・帰還を恐れるロヒンギャ難民 不安を抱えて難民生活も長期化(国境なき医師団)

(2018.12.10日 国境なき医師団・日本ニュース)

記者報告会の様子 © MSF記者報告会の様子 © MSF

ミャンマーでの迫害を逃れてイスラム系少数民族「ロヒンギャ」の人びとが避難生活を送るバングラデシュの難民キャンプ。世界最大の難民キャンプとも言われ、今も90万以上の人びとが大変な環境下での生活を強いられている。その現地で約3ヵ月間活動した国境なき医師団(MSF)の平井亜由子医師が12月7日、「ロヒンギャ難民の危機—長期化する避難生活と『帰還』の課題—」と題してMSF事務局で記者報告会を開いた。

現地での活動を報告する平井医師 © MSF

 

援助活動を続けるMSF

竹とビニールシートで出来た仮設の家が並ぶ難民キャンプ © Daphne Tolis/MSF竹とビニールシートで出来た仮設の家が並ぶ難民キャンプ © Daphne Tolis/MSF

 MSFは2009年からバングラデシュ南東部のコックスバザールでロヒンギャ難民の援助活動を行ってきたが、2017年8月以降、難民の数が急増したことを受けて、活動の規模を拡大してきた。現地では、感染症などを防ぐ観点から、井戸の水を塩素消毒する設備などを整えたり、衛生面に気を配ったトイレを設置するなどしたりと、給排水・衛生活動にも力を入れてきた。

医療活動については、MSFはキャンプ内に入院施設を備えた病院を含む18の医療施設を設置。外来では、糖尿病や高血圧などの慢性疾患、精神疾患などの治療にも対応しており、この1年あまりで84万人以上の外来患者と、1万5000人以上の入院患者を診療してきた(2018年9月末現在)。

特に、2017年末に発生したジフテリアの流行に対しては、治療センターを急遽設置して、キャンプにおける流行収束に貢献した。またキャンプ内で、病気の予防や衛生に関する啓発活動や、予防接種の呼びかけなどをするチームを派遣。またスタッフがロヒンギャの各世帯を訪問し、健康状態を調査するサーベイランスも実施している。

*移動の自由がないロヒンギャ難民

患者の搬送時に活躍するMSFの救急車両。だが、難民の移動制限のために止められることもしばしばある © Patrick Rohr患者の搬送時に活躍するMSFの救急車両。だが、難民の移動制限のために止められることもしばしばある © Patrick Rohr

 長期化する避難生活の中、課題も浮かび上がってきている。キャンプ内にはMSF以外の援助団体も含めると200近くの医療施設があるが、平井医師によると「外科治療ができる施設は非常に限られている」という。そのため、キャンプ内の医療施設での対応が難しい病気などの時は、車で1時間半かけて、キャンプ外の病院に搬送することがあるが、ロヒンギャの人びとの行動は厳しく制限されている。

「ロヒンギャの人びとは、夜間の外出は禁止されていた。そのため夜間に病院に来ることができない。また自由にキャンプ外に出ることもできない状況が続いている。搬送の時に救急車が止められてしまうこともあり、患者さんの治療対応に遅れが出ていた」

さらに夜間の外出禁止によって、病院に行くのを朝まで待つ患者もいたが、「病院に来た時には、重症化したケースもあった」と振り返る。

難民キャンプ内のMSFの病院で治療を受けるロヒンギャ難民(左) © Dean Irvine/MSF難民キャンプ内のMSFの病院で治療を受けるロヒンギャ難民© Dean Irvine/MSF

*「慢性疾患にも対応を」

 また平井医師は、「緊急援助の時は見逃されがちだが、長期化する難民生活の中では、慢性疾患についての対応が重要だ」とも訴えた。

心理・精神治療についても、「さまざまな団体が活動しているが、包括的な対応はとられていない。発作やパニックの抑制など緊急対応はできるが、長期的な対応には課題が残る。長期化する避難生活では、心のケアもますます重要になってくる」とした。

HIV感染者への対応も課題だ。MSFが把握しているだけで、約200人がHIVの陽性反応が出ている。難民の中には、HIVであることを示すカードを持参して継続した治療を求めてくる人もいるが、「バングラデシュでは、ミャンマーよりもHIVの感染率が低いため対応が遅れている。当初は明るみにならなかった事実が、少し状況が落ち着いてきた中で、浮き上がってきている」という。

一方で、キャンプ内で活動する多くの人道援助団体の活動の縮小や撤退が心配されている。特に、2019年はその大きな節目にあたると言われている。例えば、24時間対応の外科治療ができる他の国際団体の病院は、今月末の閉鎖が決まっている。

「病院が閉鎖後、夜間に帝王切開など緊急対応が必要となった場合の対応など課題は多い。さらに、ロヒンギャの人びとには移動制限があるため、患者の搬送についてもどうしていくべきかの議論が必要」と考えを述べた。

*「帰りたいけれど帰れない」複雑なロヒンギャ難民の胸中

早朝からキャンプ内のMSFクリニックで診察を待つロヒンギャの人びと。© Patrick Rohr
早朝からキャンプ内のMSFクリニックで診察を待つロヒンギャの人びと。© Patrick Rohr

11月15日、ミャンマー政府とバングラデシュ政府の合意の下、ロヒンギャ難民の帰還が始まるとされていたが、実際には計画は予定通り進まなかった。当時、現地にいた平井医師は「キャンプ内での反応や状況は異なっていたものだった」と印象を語った。

帰還を巡っては、約2000人が帰還者リストとして名前が上がっていた。今回対象となったのは、一部の難民キャンプに住んでいた人びとだが、平井医師は「同じキャンプ内の医療施設では外来患者の数が約50%減ったという現象が起きた」と指摘。病気であっても病院にこなくなったこの現象は、かなり問題視されたという。

