会」 には、家族、親族、職員と共に、むつみの家の入所者の方々が ベッドや車いすで運ばれ、参列した。家族も、職員も、献花の花に囲まれた、ひつぎの中M.T.さんを見ながら、手を合わせ、泣いていた。

 普通、この世で人々が「望むこと」-お金、権力、地位、快適な生活、幸せな結婚-の、どれ一つも約束されず、痙攣で苦しみ、ベッドの上で看護される、M.T.さんの、文字通り「生き抜いた」一生。そのM.T.さんの、まったく野心も利害もない、ありのままの「ほほえみ」が、周りのわたしたちの心を癒した。優秀なお医者さんや看護師さんたちが、この、「何も出来なかった」、でも「ほほえみ」をくれた、M.T.さんとの別れに涙する。

 看護師長さんは、「もっと一緒にいたかった。もっと生きていてほしかった」と、率直に言っていた。

 施設のホールでの、簡素な「お別れ会」。ベージュ色の、小さな、優しい表情で手を広げているマリア像の、その、開かれた手に囲まれるように、M.T.さんの棺が置かれていた。M.T.さんの顔は、どこか静かで、おだやかだった。その、生き抜いた「いのち」は、多くの人々の優しさによって受け入れられ、抱きしめられてきたのだ、と感じた。

 「いのち」の不思議さ… 一つの、本当に、この世に「たった一つのいのち」の神秘。さまざまな障がいをもった方々と接していると、与えるよりも、与えられるものが、いかに大きいかを知らされ、驚かされる。

 食事も排泄も一人では出来ず、痙攣でエビなりになり、苦しい、痛い… それが、31年間、毎日。そのMTさんを、少しでも楽にしてあげたい、と、お医者さん、看護士さん、スタッフたちは一生懸命だった。そして、M.T.さんが、楽になって「ほほえむ」と、周りがパァっと明るくなり、苦労も忘れる。そんな、毎日。

 何の解釈も、何のコメントも要らない。「いのち」の不思議さを、分析したり、切り刻んだりすることは、出来ないから。今日、一つの、生き抜いたいのちが、天に帰っていった。たくさんの、たくさんの人々に感動を与えながら。

 「いのち」は不思議だ。そんなに大切な、この世にたった一つの「いのち」をいただいているわたし、わたしたち。その「いのち」を一瞬一瞬生きて、生かされているわたし、わたしたち。

 M.T.さんに、そして、M.T.さんに関わってきた家族、スタッフの皆さんに「ありがとう」。

祈りつつ

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年6月18日

・三輪先生の国際関係論 ㉙「改竄」-歴史研究に大切な文書類を日本人はどう扱ってきたか

  奄美群島出身の郷土史研究家によれば、流刑にされた西郷吉之助は決して英雄的ヒュウマニストではなく、植民地支配の小役人が考えそうな、島民の搾取で、薩摩の貧乏侍の生活の足しにすることを考えたりしていたことが、知られているという。

 そのような搾取の実態を示している当時の文書は、維新後の新日本発生と共に、跡形も無く破棄抹殺処分されてしまった、という。恥の文化が歴史の、言うならば、「改竄」に肩入れしている紛れも無い一例である。この一つの例を知るに及んで、世界の文明化社会のスタンダードと比較して、私は日本人とはいかにも矮小な国民ではないか、との想いを今更のように感じずにはいられない。

 世界の文明化社会のスタンダードといったが、その一例はフランスの場合である。以下の事は、ヴェトナム出身で、北海道大学で歴史研究で博士号を取得した人から学んだ事である。それは今から20年も昔のことになるだろうか、カナダのアルバータ大学で教授として日本史を講じていた彼から直接聞いた話である。彼は言った-「フランスは大帝国でした」と。

 「大帝国」の資格とは何か。彼は続けた。「フランスの仏領インドシナ支配の記録は、フランス本土の文書館に細大漏らさず、総て収められています。誰でもがそれを閲覧することが出来ます。其処にはフランスの植民地支配の良き事も悪しき事も、等しく記録として残されています。そうしようと思えば、『実証的』にフランスの名誉を貶めることが出来るわけです」と。

 これが、彼が言おうとした「大帝国」のいわれだった。

 その意味で、「西郷」にも「薩摩」にも、「大帝国」の属性から外れている点が見いだされる、と言うのが、この小論の一つの大切な結論である。(2018. 6 .5)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

・Sr 阿部のバンコク通信㉑ドリアン…天国の味!

   亜熱帯地方の果物、見たことのない珍しい色、形、味。タイに来て以来、創造主の傑作を味わい感嘆しています。

   人生初めて出会い味わった果物、例を挙げると、ドラゴンフルーツ、マンゴスチン、ジャックフルーツ、ドリアン、ローズアップル、グワバ、グゥアヤバノ、ランプターン、チコ、ノイナー、カスタードアップル、サントール、アボカド、パッションフルーツ、スターフルーツ、ライチ、パパイヤ、タマリンド、ロンコン…

  女王はドリアンです。「匂いは地獄で。味は天国」と言われ、乗物他持ち込み禁止区域が多い。棘で覆われずっしりと重く、落たてきたら頭蓋骨を破壊しかねない。

  タイに来て間もない頃、広報担当の故ピンピサン司教様の教区に招かれ、東北タイのウドンタニに姉妹たちと初の列車旅行。ベトナム戦争時に発展し、米軍が戦闘地域の至近距離に待機していた基地のあった街。今は基地は撤去され、健康で平和な街並です。

 司教館での会食の折、ドリアンが出され、早速、味わいました。「え?天国の味?」。独特の匂いと食感、食べてムカーッと熱くなり、吐き出しそうになりました。

 「神さま、この何処が天国の味ですか?私は今からここで生活し、働くのです」。再度食べてみたものの、やはり分かりません。「このどこが美味しい天国の味か、教えて下さい」と内心祈りながら、3度目の挑戦…「美味しい!」。感動しました。