「患者が減った原因は、診療の時に、患者自身の名前と家を聞かれることにあった。患者らは、それを元に自分の名前が帰還者リストに載せられることを恐れていた」

平井医師によると、リストに載せられたのは、南側のキャンプの人たちだったが、南側から北側のキャンプに逃亡する難民もいたという。「精神科の外来では、帰還に関する不安を訴える患者が増えた。帰還者リストに名前が載るようであれば、自殺すると訴える患者もいて、帰還がかなりストレスになっていた。自発的な帰還という話だったが、状況を見ていると、リスト自体に疑問を持たざるを得ない」

帰還が進まない背景として平井医師は、「ミャンマー側では迫害が続いている。人びとは、戻った先での生活環境が不透明で、もっと生活が悪くなるのではないのか、戻った先でもまた暴力がまた起きるのではないのか、との不安を持っている人もいる。元々、ミャンマーにいた頃から、彼らの人権は認められていなかった。そういうことが解決されなければ、納得できる帰還にならないのでは」との見方も示した。

MSFは今も、ミャンマー・ラカイン州北部での医療活動の許可が取り消されたままだ。平井医師は「早く活動ができるようにしてほしい」と改めて訴えた。

平井亜由子(ひらい・あゆこ=山梨医科大学医学部卒業後、兵庫県内の病院や大学病院で内科医及び、呼吸器科医として勤務。2011年からMSFの医療援助活動に参加している。今回が5回目の派遣)

*国境なき医師団のロヒンギャ難民緊急援助にご協力ください!https://www.msf.or.jp/donate_bin/redirect.php

“※【支援対象】から「ロヒンギャ難民緊急援助」を選択してください。※国境なき医師団への寄付は税制優遇措置(寄付金控除)の対象となります。”

2018年12月18日

・前田枢機卿、ローマで名義教会の着座式(菊地大司教の日記)

2018年12月16日 (日)

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 枢機卿に任命されると、必ずローマの名義教会を指定されます。これは枢機卿が教皇の顧問であることから、本来はローマに居住する者と考えられているからのようです。

実際には、多くの枢機卿がローマに住まず、世界各地の教区司教をしているので、ローマの名義教会とは関係が無いようにも思われますが、それでも必ずその名義教会で着座にミサをし、折に触れて訪れるなど、関係を保つことになります。そしてその名義教会の入り口には、当該枢機卿の紋章も掲げられることになります。

というわけで、大阪の前田万葉枢機卿も、枢機卿親任に当たってローマの教会を名義教会として指定され、16日、待降節第三主日に、着座式が行われました。

名義教会は、ローマ市内のテルミニ駅に近く、サンタマリアマジョーレ大聖堂にも近い、聖プデンツィアナ(Basilica Santa Pudenziana)教会です。ローマ市内でのフィリピン人共同体司牧の中心にもなっており、ミサには多くのフィリピン出身の信徒が参加されました。

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16日のミサには、日本から高見大司教と私が参加したので、日本の三大司教がそろい、さらに大阪からアベイヤ補佐司教が参加。さらにはローマ在住の日本人や関係の司祭団も加わり、フィリピン人信徒に加え、日本の修道者や信徒、さらに25名の日本からの巡礼者も加わり、聖堂は一杯でした。駐バチカンの中村大使ご夫妻も参加されました。

また、こういった枢機卿のローマでの公式の行事には、教皇庁の儀典室から担当のモンセニョールが派遣されてきて、典礼をしっかりとコントロールし、ミサ後には、この日の行事についての記録を読み上げて、参加した司教や司祭の署名が求められました。

ミサは英語で行われ、説教では、もちろんのことですが、前田枢機卿が日本語で話されて、事前に色紙に記した三つの俳句を披露されました。通訳はアベイヤ司教。俳句の翻訳に、苦しんでおられました。

この教会では、現在聖堂地下の発掘が進んでおり、使徒の時代の遺跡なども発見されているとのことで、ミサ後の祝賀会が終わってから、責任者のモンセニョールが、日本からの巡礼者などを案内してくださいました。

前田枢機卿の前任は、ケルンのマイスナー枢機卿の名義教会であった、と伺いました。なにかご縁のようなものを感じました。とてつもなく寒いローマでした。

 (菊地・東京大司教の日記より)

2018年12月17日

・死刑に関する『カトリック教会のカテキズム』2267番の改訂に関する文書翻訳

2018年12月13日(木)、東京・江東区の日本カトリック会館で2018年度の「第2回臨時司教総会」が開かれ、死刑に関し述べる『カトリック教会のカテキズム』2267番についての、以下の二文書の訳が承認されました。

⒈.死刑に関する『カトリック教会のカテキズム』2267番の改訂 — 謁見における教皇答書

教皇フランシスコは、下名の教皇庁教理省長官に対する 2018 年 5 月 11 日の謁見において、『カトリック教会のカテキズム』2267 番の以下の新案を承認し、各国語に翻訳して前記カテキズムのすべての版を差し替えるよう命じた。

死刑 2267  合法的権威がしかるべき手続きを経た後に死刑を科すことは、ある種の犯罪の重大性に応じた適切なこたえであり、極端ではあっても、共通善を守るために容認できる手段であると長い間考えられてきました。
しかし今日、たとえ非常に重大な罪を犯した後であっても人格の尊厳は失われないという意識がますます高まっています。加えて、国家が科す刑事制裁の意義に関して、新たな理解が広まってきています。最後に、市民にしかるべき安全を保障すると同時に、犯罪者から回心の可能性を決定的に奪うことのない、より効果的な拘禁システムが整えられてきています。
したがって教会は、福音の光のもとに「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」【1】と教え、また、全世界で死刑が廃止されるために決意をもって取り組みます。
この答書は、オッセルバトーレ・ロマーノ紙上での発表によって公布され、同日をもって発効し、よって使徒座官報(アクタ・アポストリチェ・セディス)に公表される。

教皇庁教理省長官 ルイス F. ラダリア枢機卿 バチカンから、2018 年 8 月 1 日、聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリの記念日に
_______________________
【1】教皇フランシスコ「『カトリック教会のカテキズム』公布 25 周年の集い参加者への
講話(2017 年 10 月 11 日)」(オッセルバトーレ・ロマーノ 2017 年 10 月 13 日号)

⒉ 死刑に関する『カトリック教会のカテキズム』2267番改訂についての司教への書簡

教理省 死刑に関する『カトリック教会のカテキズム』2267 番改訂についての司教への書簡

1.教皇フランシスコは、『カトリック教会のカテキズム』がヨハネ・パウロ二世により公布された際に発表された使徒憲章「ゆだねられた信仰の遺産」25 周年を記念する際の講話の中で、死刑に関する教えを改訂するよう求めました。それは、このテーマについて深められてきた近年の教義の発展をよりよく反映するためでした1。この発展の中心は主として、あらゆる人間のいのちに向けられるべき尊重を、教会がより明白に意識するようになったということにあります。この考えのもとに、ヨハネ・パウロ二世は「殺人者といえどもその人格の尊厳を失わないのであり、神自身がその保障を明確に約束した」2と断言したのです。

2.司牧者たちの教えや神の民の感覚の中で次第に支持されるようになってきた死刑に対する態度も、同様の考え方で理解すべきです。これまでの政治的・社会的状況において、死刑は共通善を守るために許容される手段と考えられてきましたが、今日においては重罪を犯しても人格の尊厳は奪われることはないという理解がますます広まっています。さらに国家が科す刑事制裁の意義への理解が深められ、市民にしかるべき安全を保障する、より効果的な拘禁システムが整えられてきたことにより、死刑は許容できないものと捉え、死刑廃止を求める新たな意識が高まっています。

3.この発展において、ヨハネ・パウロ二世の回勅『いのちの福音』の教えはとても重要です。教皇は、新たないのちの文化に向けた希望のしるしの一つとして、次のように指摘しています。

「死刑は、社会にとっては『合法的な防御』の一種だと見なされるにしても、死刑に反対する世論が明らかに強まってきました。現代社会は実際のところ、犯罪者に対して更生する機会を完全に拒むことなく、彼らが害を及ぼさないようにさせるやり方で、犯罪を効果的に抑止する手だてを持っています」3。

そして『いのちの福音』の教えは『カトリック教会のカテキズム』の規範版に取り入れられました。その中で死刑は、犯罪の重大性に見合った刑罰として提示されているわけではありませんが、もしそれが「不当な侵犯者から効果的に人命を守ることが可能な唯一の道であるならば」正当化されます。しか
し現実には、「今日では……死刑執行が絶対に必要とされる事例は、『皆無ではないにしても、非常にまれなことになりました』」(2267 番)。

4.ヨハネ・パウロ二世は別の機会でも死刑への反対を表明しており、人格の尊厳を尊重するとともに、現代社会が犯罪者から自己を防衛するための手段を有するよう求めました。それゆえ教皇は 1998 年の降誕祭メッセージの中で、「死刑を廃止するために……世界が一致して、緊急かつ適切な方策をとるよう」4望んだのです。その翌月、教皇はアメリカでも繰り返し述べました。「たとえ罪を犯した者であったとしても、人間のいのちの尊厳は決して奪われないという意識が高まっていることは、希望のしるしです。現代社会は、犯罪者2が回心する機会を永久に奪うことなく、自らを守る手段を有しています。死刑廃止に向けて皆が一つとなるよう、先日、降誕祭で訴えたことをもう一度繰り返します。死刑は残虐であり無益です」5。

5.死刑廃止に取り組む動きは、後継の教皇たちにも引き継がれました。ベネディクト十六世は、「死刑廃止を達成するためにあらゆる努力をする必要があるとして、社会の指導者たちに対しての注意」6を喚起しました。後に彼は、ある信者団体に向かって自分の望みを表明しました。「死刑廃止のため、また受刑者の尊厳と社会秩序の効果的な維持にともにこたえうる刑法の発展のために、多くの国で進められている行政と立法の取り組みを、皆さんの討議が後押しするでしょう」7。

6.同じ観点から、教皇フランシスコは、「死刑囚の罪がどれほど重大なものであったにせよ、今日、死刑は受け入れられません」8と再確認しています。死刑は、その執行方法にかかわらず、「必然的に残虐で、非人間的で、尊厳を傷つけるものです」9。さらに、「刑事司法制度の決定の不完全性と、誤審の可能性のゆえに」10、それは拒絶されるべきです。この観点から、教皇フランシスコは『カトリック教会のカテキズム』の死刑の項目を改訂するよう求め、「たとえ重大な罪を犯したとしても、死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」11と確認したのです。

7.教皇フランシスコによって承認された『カトリック教会のカテキズム』2267 番の改訂は、これまでの教導職と一致したものであり、カトリック教義の正当な発展を裏づけるものです12。新しいテキストは、『いのちの福音』におけるヨハネ・パウロ二世の教えの足跡をたどりながら、犯罪に対する刑罰として犯罪者のいのちを奪うことが容認されないのは、それが人格の尊厳への攻撃であり、たとえ重大な罪を犯したとしてもその尊厳は失われないからだということを確認しています。この結論に至ったのは、現代の国家において適用されている刑事制裁の新たな理解を考慮してのことです。刑事制裁は、何よりもまず犯罪者の更生と社会復帰を目指すべきです。最後に申し上げますが、今日の社会がより効果的な拘禁システムを有しているとするなら、罪のない人々のいのちを守るためには、死刑は不要です。