 私の感覚に無かった美味の世界でした。クリーミーな味わい、地獄の匂いどころか魅力的な香り。ドリアンが嫌いでずっと避けていた在タイ30余年の人に、そんな体験を話したら、「シスター、良かったですね。美味しさがすぐ分かって…。避けていた長い過去を、私は悔いています、残念!」という応え。

 知らないものを「嫌い」という感覚で受け止めてはならない-自分の視野の外にある世界を意識すること-肝に銘じる体験でした。主の創造された大自然の中で自分を解放し、これからも「人生の大損失」を免れて生きて行きたいと思います。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年5月31日 | カテゴリー :

・菊地大司教の日記㉗6月-土曜日は六本木、日曜は築地・今月の予定・・

2018年6月 3日 (日)

土曜日は六本木、日曜は築地

土曜日は午前11時から、六本木のフランシスカンチャペルセンターで、東京教区内のそれぞれの小教区にあるフィリピン出身信徒の共同体の集まりであるGFGC (Gathering of Filipino Groups and Communities)の総会ミサでした。

Fccgfgc1801 この集まりは、何か独立した団体と言うよりも、基本的には各小教区共同体の枠組みの中で活動しているフィリピン人信徒のグループや共同体が、緩やかに集まっている組織です。

 ですから、各地の小教区において、その小教区共同体との関わりの中で活動することを目指している点で、私が理想としている小教区共同体における多様性と一致を具現化しているものだと感じます。

ミサは素晴らしい歌でした。ミサ後は、フィリピン文化に欠かせない(?)、写真撮影タイム。すべてのグループが入れ割り立ち替わり、私や司祭団を囲んで、写真を撮り続けました。

 ミサ後は地下のホールで、これまたフィリピン文化にとって欠かせない、持ち寄りの食事タイム。

 その後に、このグループについてのプレゼンテーションを皆で聞き、私から、これからの東京教区における滞日外国人司牧の方向性についての講演をし、最後には質疑応答となりました。

 参加してくださった皆さん、ありがとう。皆がそれぞれの場で、主から呼ばれ派遣された福音宣教者であることを常に心に刻んでいてください。

Tsukiji1804 そしてキリストの聖体の主日である今日は、築地教会で9時半の主日ミサでした。築地教会は、カテドラルが関口に定められるまで、初代から4代までの教区長の時代に、カテドラルとされていた教会です。教会は聖路加国際病院のすぐ隣り。近隣の都心部にあるホテルから、多くの海外からの観光客がミサに参加されていました。

Tsukiji1802 今日のミサは、すでに亡くなられた初代から第7代までの前任司教様方の追悼ミサを兼ね、祭壇の前に歴代の写真が飾られました。

 またミサ中には、二人の小学生の女の子が、初聖体を受けられました。おめでとうございます。ミサ後に、この二人を囲んで、旧幼稚園舎を改装したホールで茶話会となりました。特に幼児洗礼から育ってきた信徒には、初聖体は重要な秘跡であり、信仰育成の通過点です。今日、主ご自身が聖体を通じてともに歩みを始められた、その主のやさしさと愛に信頼しながら、そして主の「私を忘れないでいなさい」という言葉を胸に刻んで、次のステップである堅信の時まで、大切に信仰を生きてください。

2018年5月31日 (木)

聖母のご訪問@5月も終わりです

 5月最後の日は、聖母マリアのご訪問の祝日です。典礼の暦が改訂される前は他の時期に合ったようですが、現在は聖母の月である5月の最後を締めくくる祝日として、定められています。Visitation17
イエスの母となるマリアは、洗礼者ヨハネの母であるエリザベトを訪問されました。現在その地は、エルサレム郊外のエインカレム(エン・カレム)とされ、丘の上に聖母訪問の教会が建ち(写真上)、構内には各国語でマグニフィカトが掲示されています。

 ちなみに谷を挟んで反対側の丘の上には洗礼者ヨハネが誕生した教会があり、こちらにはベネディクトゥス(ザカリアの讃歌)が各国語で掲示されています。

 ところで、教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」も他の教皇文書と同様、最後は聖母マリアへの言及で締めくくられています。ただし、「福音の喜び」における聖母への言及部分は、結構な分量となっており、教会の福音宣教への姿勢に関して教皇フランシスコが「聖母の存在を重要」だと考えていることが理解されます。

 教皇は、「聖霊とともにマリアは民の中につねにおられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です」と、単に「教会の母」という伝統的な称号に留まらず、「福音を宣べ伝える教会の母」という呼び方をします。その上で、聖母マリアは、福音宣教の業において、「私たちとともに歩み、ともに闘い、神の愛で絶え間なく私たちを包んでくださる」方(同勧告286項)だと指摘します。すなわち、教会の福音宣教において、聖母は脇役ではなくてその中心に位置している重要な存在であることが示唆されているのです。

 さらに教皇フランシスコは、「教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(同288項)とも述べています。

 ここで指摘されている、「マリアという生き方」が福音宣教にとって重要な姿勢であるという指摘に注目したいと思います。いったい「マリアという生き方」という言葉で何を語っているのでしょうか。

 カテキズムには次のような指摘があります。「マリアは、しみやしわのない花嫁としての教会の神秘、つまり、その聖性を、私たちすべての者に先立って現しました。『教会のマリア的な面がペトロ的な面に先立っている』のはこのためです。(カトリック教会のカテキズム773項)」

 教会のペトロ的な面とは、ペトロの後継者であるローマ教皇に代表されるような使徒的な側面、目に見える地上の組織という側面です。

 教会のマリア的な面については、教皇ヨハネパウロ二世が使徒的書簡「女性の尊厳と使命」の中でこう指摘しています。「聖性の段階において教会の『かたどり』となるものは、ナザレのマリアであることを思い起こします。マリアは聖性への道において皆に『先行』するものです。彼女において『教会は、すでに完成に到達し、しみもしわもないもの』でした(27項)」。

 つまり聖母マリアこそはキリスト者が完成を目指して進むときに模範となる存在であり、教会のあるべき姿、「かたどり」なのだという指摘です。ですから教会にはマリア的な面があるというのです。