当然のことながら、公権には引き続き市民のいのちを守る義務があるのであり、それは教導職がつねに教え、『カトリック教会のカテキズム』2265 番と 2266 番で確認されているとおりです。

8.こうしたすべてのことは、カテキズム 2267 番の改訂が教義の真正な発展であり、教導職による以前の教えと何ら矛盾しないことを示しています。以前の教えは実際、共通善を守るという公権の主要な責任という点から見れば、刑事制裁が異なったかたちで理解されていた社会的状況の中で説明されうるのであり、犯罪者がその犯罪を繰り返さないように保障することがより困難な環境の中で発展してきたものなのです。3

9.改訂されたテキストには、「福音の光のもとに」13死刑が認められないとの理解が深まってきたことが加えられています。福音は実際、神の子が担い、清め、成就した被造物の秩序をよりよく理解する助けとなります。それはまた、一人ひとりに回心する時を与えてくださる主のいつくしみと忍耐強さへとわたしたちを招いています。

10.『カトリック教会のカテキズム』2267 番の新たな表現が望むのは、政府当局との敬意ある対話をもって、あらゆる人間のいのちの尊厳を認めるという精神性を奨励し、いまだに死刑が行われている国で死刑制度廃止を即刻実現できる状況を生み出すための、断固たる取り組みの力となることです。

教皇フランシスコは、署名者である教皇庁教理省次官に対する 2018 年6月 28 日の謁見において、当省の常会で6月 13 日に可決された本書簡を承認し、その公表を命じた。

ローマ、教理省より、2018 年 8 月 1 日、聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリの記念日に ルイス F. ラダリア枢機卿・長官 ジャコモ・モランディ大司教・チェルベーテリの名義大司教・次官

1 教皇フランシスコ「教皇庁新福音化推進評議会の会議参加者へのあいさつ(2017 年 10月 11 日)」(L’Osservatore Romano [13 ottobre 2017], 4)参照。
2 教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『いのちの福音(1995 年 3 月 25 日)』9(AAS 87 [1995], 411)。
3 同、27(AAS 87 [1995], 432)。
4 教皇ヨハネ・パウロ二世「降誕祭メッセージ(ローマと世界へ)(1998 年 12 月 25 日)」5(Insegnamenti XXI,2 [1998], 1348)。
5 同「セントルイスのトランス・ワールド・ドームにおける説教(1999 年 1 月 27 日)」。「不必要に死刑に頼ることを終わりにしなければなりません」(「グアダルペの聖母大聖堂(メキシコ市)におけるミサ説教(1999 年 1 月 23 日)」[Insegnamenti XXII,1 (1999), 123])参照。
6 教皇ベネディクト十六世シノドス後の使徒的勧告『アフリチェ・ムヌス(アフリカの役割)(2011 年 11 月 19 日)』83(AAS 104 [2012], 276)。
7 同「一般謁見演説(2011 年 11 月 30 日)」(Insegnamenti VII, 2 [2011], 813)。
8 教皇フランシスコ「死刑に反対する国際委員会(ICDP)会長に宛てた書簡(2015 年 3月 20 日)」(L’Osservatore Romano [20-21 marzo 2015], 7)。
9 同。
10 同。
11 教皇フランシスコ「『カトリック教会のカテキズム』公布 25 周年の集い参加者への講話(2017 年 10 月 11 日)」(L’Osservatore Romano [13 ottobre 2017], 5)。
12 聖ヴィンチェンチオ司祭(レランス)『第一忠言書』(Commonitorium, cap. 23: PL 50667-669)参照。教皇庁聖書委員会は、死刑に関して十戒の教えを詳細に取り扱いながら、教会の道徳的立場の「洗練」について述べている。「歴史と文明の発展の歩みの中で、教会もまた、人間のいのちへの尊重によって、死刑と戦争に関する道徳的立場を洗練させてきました。いのちへの尊重は、絶え間ない聖書の黙想を通してはぐくまれ、次第に疑問の余地のないものとなりました。急進的にも見えるこの立場の根底にあるものは、あの変わることのない基礎となる人間学の概念、神の像として創造された人間の基本的尊厳なのです」(『聖書と道徳――キリスト者の行動の聖書的根拠(2008 年)』98)。
13 第 2 バチカン公会議『現代世界憲章』4。

 

2018年12月14日

・ペル枢機卿が性的虐待で、豪・陪審員が有罪で全員一致(Crux)

(2018.12.14 Crux National Correspondent Christopher White)

Cardinal Pell found guilty of sex abuse by Melbourne court

ジョージ・ペル枢機卿 (AP)

 現代のカトリック教会の歴史で最も注目を浴びてきたこの裁判で、12人の陪審員は4日間にわたる慎重な審議の結果、1996年に聖歌隊の少年二人に対して性的虐待を行ったことに関わる5つの罪状について全員一致で有罪の判断を下した。9月の初回公判で陪審員が判断で合意できなかったのを受け、11月7日に始まった今回の公判は、検察側の要請により報道管制の下で行われていた。

 ペルは、教皇フランシスコによるバチカン財政改革への取り組みの一環として2014年に新設された財務事務局の初代長官に就任したが、昨年6月にオーストラリアの警察当局に「性的暴行罪」で逮捕、起訴されて以来、”身の潔白”を主張するため、業務を離れ、故郷・オーストラリアに戻っている。

 今年5月、4週間にわたる聴聞の後、オーストラリアの裁判官は、ペルに対する罪状のうち、最も重いものを除く、未成年に対する性的虐待に関する5つの罪状で審理を進めて来た。訴えは1970年代と1990年代の二つの時期の行為について出されており、5月に裁判は二つに分けて行われる裁定が下され、今回、有罪判決が出されたのは、このうち、1990年代にメルボルンの聖パトリック大聖堂で聖歌隊の少年2人が性的暴行を受けた件についての裁判。

 4週間の聴聞で、12人の陪審員は同大聖堂の前式典部長、前オルガニスト、暴行があったとされる時期に聖歌隊員だった人々から意見陳述を受けた。そこで中心となったのは、ペルが1人で、聖歌隊の少年たちといることが可能だったか否か、ミサの祭服を着たままで、そのような行為が物理的に可能だったか否か、だった。聴聞の結果をもとにした陪審員の有罪、無罪を判断する審議は、先週末から11日にかけて行われた。

 ペルは、1996年から2001年にかけてメルボルン大司教、さらに2001年からバチカンの長官に任じられた2014年までシドニー大司教を務めるなど、少なくとも過去20年にわたって英語圏のカトリック教会の重鎮であり続け、2013年に教皇フランシスコから9名から成る枢機卿顧問団の1人に任命されていた。バチカンは12日、教皇が10月末でペルを他の2人の枢機卿と共に、顧問団のメンバーから外したことを発表した。

 5月の裁定を受けて、バチカンのグレッグ・バーク報道官は、ペルに関して「聖座は、オーストラリアの司法当局の判断を配慮する」旨の声明を発表、「昨年、教皇はペルに対して休職の措置を取り、告訴に対して自己を弁護できるようにされた。休職は継続する」としていた。ペルの財務事務局長官としての任期は今年8月に満了したが、その後の扱いは不明だ。

 バーク報道官は12日、報道陣に対して「聖座はオーストラリアの裁判所に最大の敬意を払っている」「我々は裁判所に命令権があることを認識しており、命令を尊重する」と説明した。

 オーストラリアのカトリック教会は今年初め、同国で最上位の審問となる豪州王位査問委員会の「児童性的虐待に対する制度的対応」に対する公式見解を出した。

 昨年、査問委員会は「オーストラリアにおいて過去数十年間に、カトリック聖職者の7パーセントが児童性的虐待で告訴されている」としたうえで、80件に上る勧告を出していたが、公式見解でカトリック教会は「聖職者が信徒から聴いた告解の内容を秘匿する権利・義務を制限する」との勧告を除いて、受諾する旨を発表していた。

 教皇フランシスコはさる8月、「神の民」(注:世界の信徒たち、の意味)に宛てた書簡で、広範な教会関係者による隠蔽と過ちについて謝罪し、来年2月に、この問題への対応を協議する全世界の司教協議会会長を招集して会議を開くことを宣言した。

 ペルに対する判決とカトリック教会の同査問委員会勧告への対応は、全世界のカトリック教会が聖職者による性的虐待スキャンダルに苦闘する最中でなされることになったが、オーストラリア司教協議会会長のマーク・クラリッジ大司教は声明で、同国の教会挙げて制度的改革に取り組むことを約束し、「オーストラリアにおける私たちの対応は、このような過ちに対して求められる行動と文化的変容の必要を形に表したものです」と述べた。

 今回の陪審員による有罪決定を受けた裁判所の具体的な刑の言い渡しは来年2月に行われるが、担当裁判官のピーター・キッド判事は「刑の言い渡しの日に収監される」とする一方、弁護団から控訴が申し立てられる可能性もある、としている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2018年12月14日

・国際カリタス会長のタグレ枢機卿がロヒンギア難民キャンプ訪問

Cardinal Tagle visits Rohingya refugees in Bangladesh

Cardinal Luis Antonio Tagle talks to Rohingya refugees at Kutupalong refugee camp in Cox’s Bazar, Bangladesh, on Dec. 3. (Photo by Stephan Uttom/ucanews.com)

(2018. 12.5 カトリック・あい)

 ロヒンギアの難民問題が深刻な状態を続けているが、カトリックの国際援助団体、国際カリタスの会長でフィリピン・マニラ大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿が3日、バングラデシュのロヒンギア難民キャンプを訪問。難民の子供や家族を激励するとともに、現地で活動するカリタス・バングラデシュの関係者をねぎらい、支援継続を求めた。

 アジア地域の有力カトリック・ニュース・ネットのucannews.comが4日現地発で伝えたところによると、タグレ枢機卿は2日間のバングラデシュ訪問の初日に、コックス・バザールのキャンプを訪れた。

 この地域には隣国ミャンマーのラカイン州での迫害を逃れて移って来た100万人以上の難民が30のキャンプに収容されており、枢機卿が訪れたのはそのうち最大のクツパロン・キャンプ。カリタス・バングラデシュが設けた食品などの配給所、児童施設、モデル・ハウスなどを中心に見て回り、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を含む支援機関の職員やボランティア、バングラデシュ政府の難民支援機関の責任者と会い、現状の説明などを受けた。

 タグレ枢機卿はucannewsの取材に対し、「難民の方々の惨状は聞いていましたが、実際に現地に来て、彼らの味わっている苦しみを肌で感じました」などと語るとともに、カリタス・バングラデシュの現地での支援活動を高く評価、他国のカリタスのメンバーも協働して支援に当たっていることに感謝を表明した。

 カリタスは、ロヒンギア難民の最近の大量流入が始まった2017年8月に、クツパロン・キャンプの運営を開始、これまでに約900万ドル相当の支援を世界中のカリタス会員の援助金を基に行い、さらにUNHCRからも約10万ドルの補助を受け、4万世帯、24万人に食料を供給したほか、住まいや、暖房器具など必需品の提供などを続けている。2019年には、さらに居住環境の向上のために、橋梁はじめ道路整備、緑化事業などを進める計画という。

Cardinal Luis Antonio Tagle visits Kutupalong refugee camp in Cox’s Bazar with Bishop Gervas Rozario of Rajshahi, president of Caritas Bangladesh, on Dec. 3. (Photo by StephanUttom/ucanews.com)