 教皇フランシスコは、教会のマリア的な面がペトロ的な面に先行することを強調しつつ、同時にマリア的な面こそが福音宣教をする教会にとっては不可欠であることをいっそう強調されていると考えることが出来ます。それほどまでに、教皇フランシスコが大切だと考える福音宣教における教会のマリア的な面は、「マリアという生き方」という言葉に表されています。

 聖母マリアがマグニフィカトにおいて「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌い上げる理由は何でしょうか。それはそのすぐ後に記されている言葉から明らかです。それは主が「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったから」に他なりません。

 教皇フランシスコはこの言葉に、「謙虚さと優しさは、弱い者の徳ではなく、強い者のそれである」ことを見て取ります。そして続けます。「強い者は、自分の重要さを実感するために他者を虐げたりしません(「福音の喜び」288項)」。

 聖母マリアの人生を見れば、それは決して弱さのうちに恐れているような生き方ではありません。それどころか、神から選ばれ救い主の母となるというすさまじいまでの人生の転換点にあって、恐れることなくその運命を受け入れ、主イエスとともに歩み、その受難の苦しみをともにしながら死と復活に立ち会い、そして聖霊降臨の時に弟子たちとともに祈ることで、教会の歴史の始まりにも重要な位置を占めるのです。それほどの選びを受けた聖母マリアは、あくまでもその力を誇ることなく、謙虚さと優しさのうちに生きて行かれます。

 教皇の言葉は、現代社会が優先するさまざまな価値観への警鐘であることがしばしばですが、この部分にも、いったい本当に力のあるものはだれなのかという基準への警告が含まれているといえるでしょう。今の世界では、いったいどういう人が強いものだと考えられているのか。その判断基準は本当の強さに基づいているのか。本当の強さとは、謙虚さと優しさという徳のうちにあるのではないか。

 聖母の生きる姿に倣い、神のみ手にすべてをゆだねるところにすべては始まるという生き方。それはあきらめた弱い生き方ではなく、力ある生き方であることを、聖母は示しています。

明日から6月です。6月の主な予定を記しておきます。

  • 1日(金)板橋教会初金ミサ(10時)

  • 2日(土)フィリピン共同体・GFGCミサ(六本木、11時)

  • 3日(日)築地教会ミサ(9時半)

  • 4日~6日新潟教区司祭の集い(秋田県内)

  • 7日(木)常任司教委員会ほか(潮見)

  • 8日(金)日本カトリック大学連盟総会な

  • 9日(土)日本カトリック大学連盟ミサ(11時)、ロゴス点字図書館文化教室講演会(14時、ニコラバレ)

  • 10日(日)神田教会ミサ(10時)

  • 11日~14日カリタスアジア年次総会(バンコク)

  • 16日(土)故市川嘉男師納骨式(府中墓地、11時

  • 17日(日)吉祥寺教会堅信式(10時半)

  • 18日(月)司教顧問会ほか(教区本部)

  • 19日(火)カリタスジャパン会議(潮見)

  • 20日(水)横浜教区女性の会パスカ、ミサなど(10時半、関口)、(福)ブドウの木(ロゴス点字図書館)評議員会(14時、潮見)、オルガンコンサート挨拶(19時、関口)

  • 21日(木)カリタスジャパン会議(9時半、潮見)、(福)ゲマインダハウス評議員会(18時半、名古屋)

  • 23日(土)ペトロの家後援会ミサ(13時、関口)

  • 24日(日)麹町教会堅信式(15時半)

  • 25日(月)司祭金銀祝ミサ(11時、関口)

  • 26日(火)カリタスジャパン委員会(10時、潮見)

  • 27日~30日 ローマ

5月20日 教区合同堅信式@聖霊降臨の主日

 20日の聖霊降臨の主日は、東京カテドラルの関口教会で、午後2時半から教区合同堅信式が行われました。

 いくつの教会から信徒の方が来られたのかは数え忘れたのですが、(もちろん公式な記録は残っています)、少なくとも7つくらいの小教区から、206人の方が集まり、堅信の秘跡を受けられました。私にとって、200人を超える堅信式は、ガーナで働いていた30年ほど前以来、久しぶりのことでした。

 そのためにカテドラルに皆さん来られたのですから、司教が堅信を授けないわけには行きません。私ひとりですべての方に堅信を授けました。ですからミサ中の堅信の秘跡の部分だけで1時間以上かかり、結局2時半に始まったミサが終わり、記念撮影も終わったら、すでに5時を過ぎていました。参加した皆さん、おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。カテドラルに一緒に集まり、教区の共同体の一部としてともに歩んでいることを肌で感じていただけたのであれば、幸いです。