 

 

2018年12月5日

・中国「地下教会」の司教と司祭、当局の拘束解かれる

(2018.12.1 カトリック・あい)

 中国の宗教規制当局によって逮捕、拘束されていた浙江省の温州教区の「地下教会」の責任者、 Shao Zhumin(趙注明)司教と司祭1人が解放された。

 アジア地域の有力カトリック系インターネットニュースucanews.comが11月30日に伝えたところによると、11月9日に逮捕された司教は23日、解放され、昨年12月から拘束されていた麗水市の司祭も22日に拘束を解かれた、という。解放された司祭は、これまで担当教会の近くにある当局が取り調べに使うホテルに監禁され、当局の管理統制下にある「地上教会」-天主教愛国協会-への帰属を強要されていたが、彼の兄弟が病に倒れ、看病の必要があることから解放された。

 趙司教は55歳、1999年以来、これまで7回にわたり繰り返し拘束され、当局から繰り返し「地上教会」への帰属を強要されてきたが、今回の解放が、どのような当局の意図で行われたのか、司教の態度に変化があったのか、定かでない。

 地元の信徒がucanewsに語ったところでは、最近では教区の(注:中国政府・共産党の監督・統制を拒む「地下教会」の)教会に当局が出向き、「(注:「地上教会」の)司教をバチカンが承認した暫定合意は、以前の教皇たちのしていたこと(中国当局が司教になることを認めた者は教皇が承認しない)が誤りだったことを意味する。(注:教皇フランシスコは)これまで8人の”不法”な司教たちに課していた制裁を引っ込めたのだ」と説明し、地上教会への服従を要求している。

 この信徒は「そうではなく、むしろ、赦しを求めるのは彼ら(注:「地上教会」)であり、彼らが教皇の教会に立ち戻ることをお認めになったのだ、とバチカンは言っています」とするものの、今回のバチカンと中国の暫定合意は、地元の教会の信徒たちを、どう受け止めていいのか、当惑させている。いずれにしても中国における「地下教会」の置かれた状況が改善することはない、と悲観的な見方は改められないようだ。

2018年12月1日

・東京教区・藤岡和滋師の葬儀/國枝夏夫師の訃報

【菊地大司教の日記より】

訃報:國枝夏夫神父様 ・・葬儀ミサは11月30日(金)午後1時半から東京カテドラル聖マリア大聖堂で

 東京教区司祭のペトロ國枝夏夫神父様が11月26日(月)、入院中の聖パウロ病院(八王子)で、老衰のため帰天されました。86歳でした。

 通夜は、11月29日(木)午後6時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

 葬儀ミサは、11月30日(金)午後1時半から、同じく東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

 私がケルン大司教区へ出張中のため、通夜と葬儀は岡田大司教様が司式されます。

 國枝神父様は、1932年8月5日の生まれで、1947年に受洗。1964年3月18日に司祭叙階を受けられました。その後、世田谷、築地、福生などの教会で司牧に当たり、特に60年代は学生指導司祭に専念されたそうです。その後、長期にわたり汚れなきマリア会東村山修道院でミサを担当され、2015年からは、入院生活を送られていました。

 國枝神父様の、永遠の安息をお祈りください。

 

藤岡師の葬儀、東京カテドラル聖マリア大聖堂で

 パドアのアントニオ藤岡和滋神父の葬儀が、11月26日(月)12時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。

 亡くなる直前まで、病と闘いながらも、関口教会の土曜日や日曜日のミサを担当し、また近隣教会のお手伝いに出かけていたこともあり、また今年の待降節も、すでにお手伝いの予約も入っていたこともあり、最後まで現役司祭を貫き通した神父様の通夜と葬儀には、300名を超える方々が、両日とも参列し、祈りをともにしてくださいました。

 また葬儀のあった月曜日は、もともとの教区司祭団の予定では、11月の死者の月に当たり、この一年になくなった司祭を追悼するミサを捧げる予定でした。その意向も込めて、多くの司祭が葬儀に参列してくださいました。

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 告別式の終わりには、司祭団が棺を囲み、いつものように「サルヴェ・レジナ」を歌いました。献花の後、藤岡神父様の棺は、後輩の司祭たちによって運ばれ、出棺となりました。

 なお納骨式は、年明けに府中墓地で行われる予定ですが、日程が決まり次第、お知らせいたします。

 以下、通夜の説教の原稿です。

 パドアのアントニオ藤岡和滋神父様は、11月21日の早朝、桜町病院で87年の人生に幕を下ろされました。その87年の人生のうち、60年以上を司祭として、教会のために、すべての人のために、そして神のためにささげられました。

 私は引退してからの神父様のことしか存じ上げません。ペトロの家で隠退生活を送られていた神父様とは、私が東京へまいりましてからこの一年間、朝のミサや、食事の時に、多少の時間をご一緒させていただきました。その中で感じたのは、神父様はなんとも頑固な方であったということであります。

 よく、ご自分は軍人の家庭に生まれた軍人のこどもであり、幼い頃は自分も軍人になるのだと思っていたとお話になっておられましたが、そのような自覚からも、その頑固さが生まれてきたのかも知れません。

 しかしその頑固さは、単に独りよがりの頑迷さではありませんでした。その頑固さは、自分に厳しく、他人には必死になって使えようとする生き方への頑固さであり、信仰に生きることへの頑固さでありました。

 神父様は、前立腺癌と戦っておられましたし、そのほかにもいくつもの病気を抱えておいででした。しかし、身体的な困難を抱えながらも、例えば関口教会の土曜夕方のミサや日曜昼のミサの司式を最後まで引き受け、近隣の教会からも、頼まれれば必死になってミサの手伝いに出かけておられました。この数ヶ月は、肉体的にも非常に厳しくなっていたと思います。時に、主任の西川神父様あたりが、休んだらどうだと勧めても、それはそれは頑固に、自らの務めを果たそうとされました。ペトロの家の毎朝のミサでは、本当に最後まで、聖歌を大きな声で歌われておりました。どんなに肉体的な困難を抱えても、司祭としての奉仕の務めを果たすことを最優先にし、必死にその頑固さを貫き通されました。