 以下、堅信式ミサの説教の原稿です。

私たちは、信仰に生きています。私たちが生きていくためには、例えば食事を誰かに代わりに食べてもらうことができないように、信仰に生きることも、誰かに変わってもらうことはできず、私たち一人ひとりの個人的な関わりと決断が必要です。その意味で、信仰に生きると言うことは、プライベートな個人的な事柄と言うこともできるでしょう。
しかし、第二バチカン公会議の教会憲章には、こう記されています。
「神は、人々を個別的に、まったく相互の関わりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に仕える一つの民として確立することを望んだ。(9)」
そして教皇フランシスコも、「福音のよろこび」の中で、こう言われます。
「神は人々を個々人としてではなく、民として呼び集めることをお選びになりました。一人で救われる人はいません。」(「福音の喜び」113)
わたしたちは、個人として信じると決断して受けたこの信仰を、一人で孤立して生きるのではなく、共同体の中でともに生きていくのです。それは神ご自身が、わたしたちを、一つの民、「神の民」として呼び集められたからに他なりません。教会にとって、信仰者が共に生きる共同体の存在はとても大切なものです。共同体なしに、教会はあり得ません。信仰者は個人として責任を持って信仰に生きるのですが、同時にその信仰を共同体の中で育むのです。
聖霊降臨の主日にあたり、多くの方がこのミサの中で堅信の秘跡を受けられます。聖霊の賜物をこの秘跡を通じて受けることで、キリスト教入信の秘跡が完結します。聖霊の賜物はそれぞれの方に、それぞれ固有の生き方の可能性を与えます。堅信の秘跡を受けることによって、いわば大人の信徒になるのですから、神からいただいた恵みに応える大人としての責務を自覚して行動してください。
五旬祭の日に、弟子たちは一つになって集まっていたと、第一朗読に記されていました。そこには共同体として一致している弟子たちの姿が描かれています。同時に集まりからは、主イエスを失い、戸惑いと恐れのうちに、社会の現実から自らを切り離し隠れようとしている、消極的な姿勢も垣間見ることができます。
しかし、その消極的だった弟子たちは、聖霊を受けることによって、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と記されています。
聖霊を受けることで、急に外国語がペラペラになるのであれば、そんな素晴らしいことはないのですが、残念ながらそういうことはなかなか起こらない。ではこの弟子たちに起こった変化には、どういう意味があったのか。
この弟子たちの様子を目撃した人々の言葉にこうあります。「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
すなわち弟子たちは聖霊に満たされることによって、神の業を語り始めたのだけれど、それは人々が理解できる言葉であったということです。私は、たぶん、外国語を話したと言うことよりも、人々がわかる言葉で、福音を語り始めたことの方が大切であるように思います。
堅信の秘跡を受ける信仰者は、大人の信徒としての道を歩み始めます。大人の信仰には、与えられた賜物に応えていく責任が伴います。その責任とは、主イエス御自身が弟子たちを通じて私たちに与えられている、福音宣教の命令です。大人の信徒の責任は、福音宣教の務めを果たすこと、すなわち、神の業を人々がわかる言葉で語ることであります。
聖霊を受けた弟子たちがそうであったように、私たちも教会共同体において聖霊を受け、そこから外に向かって派遣されていくのです。ですから問題は、派遣されて出た社会の現実の中で、果たして私たちは、人々が理解できる言葉で福音を語っているのかどうかであります。
私は口べただから、何を語って良いのかわからない。そうかも知れません。実は、福音宣教は、雄弁に語ることだけなのではありません。問題は聖霊の賜物を受けて、どのように生き.その生きる姿勢であかしをするのかであります。
わたしたちは、自分の生きる姿を通じて、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
わたしたちは、ほかの方々との関わりの中で、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
わたしたちは、愛の奉仕の業を行うことで、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
本日の第二の朗読、ガラテヤの教会への手紙でパウロは、霊の望むところと、肉の望むところは相反しているのだ。私たちは霊の導きに従って生きるのだ、と教えます。
肉の望むところとしてパウロは、具体的な様々な罪を掲げます。それらはすべて見てみると、結局は自分の欲望を中心とした、全くもって自分中心の利己的な欲望やそれに基づく罪ばかりであります。
それに対してパウロは、霊の結ぶ実として、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制を掲げます。これらは、自分の欲望を中心にするのではなく、誰か相手に対して良くしよう、仕えよう、奉仕しようとするときに必要な徳であります。他者中心の徳です。
すなわち私たちが、聖霊に促されて社会の現実の中で福音をあかしするとき、その言葉と行いは、自分中心ではなく、困難を抱えている人を中心に据えた、他者のために自らを犠牲にする行いによらなければなりません。まさしく、イエスご自身の人生は、他者のために自らを犠牲にする人生でありました。
一人ひとりの能力には限界があります。私たちはひとりでは完璧にはなることができません。でも私たちには互いを支え合う信仰の共同体があります。そしてなによりも、私たちを支え導く聖霊の照らしがあります。聖霊の導きに信頼しながら、そして共同体の支えに力づけられながら、勇気を持って、自らの言葉と行いで、福音をあかしして参りましょう。

 5月21・22日新潟―日本カトリック女性団体連盟第44回新潟総会

 この一週間は、なんとも忙しい一週間でした。21日の月曜日と22日の火曜日は新潟。23日の水曜日と24日の木曜日は軽井沢。そして25日の金曜日は仙台。さらに26日の土曜日は東京で宣教司牧評議会。今日の日曜日、三位一体の主日は、志村教会で堅信式でありました。

 新潟から軽井沢へ回って仙台へ行くためには、新幹線を乗り継いでいたのでは時間とお金がかかりすぎるので、とりあえず新潟と軽井沢へは自分で運転していくことに。関口を出発すると、本当に一度右折するだけで、まっすぐに練馬インターから関越道へ。道路がそのまままっすぐに関越道になるので、一度も右左折しません。何を言っているかというと、いわゆる都市伝説で、関口教会の近くにある故田中角栄邸から新潟の西山にある実家まで、車で移動するには三回しか曲がらない、といわれているのです。今回走ってみて、なるほどと思いました。実際私も、新潟中央インターで降りたので、関口から新潟教会前まで四回しか右左折しませんでした。

  新潟へ出かけたのは、日本カトリック女性団体連盟(日カ連)の第44回新潟総会に参加するため。昨年、まだ新潟教区司教であったときに、講演するように頼まれていました。

  21日は夕方の懇親会から参加。顧問の浜口司教とともに、舞台に『引きずり出されて』、仮装のうえで踊らさせられました。私が人生で一番苦手としているのが踊り、ダンス。そのまま、山形教会の千原神父の職人芸とも言うべきギター演奏で、歌まで歌わさせられました。歌は、ダ  ンスに比べれば、何百倍も得意なので構いません。

  翌22日は、朝から講演会。「いのちへのまなざし」をメインテーマに、どうして教会は人を助けるのか、カリタスジャパンでの活動で学んだことを中心にお話しさせていただきました。

   講演会後は派遣ミサ。新潟市内や近隣の司祭も参加してくださり、私と浜口司教の共同司式で、ミサを捧げました。参加してくださった全国の女性団体の方々、ありがとうございます。また準備に当たってくださった新潟の女性団体の皆様や小教区の皆様、ご苦労様でした。素晴らしい大会でした。

   残念ながら東京からは日カ連に加盟していないので、できれば何らかの形で、将来的に、東京のカトリックの女性団体も、全国とつながることができればと期待しています。

23・24日-男子修道会と宣教会の管区長、責任上長の全国会議

   水曜日と木曜日は、軽井沢の宣教クララ会修道院を会場に、全国で働く男子修道会と宣教会の管区長や責任上長の全国会議。修道会などは日本管区として独立しているところは『管区長』ですが、会員の減少から、多の国の地区と一緒になって管区を構成している会では、『地区長』などのタイトルを持っておられます。ほとんどの会が、東京に何らかの拠点を持っておられますが、例えば神言会やカルメル会のように、管区本部が名古屋にあったり、そのほかの町(例えば淳心会は姫路)にあるものもあります。

    今回でかけた理由は、これまた二年越しで、会長の柴田神父様(アウグスチノ会)から、講演を頼まれていたため。日本の教会で修道会が果たす役割について、質疑応答もあって、一時間のお話を三回。いろいろと意見交換もできました。  それぞれの修道会が会員の減少や高齢化という悩みを抱えるなかで、これからの日本の教会の福音宣教にどのような役割を果たしていくのかについて、今回同伴してくださった勝谷司教も交えて、良い話し合いができたと思います。初日には教皇大使も来られ、皆ど意見を交わして行かれました。

25日-仙台教区の東北大震災復興支援の会議

 金曜日は定例の仙台教区の東北大震災復興支援の会議。7年が経過し、全国の教会としての支援活動である震災から10年目が視野に入る中で、例えば大槌のように閉鎖となったボランティアベースや、活動を地元に移管した宮古での札幌教区の活動なども出てきています。釜石のベースは、すでにNPO法人として独立しました。これから、10年以降にどのように地元に引き継いでいくのか、方策を考える時期になってきました。もっとも、福島は事情が異なり、まだまだ先が見えません。東京教区ではCTVCが中心になって南相馬市の原町教会敷地内の拠点を設置しています。今後これをどのように地元に根付かせていくのかが、課題となってきますが、10年と言わずさらに長期の関わりが、必要だと感じています。

27日-志村教会での堅信式

  そして今日の日曜日、志村教会での堅信式。志村教会は、深水神父様が担当されています。ミサには100人近い方が集まり聖堂はいっぱい。東京教区の標準から言うと、小さい部類の小教区だと思いますが、例えば新潟教区であれば、十分に大きな小教区です。

 今日は9名の方が堅信を受けられました.。またそのうちのお一人は、今日が洗礼式。またお一人は今日が初聖体でもありました。堅信を受けられた方との関係で、イエズス会の竹内神父様(写真下)も共同司式に加わってくださいました。

ミサ後には、先日教区の司祭団でもお話ししたのと同じパワーポイント資料を使って、アフリカでの宣教の体験についてお話しさせていただき、その後、皆で祝賀会。堅信を受けられた皆さん、本当におめでとう。

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑩神への愛、シンボルとしての悩ましいほどの美女

 14世紀のペルシャの大詩人ハーフェズは、神への愛を歌い上げるのに、女性や葡萄酒をシンボルとして使う。美しく気ままな女性を神の属性である威厳(力)と美の体現者として、また捉え難き神の象徴として描き、さらに葡萄酒の陶酔を神の与える至福の象徴として扱う。象徴としての両者が組み合わさって、葡萄酒を客人にふるまう美女(ペルシャ語で「サーギィ」)の誕生となる。

 ハーフェズは美女(サーギィ)に迫り、彼女のしぐさに至福の瞬間(時)を覚えたかと思うと、突然落胆と失望に押しやられる。その振る舞いに一喜一憂する様子が繰り返し歌われる。美女の振る舞いは怪しく魅力的であり、また冷淡かつ頑なである。美女との振る舞いの描写は、人の恋愛と見間違えるばかりである。女性の美は、顔、唇、目・瞳、睫毛、黒髪・うなじ、えくぼに象徴される。

 「月のごとく太陽のごとき汝の顔 汝の黒髪に隠れて それは陽の光を遮る雲のよう」と苦難を予感しつつ、「ハーフェズよ 汝のさまよえる心はどこにあるのか しなやかに結ばれた (美女の)黒髪の束の中にある」というわけで、美女を切り離してはあり得ない人生である。

 まずはあやしくも悩ましいほどの美女の魅力である。「汝の甘い唇のごとく 心地よい生命の泉のほとり 汝の注ぐ甘き飲み物を前にしては 砂糖の甘みも敵わない絶対に-(永遠の)生命の泉の水は甘美な味、美女がその水を飲ませてくれるならばこれ以上の飲み物(至上の幸福)はない、ということになる。

 ハーフェズの詩の魅力とむつかしさの一旦は意味の多重性にあるが、これも一例である。この詩句は別の意味にも解釈されるが、それを理解するためにはペルシャ・アラブ文学の常識が必要になる。外国人にはむつかしいわけである。むつかしいことを承知の上で、一例として紹介すれば、上記詩句は次のような意味にもなる。

 ネザーミというペルシャの大詩人の作に「ホスローとシーリン」という悲恋物語があるが、もともとはアラブ世界の説話である。ホスローというペルシャの王子が、シーリンというキリスト教徒の娘に恋をする。それはシーリンが湖のほとりで入浴している姿を偶然目撃してからである。その美しさに一目惚れ、二人は愛し合うが結ばれず悲恋となる。シェークスピアの「ロメオとジュリエット」に比肩されるが、ハーフェズの上記の詩句は、この物語を踏まえたものである。

 「汝の甘い唇のごとく 心地よい生命の泉のほとり 汝の注ぐ甘き飲み物を前にしては 砂糖の甘みも敵わない絶対に」

 「汝」とは美女シーリンであり、シーリンは一般名詞として「甘い」という意味である。シーリンが入浴していた泉は生命の泉を呼ばれ、その水を飲めば永遠の生命が与えられる、と言われる。「砂糖」は、シーリンとの恋に絶望したホスローが一時心を寄せた女性の名前でもある。(「砂糖」はアラビア語でシュカル、英語のsugarの語源でもある。)上記の詩句は、恋人シーリンの甘美さ・魅力には、ホスローが一時心を寄せた女性「シュカル(砂糖)」など全く及ばない、ということになる。