 何年か前の教区ニュースの司祭紹介で、ご自分でこう語られています。

 「若い時に入院をすることになり、最初は置いていかれるような気持ちになり焦りました。でも大きな手術をしたら、くよくよしなくなりました。何回か入院していますが、退院したら病人だということは表に出さないと決めています。退院した瞬間、自分は健康人だと言い聞かせ、そうなるのです。それ以来「『病』はすれど『病気』はせず」です。何事も自分で決めて、切り替えられる「チャンネル男」にもなったのもこの時からです。神父が教会で暗い顔をしていたら嫌でしょう?神父が教会で明るくニコニコしていれば、信徒も明るくなれると思うのです。

 全く最後まで、頑固にその生き方を貫かれたと思います。

 癌が進行し、肉体的にも精神的にも苦しみが増し、しかしそれでも入院を断りながら、在宅のケアでドクターから痛み止めをいただきながら、必死に司祭を生きておられました。わたし自身は11月17日土曜日の昼食の時に、最後にお話をしたと思います。入院を勧める周囲に耳を貸さず、それでも時間になると食堂には出てきて、しかし痛みと食欲のなさに苦しんでおられる様子でした。

 近寄って「大丈夫ですか」と声をかけましたら、「どうしちゃったんだろうねえ。食欲がなくて」と一言。「無理せず、お大事になさってくださいね」

 それが、私にとっての最後の神父様との会話でした。私は翌日、18日日曜の夕方には所用のため新潟へ出かけましたが、そのとき、神父様がやっと桜町病院への入院に同意されたと伺いました。

 そして病院の受け入れが整い、入院されたのが20日火曜日。翌21日朝には、御父のもとへ帰られました。あっぱれな司祭人生であったと思います。最後の最後まで、頑固に司祭として生きた、藤岡神父様らしい人生であったと思います。

 ヨハネの福音に、「私が天から降ってきたのは、自分の意思を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」という、イエスの言葉が記されておりました。

 司祭の人生は、まさしく自分のための人生ではなく、神の御心の実現のために奉仕する人生であります。

 イエスご自身が、神の意思の実現においては、妥協を許さない頑固な人であったと思います。司祭もまた、信仰の実践と神の使命の遂行にあっては、やはりおなじように頑固であらねばならないと思います。藤岡神父様の司祭としての人生は、まさしく主であるイエスに倣う、信仰における頑固さに満ちあふれた人生であったと思います。

 師である主イエスに忠実に生きた僕に、父である神が豊かに報いを与え、その懐にあって、永遠の安息を与えてくださいますように。

 

2018年11月29日

・中国当局”暫定合意”後に「地下教会」へ規制強化-不服従の司祭を”学習組”に

 

Detained Chinese priests subjected to 'brainwashing'

Father Zhang Guilin (left) and Father Wang Zhong of Xiwanzi Diocese were taken away by the government on Oct. 11 to study religious policy and are still under detention. (Photo spplied=ucanews.com)

(2018.11.28 「カトリック・あい」)

 バチカンが中国政府(外務省)と中国国内の司教選任について暫定合意し、世界中に大きな反響を呼んで2か月が経ったが、まだその正式な内容は公表されず、「暫定合意」から「最終合意」に至る展望も見えていない。

 そうした中で、カトリック教会の活動を巡って現在、中国国内で起きている全容を知ることは、その国土の広さ、宗教活動関係の厳しい報道管制などから困難であり、地域による違いもあると思われるが、一つの方向は見えてきたようである。

 バンコクに拠点を置き、中国情報に詳しいカトリック系の有力インターネット・メディア、UCANEWSによると、それは、教皇がこれまで認めていなかった中国政府・共産党選任の司教たちを承認したのを契機とした、国内の宗教活動の監督・統制を担当する中国共産党中央統一戦線工作部と地方政府の宗教監督局による、教皇に忠誠を誓い、中国政府・共産党の監督・統制を拒否する「地下教会」の司教、司祭、信徒への締め付けを強化し、監督・統制のもとにある「中国天主教愛国会」(CCPA)に統合を強制しようとする動きだ。

 UCANEWSが11月21日付け(2018.11.21 ucanews.com  Joseph Chan)などで伝えるところによれば、暫定合意以後、中央統一戦線工作部と地方の担当局は、地下教会の聖職者たちを、”宗教学習組”に参加を強制する、という新たな規制強化の動きに出ている。参加を強制され、”思想改造”を受けたばかりの、ある司祭によると、聖職者は教会の”独立””自主””自己管理”の原則に同意し、「中国天主教愛国会」(CCPA)の指導を受けねばならない。また、当局は地下教会の司祭たちが中国政府が認めた”公認司教”たちとともにミサを司式し、写真をとることを強要している、という。

 このような地下教会に対する新規の締め付けは、カトリック信徒が100万人いるといわれる河北省で特に厳しいと言われ、UCANEWSによると、同省では10月の宣化教区の二つの集会所の強制閉鎖に加えて、張家口で4人の司祭が政府当局によって連れ去られ、”学習組”への参加を強制された。司祭の内の1人Zhang Guilin(張桂林)神父は、約4000人の信徒を抱える西灣子教区で奉仕し、新たな教会をいくつも開いて、人々を読み書きなど文化、信仰両面にわたって助けていたが、「中国天主教愛国会」に加盟せず、当局に登録していなかった。2007年に当局から3年の”労働改造”に回され、2010年に出所して教区に復帰していたが、固原で十年以上、困難な環境の中で奉仕してきたWang Zhong(王鐘)神父ともども、10月11日に当局によって連行された。