 誰もが知る説話を交えることで、読者の理解は増し、詩人の思いはいっそう強調される。しかしながら、求める美女は甚だ厄介な存在であり、思うようには捉えられない。さればこそ、人生の苦闘とその詩的表現への昇華となる。

 「汝が漆黒の睫毛は 何千回も我が信仰を試すもの 怪しげに移ろう汝の目、汝の苦難はすべて我が代わりに受けよう」と覚悟する。

 黒い睫毛も移ろう目つきも、いずれも美女の特性、その魅力の表象であり、神への愛に生きるためには、美女が試みるあらゆる苦難に耐える意気込みを披歴するハーフェズである。

 (ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

・三輪先生の国際関係論 ㉘戦争が消し去ったもの

 浅田次郎『長い高い壁』を読了した。表紙にかけられた帯には、大きく「ここは戦場か、それとも殺人現場か」。そして細字で「浅田次郎初の戦場ミステリー」、「日中戦争下の万里の長城。探偵役を命じられた従軍作家が辿り着く驚愕の真相とは?」として太い字体で「この戦争に大義はあるのか―――」と問いかけている。そして読了してみれば、「大義」がなかったばかりか、一連の「殺人現場」だったことが知られるのである。

 この時、私は8歳、戦争は身近にあった。我が家に6名もの兵隊さんが臨時に宿泊していたのだ。松本の連隊の兵舎は平時の将兵で満杯であり、市内の余裕のある民家に宿泊したのだった。

 私の生家の洋品店の前で、記念写真が撮られていて、私は子供用の陸軍少尉の軍服を着ている。私が一番親しくなった東京は浅草で立派な家業を営んでいた、軍隊の位で下士官の曹長ではなかったかと思われる、凛々しくも穏やかな面差しで恰幅のいい軍服さえはち切れんばかりの堂々たる体躯の兵隊さんが、軍刀仕立てにした日本刀を椅子に座して携え、右隣に直立している小学2年生の私を抱き寄せるように腰に手をまわしている。

 私の子供の頃の写真帳には、その時この兵隊さんが私にくださった出征祝いのスナップ写真が何枚か張り付けられて残っている。出征祝いの幾条かの幟から、兵隊さんの姓名は「篠井儀徳」だとわかる。若妻と一緒に和服姿で寛いでいる写真、背後にはアメリカから輸入されていた子供の身丈は優に超える大きな電蓄ビィクトローラがでんとしている。二人にはまだ子供は無かったことが偲ばれる。だが「子ずき」の篠井さんは、僕をかわいがってくれたのだろう。僕が着ている軍服は七五三の衣装で、ズボンが短いのはゲートルを巻いておぎなっているが、両手は袖先を大きく越えて突出していた。

 大東亜戦争と呼称されていたあの「アジア太平洋戦争」で、最後はサイパンに向かうはずだった松本連隊は、戦況に応じて、テ二アンの守備についたが、米軍の猛攻を受け、上陸してきた米軍と激闘し、ついに残存兵1000名は敗戦の前年の1944年8月2日、玉砕して果てた。その時篠井さんはそこにいたのだろうか。東京のご自宅は45年3月10日の空爆で、潰えたのだろう。

 戦後も半世紀を過ぎた頃、ようよう私は、何とかこの兵隊さんの旧居を浅草に探り当て、頂いていた写真をお返ししたいと思った。でもそれは叶わなかった。

 戦争が消し去ったものは甚大だったのだ。(2018.5.28)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑳「ラジオ深夜便」のこと-6月21日放送に出演-

 ある新聞の投書に、在宅医療を受けながらラジオを聴いたという体験が描かれている。東京都内に住む70歳の女性がつづったものだ。

 <父は私と一緒に の「ラジオ深夜便」を聴いたものだった。末期がんのため在宅医療を受け、私が介護していた。父は「時間だよ」と言ってラジオをつけ、ベッドの中で番組を聴いた。午前3時台のコーナー「にっぽんの歌こころの歌」が大好きで、昭和の流行歌などを聴きながら、終わる頃には父も私も眠っていた>

 残された日々を住み慣れた家で静かに迎えようとする父と娘。だが父は夜、なかなか眠りにつくことができない。互いに寄り添う形で二人は、真夜中にラジオを聴く習慣に楽しみを見いだしていく――。投書からは、そんな父娘の静かな息づかいさえもうかがえる。二人が耳を傾ける番組が「ラジオ深夜便」であるというのも、大いにうなずける。投書の文章は、<その父は2年前、92歳で亡くなった>と続き、父の愛したラジオへ寄せる思いがつづられていく(2017年6月28日付読売新聞)。

 一般的に、人は年齢を重ねて高齢の域に達すると、若かった時代に比べて睡眠の時間が短くなってしまう。夜中に途中で目が覚めてしまったり(中途覚醒)、朝早く起きてしまったり(早朝覚醒)して、いわゆる不眠症状に悩まされる人が増えてくる。30歳代までは、中途覚醒と早期覚醒はともに25%程度とされるが、70歳以上ではいずれも40%になる。「高齢者の3割は不眠に悩む」などと言われるゆえんだ。

 眠れぬ高齢者が全国の各地に数多くいる日本。投書の主が父と聴いたという「ラジオ深夜便」は、平日の午後11時15分から午前5時まで、祝日は午後11時10分から午後5時までの約6時間、365日休まずに放送されている第1放送の名物番組だ。

 放送開始は、1990年4月。企画のスタート当初から番組が目指しているところは、「若手のタレントが早口でしゃべりまくり、にぎやかに騒がしい民放ラジオ番組の逆を行こう」という制作陣の思いである やベテランのアナウンサーを番組のアンカーに起用し、「ゆっくりとしたテンポで話す」ことを番組の信条に据え、昭和歌謡やクラシック、ジャズなどの音楽で番組を彩り、文芸作品の朗読や、生活の知恵、人生を考えるロングインタビューなどをたっぷり聴かせる。そうした番組づくりが、高年齢層を中心とするファンの心をつかんだ。

 番組のリスナーは全国に300万人を数え、放送内容の再録やアンカーのエッセイなどを売り物とする月刊のファン雑誌「ラジオ深夜便」も、長引く出版不況の中で部数を伸長。10年前に比べて10万部も伸びて約15万部にも達するという。まさに「ラジオ深夜便」のマーケットは、超高齢社会の鉱脈を掘り当てたと言えるだろう。

  ――さて、最後に「手前味噌」の案内である。6月21日に放送予定の「ラジオ深夜便」のロングインタビュー・コーナー「明日へのことば」に出演する。望ましい終末期医療のあり方や介護の問題、私自身が30歳を過ぎて医学部に入り直したきっかけや医療小説を書く思いなどについて、さまざまにお話をさせていただく。ところが放送は、草木も幽霊も眠りたい午前4時台(!)。

 ただ、 「ラジオ深夜便」の公式ホームページにアクセスすれば、放送日から約1週間はどの時間帯でも聴くことができると聞かされ、「家族や友人に中途覚醒や早朝覚醒を強いることなく済みそうだ……」と少しだけ安堵した。

 (みなみきょうこ・医師、作家: クレーム集中病院を舞台に、医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=を1月に刊行
。http://www.gentosha.co.jp/book/b11411.html 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」収録)

2018年5月27日 | カテゴリー :

・Sr.岡のマリアの風 ㉘三位一体の祭日に…リラックス法…

 山登りが好きなH神父。仕事の合間を縫って(本当に忙しい!)、休日には山登り。
「神父さま、休みの日に山登りなんて、いつ『休む』のですか?」という、わたしの「正直な」質問に対して、「いや~、山を登ることが、リラックスなんですよ」と、当たり
前のようにH神父。
「だって…疲れるでしょう?」…どうも、わたしとH神父の「感覚」がずれている、と感じながらも、さらに質問するわたしに、H神父は答える。

 「疲れ果てて、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。それが、リラックスなんですよ」。

 H神父にしてみれば、この気持ち、わかんないだろうな~と言いたいところだろう。先日、N教会の主日のミサにあずかったとき、主任司祭H神父(山登りのH神父とは別の)が、説教の中で、ちょうど連休だったこともあり、「休む」ことについて話した。

 わたしたち日本人は忙しいから、連休、となると、忙しかった分「休まなくちゃ損」、つまり、「働いた分、取り戻さなければ、休まなければ…」と「忙しく」なる。で、結局、「休み疲れ」になり、その「休み疲れ」を取るために、また休まなければならない…という話。

 そして、「本当に休みたいなら、わたしは次のことをお勧めします」と、H神父流「休む業」とは…森の中に入って、「ボ~っと」すること。

 「何も考えてはいけないですよ。木が美しいとか、空気がさわやかとか、そんなことも考えない。とにかくボ~っとするんです」。「ボ~っとしていて、心の中から、わたしの存在の中心から、何か湧き上がってくるのを待つ」。「ああ、この『雑草』と呼ばれる草花は、神さまが命を与えてくださった場所で、けんかすることなく、譲り合いながら生きているんだな~」とか、「この木々は、誰からも世話されずに、それでも、神さまに向かって、天に向かって、ひたすら伸びているんだな~」とか…。

 「考えるんじゃないんですよ。考えてはいけません。自然にわきあがってくるまで、ボ~っとしているんです。わきあがってくる思いをもって、しぜ~んに、創造主である神さまを賛美するんです。すべてお恵みなんだな~と感謝するんです」。

 H神父いわく、これが「休む」ということ。山登りのH神父も。ボ~っとのH神父も、「見た目」違うけれど、同じことを言っているのかな~、とわたしは思った。

 頭が真っ白になること 体が疲れ果て、体の芯から真っ白になること。そのとき、わたしのこの存在、この体、この魂を造ってくださった方の懐で、わたしはすべて「委ね尽くして」リラックスする。ボ~っとする中で、わたしの存在から自然に湧き上がってくる「驚き。 どんなにささいなことでも、それは驚きだ、と言えるだろう 」に委ねる。「わたしが」休まなきゃ損…から、わたしを造ってくださった方の懐に、わたしを委ねる、への通過。

 今日、三位一体の祭日。朝、ロザリオ片手に外に出て歩いていると、二人の姉妹たち(シスター)が、黙々と草取りをしていた。「何をわざわざ休みの日に」…と思うのは、「休まなきゃ」派の考えることだろう。きっとこれが、このシスターたちにとっての「リラックス」なんだろう。

 先日、信徒のSさんは、N市内から、わざわざこの山奥の修道院に来てくださり、茂りすぎて収集がつかなくなっていたバラの剪定をし、植えたばかりの小さなゴーヤの苗に覆いかぶさっていたお茶の木の枝を切ってくださった。昨年、ゴーヤがカーテン状に伸びるために、網をかけてくれたのも、このSさんだ。「わざわざ、休みの日に…」。

 「わたしの時間」を、人のために使うなんて「もったいない」「損する」というのは、「ぶどう園のたとえ話」で、朝早くからやとわれて働いた人が、夕方遅く来て働いた人と同じ賃金をもらって、ぶつぶつ言うのと似ているような気がする。「最後の瞬間に来て、ちょっとだけ働いて、同じ賃金をもらうなら、朝から働いて『損した』」、という理屈。「放蕩息子」の話しも、そう。

 そして極めつきは、いわゆる「天国泥棒」と呼ばれている、十字架上のイエスから「あなたはわたしと一緒に、今日、天国にいる」と言われた強盗の話だろう。「わたしは、小さいころから、若いころから、 こんなに苦労して 信仰を守ってきた。それを、好き放題して、悪い事までしておきながら、最後に悪かったと思っただけで、天国に入れるなんて。わたしももっと、好きなことすればよかった。損した」、という理屈…。