 統一戦線工作部は、彼らは張家口市に、宗教政策の学習に、5,6日の予定で出かけた、としていたが、実際には、彼らは最初、張家口のある場所に連れていかれ、”洗脳”教育を受け、さらに河北省の三つの町を連れまわされた後、北京に送られた。彼らはそこで、「愛国会」の別々の司教に会わされ、「教会の独立、自主、自己管理の原則」を受け入れ、司祭証明を申請し、地下教会から「愛国会」の教会に転向するよう、説得された。それに従わない限り、政府から合法と認められ、司祭として認知されない、と言い渡された、という。

 だが彼らは、いかなる妥協もせず、2007年に当時の教皇ベネディクト16世が中国の信徒たちに宛てた書簡で示した原則-「愛国会」はカトリック教会の教えにそぐわない、という原則-を守った。

 当局は6日目の夜に、司祭たちを教区に返す、と約束したが、返すどころか、張神父は他の場所に連れていかれ、王神父もいったん固原に戻された後、ふたたび連れ去られた、という。張神父の80歳になる母親は心痛で血圧が危険なまでに高まり、家族が統一戦線工作部の地方支部に出かけて、張神父の安否と解放時期を訪ねたが、「5日経てば帰る」と言われたものの、そうはなっていない。

 神父たちの教区の信徒たちは早期帰還を願う祈りを昼夜を分かたず続けていたが、11月3日になって、河北省政府の幹部が虫利教会を訪れ、「バチカンとの合意文書署名によって、『愛国会』に入らないことを認められた、と考えるな。加入を拒否することは、(宗教活動が)合法と認められず、禁止されることを意味するのだ」と言明した、という。

【カトリック・あい論評】

 「暫定合意」はバチカン国務省の順列3位以下の担当者と、中国外務省のやはり順列3位以下の担当者が署名したものだ。中国の場合、宗教活動の監督・統制の権限は今春、政府の宗教監督局から共産党中央の統一戦線工作部に移され、従来以上に統制が厳しくなっているが、外務省の意向が同部と十分に調整されたうえで決められているとは思われない。

 バチカンが暫定合意書に、具体的にどのような意向を盛り込むことができたのか、いまだに不明だが、暫定合意とは別の次元で、統一選工作部が動いている、ということは容易に推測される。バチカンが、中国側がこのような動きに出ることを知って、暫定合意書に署名したとすれば、香港の陳枢機卿がニューヨークタイムズ紙とのインタビューで言明しているように、教皇に忠誠を誓い苦難の中で信仰を育てて来た「地下教会」を見捨てた、と見られても仕方がないだろう。

 そうでないことを祈るとともに、「地下教会」を含めた中国の信徒たちの信仰の自由を確保する中国政府・共産党の確約を含めた「最終合意」にバチカンが全力を挙げることを願いたい。

 

 

 

 

2018年11月28日

・訃報:東京教区の藤岡神父様

(2018.11.22 菊地大司教の日記より)

Fujioka180801b 東京教区司祭、パドアのアントニオ藤岡和滋神父様が、11月21日(水)の早朝に、桜町病院にて帰天されました。87歳でした。神父様は以前から患っていた癌のため、ペトロの家で在宅治療を続けておられましたが、この数週間に体調を崩され、11月20日(火)に桜町病院に入院したばかりでした。

 藤岡神父様は1931年8月8日に滋賀県八日市町(現在の東近江市)で生まれ、1940年に受洗。1956年の12月21日に神田教会で司祭叙階を受けられました。

 その後大森教会、本郷教会、小平教会、立川教会、松戸教会、関町教会などで働かれ、2003年より教区本部の協力司祭として過ごされていました。つい数日前まで、関口教会の主日前晩(土曜日)の夜6時のミサや、主日のお昼のミサの司式を担当し、近隣の教会にもお手伝いに出かけておられました。

 通夜は11月25日(日)18時より、葬儀ミサは11月26日(月)12時半より、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられます。

 どうぞ藤岡神父様の永遠の安息のために、お祈りください。

(写真は今年8月の87歳の誕生日に、ペトロの家で)

2018年11月23日

・アジア司教協議会の次期会長にミャンマーのブー枢機卿

(2018.11.21 VaticnaNews Robin Gomes)

  アジア司教協議会(FABC)が16日開いた中央委員会で、次期会長にミャンマーのヤンゴン大司教、チャールス・マウン・ブー枢機卿を選出した。現会長のインド・ボンベイ大司教、オズワルド・グラシアス枢機卿が今年末で任期満了となるのを受けて、2019年1月1日に会長に就任する。

 FABCはアジアの19の司教協議会を束ね、アジア地域の教会の一般社会の幸せのためにメンバー同士の連帯と共同責任を果たすことを目的としている。その決定に教会法上の拘束力はないが、合議体としての責任の表明となる。

 ブー枢機卿は1948年10月29日、ミャンマー・マンダレー大司教区の村、モンフラーに生まれた。ピン・ウー・ルウィン市のアニサカンにあるサレジオ会神学校で学び、1976年4月に同国中部のラシオで司祭に叙階され、ロイカムとラシオで小教区で司牧に当たった後、1983年から85年までアニサカンの神学校で教鞭をとった。

 1985年からラシオの司牧管理者、1986年からラシオの司牧長となり、ラシオが1990年に教区に昇格すると同時に初代司教に任命された。2000年から2006年までミャンマー司教協議会の会長と務め、2015年2月に、教皇フランシスコによってミャンマー初の枢機卿に叙せられ、バチカンの奉献・使徒的生活会省、文化評議会、広報事務局のメンバーに選ばれていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2018年11月22日