 「一生懸命頑張り過ぎる」と、すべてが「恵み」であることを、忘れてしまうことがある。この、わたしの命そのものが、「恵み」であること、そもそも、わたしという存在そのものが「恵み」であることを、忘れてしまう。

 パパ・フランシスコは、今、毎週水曜日の一般謁見のカテキズムで、教会の「秘跡」について話している。「洗礼」によって、こんなに弱く、罪びとであるにも関わらず、「本当に」神の「子」としていただいたこと。これ以上の恵み、喜びはない、と、パパは強調する。

 この恵みに慣れ過ぎて、感謝できなくなると、教会の掟に「しばられず」、「自由に」遊べる人はいいな~、ということになる。このみじめなわたしたちが、どんなに信じられない「代償」をもってあがなわれたかを、考えなさい、そしてそれにふさわしく生きなさい、と使徒パウロは言う。

 大人になって洗礼の恵みをいただいたわたしにとって、洗礼、ミサ聖祭、ゆるしの秘跡の「無償」の恵みは、どんなに感謝しても、感謝し尽くせない。このように無限の恵みを前にしたら、どんなことが起こっても、「損をした」とは思えない。無償の洗礼の恵みによって、本当に「神の子」としていただいて、本当に「神のいのち-永遠のいのち-」をいただいたのだから。

 今日は、三位一体の神の神秘に「驚き」、賛美し、感謝する日。わたしたちの神が「孤独」の神ではなく、「交わり(コムニオ)」の神であると知ることは、何とすばらしいことでしょう、と、聖書学者A. Vanhoye枢機卿は書いている。わたしたちは実際に、洗礼によって、この「交わりの神-たがいに与え尽くす、愛の神-」の中に入る。

 Vanhoye枢機卿の言葉を、ちょっと聞いてみよう。

 「わたしたちの心は、この神の賜物への感謝でいっぱいになるはずです。もしかしたら、わたしたちは、三位一体の神のいのちにあずかっているという特権、その神秘の中に入れられているという特権について、十分に考えていないかもしれません 「考える」とは、知的な知識だけでなく、それに生き生きと(バイタルに)あずかること-それはより大切です-によって。神が、三つの「ペルソナ」の一致であると知ること自体、すでにわたしたちにとって大切な知識ですが、これらの神の「ペルソナ」との交わり(コムニオ)の中に生きるということは、さらにより尊いことです」

 「…わたしたちの、三位一体の神との関係は、わたしたちにとって、大きな喜びの源でありますが、同時に、深い要請の源でもあります。実際、真の愛は、わたしたちの人間としての全能力を使います わたしたち自身をすべて捧げることを要求します。神の愛は、炎のようです、だから、多くを要求します けれどそれは、わたしたちを恐れさせるべきではありません。そうではなく、わたしたちは信頼をもって前に進むことが出来ます。なぜなら、神の恵みがわたしたちを支え、愛の生活(愛する生き方)においてわたしたちを成長させるから。実に、愛の生活は、もっとも聖なる三位一体の神のいのち自身にあずかることです 」。

 そんな難しいこと言われても…と、言われるだろうか?でも、これはまさに、わたしたちの「いのち」がかかっていることだ。そして、わたしたちを通して、すべての人々の「いのち」がかかっていることだ。「わたし」は「丸ごと」恵み、まさに「恵みのかたまり」であることを、しばしば、特に、どうしようもなくなったとき、前が見えなくなったときに思い起こしたい。頭で考えることも大切だけれど、それ以上に、神の「懐」の中で、「ボ~っと」しながら、「頭が真っ白に」なりながら、この「丸ごと恵みの存在」を味わいたい。

 アーメン!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年5月27日 | カテゴリー :

・Sr.石野のバチカン放送今昔 ㉓教皇も‥老いや病いも人間の自然な姿‥慰められた若者たち

 58歳の若さで教皇に選ばれ、平和の使者として世界中を飛び回ったヨハネ・パウロ二世。狙撃事件の後も回復されると以前と同じように精力的に働かれた しかし彼も老いと病いに勝つことはできなかった。

 1990年頃からパーキンソンに襲われ、体力が衰え初めた。神経が麻痺して、左手はいつも震えている。お話をされてもろれつが回らず、何を言っておられるか分からない。TVでアップされた教皇のお口元からは唾が流れ、お召し物が汚れるのが見えた。それでも教皇は活動のペースを落とすことをなさらなかった。

 そんな教皇の痛々しいお姿を見て、関係者の間に、教皇の引退説が燃え上がった。 教会法は教皇の辞任を認めている-「教皇の辞任は、本人の自由意志で判断がなされ、かつ正しく表明されなければ、有効とはならない。ただし何人による受理も必要としない」(教会法332 条2項)。

 だが、教皇は引退の意志のないことをはっきりと口にされた -「私はキリストの代理者です。キリストは十字架にかけられたとき、そこから降りましたか・・・降りてその苦しみから逃れようとなさいましたか? 降りませんでした。私もキリストと同じようにします」と、「最後までキリストの後に続く」という決意を表明された。

 杖にすがり、足を引きずりながら歩まれる教皇。最後はご自分の足で歩くこともままならず、車椅子で。それでも人々の前にお姿を現わされた。そして、ある時言われた-「 老いや病いは恥ずべきものではありません。人間の自然な姿です。私は自分の苦しむ姿を人々に見てもらうことにより、苦悩を味わっている多くの人に連帯を示したいのです」と。 公けの儀式の最中に、もがくようなお姿で、痛みに耐えておられる時もあった。

 そのような姿をお見せになり、亡くなられた時、「最後のご挨拶をしたい」とバチカンを訪れた人の数はざっと500万人。中でも若者たちの姿が目立った。「ヨハネ・パウロ二世といると私たちは幸せなの」-彼らの言葉が、すべてを語ったように思われた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

2018年5月26日 | カテゴリー :